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#🐟️×🍇
ねぎ茶
27
ハヤトとジントが出会ったころ、隣の部族に、もうひとりの若者がおりました。
名をシュンといいます。シュンは、妾の子でした。
ある年、流行り病が部族を襲い、跡継ぎであった兄が、あっけなく世を去りました。
残されたのは、日陰者として扱われてきたシュンひとり。
「お前が、跡を継ぐしかあるまい」
歓迎されているとは言い難い声で、シュンは跡継ぎに定められました。
跡継ぎとなった者は、周りの部族へ挨拶に回る習わしがございます。
シュンは重い足取りで、長い旅に出ました。
いくつかの部族をめぐり、辿り着いたのが、ジントの部族でした。
宴の華やかさから離れた回廊で、シュンはひとり佇む人影を見つけました。
「お前も、あんまり歓迎されてない側か」
振り向いたのは、ジュウでした。
「──妾の子だよ、俺は」
「俺も似たようなもんや」
二人は、すぐに打ち解けました。
滞在のあいだ、二人は人目につかぬ場所で、よく過ごすようになりました。
ある日、ジュウが小さな硝子瓶を取り出しました。
「香油。ジントに教わって、自分でも調合してるんだ。あいつだけは、俺を妾の子扱いしなかったから」
蓋を開けると、乾いた香辛料と、甘い花の香りが立ちのぼりました。
「めっちゃ良い匂いやな」
ジュウは笑うと、その香油を、シュンの手首にすっとひと撫でしました。
「おい、勝手に」
「まぁまぁ、良い匂いでしょ」
触れた指より、鼻先に残る香りの方が、なぜか強く胸に残りました。
出立の朝、二人は別れを告げました。
「楽しかったよ、この数日」
ジュウにとって、それはただの、良い思い出のひとつになるはずでした。
けれどシュンの胸には、それよりずっと重いものが、すでに芽生えておりました。
それから、幾年もの月日が流れました。
跡継ぎとしての務めに追われる日々の中で、シュンはふと、あの数日間を思い出すことがありました。
──また会いたいな。
はじめは、ただの懐かしさでした。
けれど年月とともに、その願いは、少しずつ形を変えていきました。
日陰者として扱われながらも、気丈に笑っていたジュウの姿が、かつての自分自身と重なって見えるようになったのです。
──俺だったら、あいつを、あそこから助け出せる。
「また会いたい」は、いつしか「手に入れたい」という、歪んだ執着へと変わっていきました。
手首に残っていたはずの香りは、とうに消えています。それでも、シュンの記憶の中でだけは、その香りが、何年経っても消えずに残り続けていたのでございます。
ジントの縁談は、思いのほか早く、現のものとなりました。
相手は、有力な部族の跡取り、シュンでございます。
ジント自身の想いなど、顧みられる余地もございませんでした。
「いつかは、こうなるってわかってたよな」
「分かってても、俺は諦めないからな」
ハヤトの言葉に、迷いはございませんでした。
その決意を、思わぬ形で後押しする者がおりました。シュンでございます。
「おまえがジントを想う気持ちは、俺にも分かるわ。手ぇ貸すから、逃げや」
シュンは、見張りの手薄な刻限も、抜け道も、潜伏先も、すべてハヤトに伝えました。
婚礼の前夜、二人は屋敷を後にしました。
翌朝、二人の不在が知れ渡ると、屋敷は騒然となりました。
婚姻を一方的に反故にすることなどできません。
重臣たちが困り果てる中、進み出た者がおりました。
「──俺が参ります」
妾の子のジュウでございます。
「顔は、ヴェールで覆う習わしがございます。先方が顔を検めることはございません」
その言葉に、重臣たちは頷くほかございませんでした。
ジントだけが、唯一自分を気にかけてくれた人でした。
その恩と、逃げた二人への案じる気持ちが、ジュウの決意を、迷いのないものにしたのです。
出立の朝、ジュウは荷の底から、古びた小さな硝子瓶を取り出しました。
幼い頃、ジントに教わって拵えた、あの香油でございます。
手首にひと撫でし、瓶を懐にしまいました。
輿入れの列は、幾日もかけて、乾いた街道を進みました。
分厚いヴェールの向こうに見える景色は、ひどく朧げでございます。
シュンの部族に着いた日、婚礼の儀が執り行われました。
「それでは、ヴェールを」
その直前、微かに漂った香りに、シュンの胸は先んじて高鳴りました。
サフランと薔薇の、忘れられずにいたあの香り。
白い布が持ち上げられ、現れた顔に、シュンの想いは、静かに弾けました。
──思った通りだ。
驚きはございませんでした。
身代わりに立つのはジュウをおいて他にいないと、シュンは、はじめから分かっていたのです。
いっぽう、ジュウは、目の前の顔に言葉を失いました。
「君は」
かつての、あの快活な客人でございます。
「──久しぶり」
その声の奥に滲む、見知らぬ色に、ジュウはまだ、気づいておりませんでした。
夜が近づく頃、ジュウは幾重にも折れ曲がる回廊を通され、屋敷の最奥へと案内されました。
同じ意匠の壁がどこまでも続き、今どちらを向いているのかさえ、分からなくなってまいります。
まるで、屋敷そのものが、出口のない迷路のようでございました。
ようやく辿り着いた部屋の窓には、見知らぬ星空が広がっておりました。
式典の熱がようやく引いた頃、ジュウの部屋の扉が、静かに開きました。
灯りを手にしたシュンが、微笑みを浮かべて入ってまいります。
あの日の快活さは、今も変わらず、その顔に残っておりました。
「休めた?」
「全然」
対等で無邪気な間柄は、もうどこにもございません。
二人を繋ぐのは、もっと重く、逃れようのない糸でした。
シュンは、傍らに腰を下ろしました。
「怖がらんでええ。何も、酷いことなんてせえへんから」
優しい声でした。それが、かえってジュウの警戒を、複雑なものにしておりました。
「──綺麗やな、お前」
「……そういうこと、言わなくていい」
頬に触れる手は、壊れ物を扱うように、慎重でございました。
唇が重なり、衣が、ゆっくりと解かれてまいります。
優しいのに、決して逃がさぬという意志だけは、はっきりと伝わってまいります。
──優しくされていることと、閉じ込められていることは、違わないのだろうか。
そんな問いが、ジュウの中で、答えの出ぬまま、繰り返されておりました。
夜が更けていきます。それは、愛情と呼ぶにはあまりに一方的で、憎しみと呼ぶにはあまりに切実な、名づけようのない感情でございました。
静寂が戻った頃、ジュウはまだ、目を開けたまま天井を見つめておりました。
これからの日々が、どれほど続くのか。
優しくされることと、自由であることは、同じではない。
その事実を、今宵、嫌というほど思い知らされた心地がいたしました。
窓の外には、見知らぬ星空が広がっております。
手首には、まだ、あの香油の匂いが微かに残っておりました。
コメント
1件
あーーこれめっちゃ苦しい…!!読んでて胸が締め付けられたわ。 シュンの執着が「また会いたい」から「手に入れたい」に変質していく過程、そしてその相手がまさかジュウだったって伏線の回収の仕方、本当に巧い。香油の香りが何年も記憶に残ってるって設定がもう、切なすぎてやばい。 「優しくされることと、自由であることは、同じではない」っていう台詞、めちゃくちゃ刺さった。 るりさん、このおとぎ話調の文体に残酷な恋愛を乗せるの、反則やわ…続きが待てない🔥