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#アラスター
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笑里は早速室内に入ると、さっと全体を見回した。品定めをするような目を遠慮なく向けてくる。
「素敵なお部屋ですね。あ、でも少し手狭かな?」
ふわっとした笑顔のまま言う。毒を砂糖でくるんで差し出すような女だな、と思った。
「ありがとうございます。どうぞ中へ」
笑顔を崩さずに返した。今日のために練習した笑顔。鏡の前で百回は繰り返した。
同僚ふたりは、さほど意地の悪い人間ではなさそうだった。田原さんと森口さん。男性2人。
田原さんはにこにこした人のよさそうな男性で、森口さんは「おいしい料理が食べられると聞いたので、今日は期待してきました」と笑う快活な後輩男性だ。
笑里だけが違う。目が笑っていない。
「あ、私も料理持ってきましたよ! 奥様と合わせて出しましょうよ」
笑里がそう言いながら、持参した大きなバッグをドン、とリビングのテーブルへ置いた。
「気を遣っていただいて」
「いえいえ。私、料理が好きなもので。ほんの少しですが」
とは言うものの、少しじゃなかった。
次々と容器が並んでいく。
テリーヌ。アヒージョ。生ハムとルッコラのブルスケッタ。タルト・オニオン。チーズとフルーツのプレート。
すべて、完璧な見た目だった。色とりどりで、スタイリッシュで。映える。
(デパ地下のものをお皿に移し替えただけよね、それ)
容器が微妙に統一されていない。テリーヌのトレーは紙っぽい素材で、アヒージョの器はストア系ブランドのものだ。どれも単品では完成されているくせに、どこかバラバラ感がある。
自分で作った料理じゃない。
確信した。
だって私も『買って来たものばかりを出す名人』みたいなものだから。今までは自分でちゃんと作れなかったから、デパ地下ご飯でごまかしてしまうこともあった。でも、生活費減でそれもほとんどできなくなったけど。
「わあ、すごい! 向井さん、料理上手なんですね」
田原さんが感嘆の声を上げる。
「えー、本当に少しだけですよ。ほんっとに」
笑里がわざとらしく照れているところに、慎一がリビングへ入ってきた。
「おう、揃ってるな。向井さんの料理、さすがだな」
「もう、横山先輩! 奥さんの前でやめてくださいよ」
笑里が笑いながら、慎一の腕に触れた。
一秒だった。でも私はちゃんと見た。
そしてそれを、田原さんも森口さんもぼんやり目で追っていた。
ほんと、わざとやってるよね、このあざと女。
「奥さんのお料理も楽しみにしてますね!」
笑里が振り返って私に言う。言葉は綺麗でも、眼差しは品定めだ。
「ええ、もちろん。みなさんで召し上がってください」
キッチンに戻った。
深呼吸する。
ここからだ、美輪。
ここからが、本番だから。
オーナーに教わった通りに、二週間かけて練習した。
毎日、毎日、毎日。
絵が下手くそでも描き続ければいつか必ず描けるようになるのと、同じだから。
オーナーは言っていた。「正しい手順さえ覚えれば、必ず上達します」と。
本当だった。
出来上がった料理を、ひとつひとつ、丁寧に皿へ移す。
ローストチキンのハーブ焼き。皮はパリパリに。
自家製グラタン。こんがりとした焦げ目が美しい。
季節野菜のラタトゥイユ。色が鮮やかで、トマトの香りが立つ。
自家製ピクルスを添えた生野菜のサラダ。
そして、焼きたてのフォカッチャ。ローズマリーの香りがキッチンに漂う。
全部、私が作った。
自分の手で、私が作った料理だ。
テーブルに並べていくと、空気が変わった。
「うわ……!」
田原さんが思わず声を上げた。
「奥さん、これ全部作ったんですか!?」
「ええ。お口に合えばいいんですが」
「めちゃくちゃいい匂いしますね!!」
森口さんが身を乗り出してグラタンを覗き込んだ。「ほんとだ、おいしそう……! このロースト、皮がパリパリじゃないですか! お店みたいです」
笑里が黙っていた。
視線だけが私の料理を追っている。
ふふ。慎一の話と随分違うって焦っているわよね。私が料理ドヘタでマウント取りに来たんだもんね?
愛人を倒すためだけに、この2週間、死に物狂いで頑張ったんだから。
「さ、どうぞ座ってください」
慎一が幹事ぶって言うが、その目が微かに泳いでいるのがわかる。
全員が席についた。
「いただきます!」
田原さんが一番先にフォークを伸ばした。ローストチキンを口に運ぶ。
ぴたっと、動きが止まる。
「……っ、うまい!!」
心からの声だった。
「これほんとに奥さんが?! もちもちしてて、肉汁すごい」
「ありがとうございます」
「グラタンも食べてみて、田原さん」
森口さんがスプーンを持ちながら言った。「僕これ、絶対おかわりします。チーズがとろとろで……中のポテトが全然粉っぽくない!!」
「奥さん、料理めっちゃ上手じゃないですか! 先輩、こんなにおいしいものを食べておきながら、不満言ってたんですかあ~?」
笑里の顔色が変わった。笑顔は維持しているが、口の端が微妙に引きつっていた。
「向井さんのも食べましょうよ」
田原さんが気を遣って笑里の料理に手を伸ばした。テリーヌをひとくち。
「あ……うん、おいしいですね」
歯切れが悪かった。
「向井さんの、見た目すごくオシャレですよね」
森口さんがフォローするように言う。「インスタ映えしそう。……あ、なんかこれ、デパ地下の総菜コーナーのやつに似てる気がする。このアヒージョ、駅ビルにあるお店とまったく同じかも? 僕の彼女がこの前買って来てた」
静かな爆弾が炸裂した。
笑里の表情が、ほんの一瞬、固まった。
「そ、そうかな? ちょっとアレンジしたからかな」
笑里が笑って誤魔化す。
「あー、アレンジなんだ」
「ええ、ちょっとね」
「でも奥さんの料理、ぜんぶ手作り感あって温かみがある。完璧すぎる料理より、こういうの好きです。気持ちが入ってる感じがして」
森口さんがラタトゥイユをおかわりしながらさらっと言った。
チクリ、と針が刺さるような言葉だった。笑里に向かって。
慎一は黙って食べている。
妻の料理を目の前にして、なんと言っていいかわからない顔をしていた。
「フォカッチャ、焼き立てですか?」
田原さんが感動した目で聞く。
「はい、今朝焼きました。ハーブを練り込んでいますので、よかったらオリーブオイルにつけて」
「えっ! もしかしてパンも手作り!?」
思わず、という感じで田原さんが笑里の方を振り向いた。笑里は黙ってワインを飲んでいた。
田原さんと森口さんは夢中で用意した料理を食べ、お酒を飲み、私の料理を褒め続けた。慎一はグラタンを黙々と食べていた。言葉が出ない様子で。
「いやー、今日来てよかった。奥さんの手料理が食べられると思ってなかったです」
「腕を磨くのが楽しくなってきて」
「毎週呼んでほしいな」
田原さんが笑った。
笑里は、最後まで口数が少なかった。
持参した料理を褒められる場面は、ついに来なかった。
話題の中心は、いつも私の料理だった。
こんなはずじゃなかった、という顔をしていた。
懸命に笑顔を作ろうとして、でも貼りつかない笑顔は、剥がれ落ちそうだった。
「さあ、みなさん、どんどん飲んでくださいね」
私は、田原さんと森口さんを潰す勢いでお酒を勧めた。わざと少量のお酒を、しかも度数の高いワインやシャンパンにしておいたから、彼らがいい感じに瞼が下りそうなのは、見て分かった。
「あ、お酒切れちゃった」
「は? なにしてんだよ美輪。買ってこいよ」
「そうね、ごめんなさい。すぐ買ってくるわ」
頃合いを見計らってお酒が無くなったアピールしたら、すぐ『買いに行け』と命令された。
「ごゆっくり」
慎一は気づいていただろうか。
私が玄関の扉を閉めるとき、嬉しそうに笑っていたことを。
私はすぐに車に行って、スマートフォンを開いた。寝室に仕掛けた監視カメラに、夫と愛人が映っていた。
ふふ。私に見られているとも知らないで♡