テラーノベル
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鈴奈はげっそりしながら朝の満員電車に揺られていた。
まさか、祐也が婚活サギをしていたなんて。
それがとても腹立たしかった。自分も祐也のことを言える立場ではないが、そもそもこうなったのも、祐也が黒崎に金を借りたせいだ。
全ては祐也が悪い。
どうして、あんな男を好きになったのだろう。
そう思うと悔しくて悲しくて、自然と涙が溢れ出て来る。
ふいに電車が大きく揺れ、鈴奈はよろけて前に立っていた背の高い男の胸に顔が激突した。
「むにっ!」
気づくと男のワイシャツは、べったりと鈴奈の涙で濡れている。
「ご、ごめんなさいっ!」
あせって顔を上げると、偶然にもその男は恒生だった。恒生は驚いたように鈴奈を見つめている。
「前橋さん?」
「い、いえ……あっ、そ、そうです」
危なかった。偽名を教えていたことを、忘れかけていた。
「まさか、こんなところで偶然会うなんて」
「わ、わたしもびっくりです」
「もしかして泣いてる? 大丈夫?」
「こ、これは違うんです。目にゴミが入ってしまって」
「初めて会った時も、同じことを言っていたね」
「都会はゴミが多くて……あっ、あの時お借りしたハンカチ、返さなきゃ」
「いいんだ。ハンカチなんかいくらでもある。ここにもね」
そう言って恒生はポケットからハンカチを取り出すと、さりげなくもそっと鈴奈の目を拭った。
なんだかぽっと、顔が赤らんでしまうのが自分でもわかる。
「あ、ありがとうございます……」
「綺麗な目をしてる」
「え……」
「前橋さんは、いつ見ても素敵だ」
ふと時間が止まる。いつしか鈴奈は引きつけられるように恒生の整った、そしてどこか冷たい顔を見つめていた。
隣に立っていた中年男の、忌々しげなゴホンという咳払いに我にかえる。急に恥ずかしくなって、鈴奈は俯いた。
「シャツを汚してしまって……」
「そうだね。これは少しばかり目立ちそうだ」
「どうしよう」
「じゃあ、お詫びに今夜、デートするってのはどう?」
「えっ」
「前橋さんの予定が空いていればだが」
「でも、碓氷さんお忙しいのでは」
「大きなプロジェクトがやっと終わってね。時間はあるんだ。いいかな?」
「はい……」
「じゃあ、あとで待ち合わせ場所を連絡するよ」
電車が駅に止まり、ドアが開く。
競い合うようにホームへと突進するひとの渦に押されて、恒生はあっという間に鈴奈の前から姿を消した。
◇
その夜。
恒生と六本木で待ち合わせて、連れて行かれたのはヒルズからほど近い場所にある高級中華料理の店だった。
豪華な中華風インテリアに天井の高い広々とした店内は、落ち着いた大人の雰囲気を醸し出している。
前回のフレンチに続き、鈴奈にとっては全く縁のない空間に落ち着かなくてそわそわしてしまう。
「中華でも、良かったかな」
どこか冷たい目で、恒生はそう聞いてくる。
「は、はい。でも、こんな高級なお店……」
お高いんでしょう、という言葉を慌てて飲み込む。真っ先に料金が気になるのは貧乏人の性だった。
「僕も初めてなんだけどね。なかなか味が良いと人から紹介された。なんでも好きなものを注文して」
「はい。ありがとうございます」
そう答えてメニューを見るが全て中国語で書かれており、ちんぷんかんぷんだ。そのまま固まっていると、「とりあえず飲茶でも頼もう」と恒生が助け舟を出してくれた。注文を終えると、恒生は表情をぴくりとお帰ることなく、鈴奈をじっと見つめる。
「この前は、すまなかった」
「えっ、なにがですか?」
「僕の苦手な姉の話なんかして。初めてのデートで話す話題じゃなかったな」
「いえ。でも、お姉さんの影響で、女性が苦手になってしまったんですよね」
「まあ、そうだと言えるが……」
「それでは、なぜ婚活を?」
そう聞くと、恒生は軽く唇を噛み締める。ほとんど表情を変えることはないが、僅かな変化もその美形を損なうことはなかった。
「……このままじゃ、ダメだと思ったんだ。変わらなくてはとね。姉のことは今でも恨んでいるけど、いつまでも負の感情を持ち続けることは自分にとってプラスにならない。やっとそう思えるようになったんだ」
「自分を変える勇気を持つって、すごいことだと思います。私なんて、全然……」
ふと、自分の置かれた境遇を思い出し、ずーんと心が重くなる。
自分はずっと変われない。その結果がどうだろう。ずっと貧乏なままで、借金取りから婚活サギ師に仕立て上げられ、別人格が暴走し、最低の元カレ幽霊が毎朝会いに来る。その上、警察からも目をつけられた。
状況は日々悪化の一歩を辿っている。どこまでこの悲運は続くのだろう。
すっかり沈んでいると、いつのまにかテーブルには蒸籠(せいろ)から湯気が立ち昇る小籠包が置かれていた。
「ほら、食べて。ここの小籠包は絶品らしい」
「は、はい」
黄金色に輝く大きな小籠包を箸で小皿に置き、口に入れる。
なにこれ! 美味しい! こんなの食べたことない! 冷凍食品と全然違う!
口から溢れ出て来る、本当に久々とも言える幸福感に鈴奈が浸っていると_____。
「うがっ!!」
同様に小籠包を食べた恒生が変な大声を上げ、顔を歪ませ慌てて口を両手で押さえた。
「ぐぎゃごぐがががっ!」
恒生は顔を真っ赤にしてわけのわからない言葉を発しながら突然立ち上がると、そのままトイレのほうへと全速力で駆けて行った。あっけに取られた鈴奈は恒生を目で追うしかない。
10分後。
よろよろとテーブルに戻ってきた恒生は、今度は顔が真っ青だった。口をハンカチでしっかりと押さえつけている。
「だ、大丈夫ですか?」
心配そうに鈴奈が問いかけると、恒生は漸くハンカチを取って健気にも無理やり笑みを浮かべた。
「あ、ああ。みっともないところを見せてしまった」
「いったい、どうしたんですか?」
「ピーマンが入っていたんだ」
「えっ?」
「ピーマンだけは、うぐっ、どうしても苦手なんだ。子供の頃、姉に押さえつけられて、うぐっ、大量のピーマンを口に入れられた。その時の、うぐっ、トラウマが今でも残っていてね……」
恒生は何度もえずきながらやっとのことでそう言うと、勢いよく立ち上がり再びトイレへと駆けていく。
唖然としたまま鈴奈が固まっていると_____ひとりの女がつかつかとテーブルに歩み寄ってきた。
すらりとしたスリムな体型に、黒のスーツ。ブラウンに染めた髪はストレートのセミロングで顔はきりりとしたかなりの美形。歳の頃はアラサーといったところだろうか。
女は冷ややかな目で鈴奈を見つめたまま、遠慮なく恒生の席に腰掛けると長い足を組んだ。
「笑っちゃうでしょう」
「あ、あの」
「あの子、この歳になってもピーマンがダメなの。いつまでもたっても子供ね」
女は鼻で笑いながらそう言うと、100万円はするであろうエルメスのバッグから一枚の名刺を取り出し鈴奈に差し出した。
「はじめまして、碓井怜央(うすいれお)です。恒生の姉よ」
「えっ、お姉さん」
慌てて席から立ち上がり、名刺を受け取る。そこには、株式会社碓井デザイン社長と書かれてある。
「社長さん……ですか」
「うん。まあ、小さな会社だけどね。そこそこ儲けてはいるわ。あなたのお名前は?」
「あっ、すみません。ハケンなので名刺は持ってませんが、前橋リサと言います」
「ふーん、ハケンねえ」
怜央は値踏みするかのように鈴奈の全身を上から下まで目を通すと、「座ったら?」と促す。鈴奈はおどおどと席についた。
この人が恒生の姉。
小さい頃から彼をいじめて、女性に対するトラウマを与えたという……。
「実を言うと、ここに来たのは偶然じゃないの」
「はい?」
「恒生から電話があってね。どこか良い店を知らないかと。取引先の接待だと言ってたけど口調でピーンと来たわ。これは女ができたんだってね。それで、相手のお顔を拝見しようと思って、店に先回りして見張ってたわけ」
「そ、そうなんですか」
「小籠包を勧めたのも、隠し味にピーマンが入っているから。ホント予想通りの反応で笑っちゃう」
怜央は心底楽しそうに、にたりと笑った。だが、姉弟らしく恒生とどこか似ているその目は鋭いままだ。
「恒生さんが、こうなるとわかってたんですか?」
「ええ。だって、面白いじゃない。付き合い始めの彼女に醜態を見せるなんて」
どうやら恒生が言っていたとおり、お姉さんはどこかおかしい。
小さい頃ならともかく、大人になった今でもいじめて楽しんでいるのだろうか。
「あなた、なかなか美人ね。着てるものは安物だけど」
「はあ」
「美人と呼ばれて、否定しないんだ」
「えっ、いえ、そんなことは」
「恒生とどこで知り合ったの?」
「それは……マッチングアプリです」
怜央はふんと鼻で笑うと、軽蔑したような目を鈴奈に向ける。
「そんなものでお手軽恋愛? 笑っちゃうわ。あなた、恒生とヤリたいだけでしょ。それともお金? 見るからに貧乏そうだから、カラダでも売るつもり?」
「ち、違います。私も恒生さんも、真剣に婚活してるんです」
「へえ、婚活。あの恒生が結婚したいとはねえ。そんなの無理に決まってるじゃない」
「無理って……なぜですか?」
「だって、見てくれはそこそこいい男だけど、中身は下品なガキのままでしょ。ピーマンは苦手。コーヒーも苦くて飲めない。それに、小学生の頃から愛用してるボロボロの枕じゃないと眠れないし」
恒生がそうなってしまったのは、お姉さんのせいでは。
鈴奈はそう言いかけて、口をつぐむ。なにせ、相手は自分より遥かに格上なのだ。
「悪いけど。私はあなたたちの交際を認めないから」
「えっ、どうしてですか」
「だって恒生は、ずっと私のオモチャだもの」
そこへ、ふらつきながら恒生がテーブルに戻ってきた。
恒生は怜央の姿を見るや否や、ぞっとした表情を顔に浮かべる。
「ね、姉さん。どうしてここに!」
「たまたま小籠包が食べたくなってね。そうしたらびっくり、あなたたちが来てるじゃない」
「嘘だ。さては勘づいたんだな。リサさんと何を話してたんだ」
「別にい。リサさんってとっても美人だなって、褒めていたところ」
「お願いだ。姉さん、帰ってくれないか」
「あら、お邪魔だった?」
「うん、とってもね」
憮然とする恒生を無視して涼しげな顔で怜央は席から立ち上がると、鈴奈を冷ややかに見下ろした。
「この店、チンジャオロースも美味しいわよ。ピーマンの香りがまた食欲をそそるのよね」
うぐっと再びむせる恒生の肩をポンと叩くと、怜央は颯爽と店から出ていった。
その後姿を睨みつけながら、恒生は席に座る。
「まいったな。まさか姉がこんな行動に出るなんて。リサさんに会わせたくなかった。なにか酷いことを言われなかったかい?」
「い、いえ。特には……」
「あんな姉に遠慮することなんてない。リサさんにどういう態度を取ったのか、だいたい想像はつく。だけど気にしないでくれ。これ以上、姉の好きなようにはさせないから」
戸惑いながらも鈴奈は、はいと答えるしかなかった。
コメント
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うわ〜第12話もめっちゃ良かった!!😭💕 恒生さんのピーマントラウマ発覚シーン、笑いと切なさが同時に来てもう最高すぎるでしょ…!しかもお姉さんの怜央さん、完全に小悪魔ポジじゃないですか!?「ずっと私のオモチャ」発言にはゾクッとした…恒生さんの過去も気になるし、これからの関係がどうなるか楽しみすぎるよ〜!!🌸
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