すちは、みことに袖を掴まれたまま、 一瞬だけその震える手を見下ろした。
しかし──
次の瞬間、完全に感情を切り捨てた声で言い放った。
「……俺が何しようと、君には関係ないよね?」
その『君』が、 みことの胸を真っ二つに裂いた。
「……ぇ……?」
呼吸が止まる。
喉が痛い。
心臓が冷たく掴まれたように苦しい。
呼んでくれた“みこと”は、 もうどこにもいなかった。
──ついに、名前も呼ばれなくなったんだ。
その事実に気づいた瞬間、
みことの視界がぐらぐら揺れた。
「……すち……っ」
掠れた声で名を呼んでも、 すちは一切振り向かず、ただ冷たく目を伏せるだけ。
その時、 慌ただしい足音が近づいてきた。
「みこと!」
恋人が駆け寄ってきて、息を切らしながらみことの肩を掴む。
「大丈夫? 朝からずっと様子おかしくて……! ほら、帰ろ? 無理させたくないから……」
だがみことは、ゆっくりと恋人の手を外した。
「……っ……ごめん……」
涙が溢れた。
「……俺たち……別れよう…」
周囲の空気が止まる。
すちも、ひまなつも、いるまも、動きを止めた。
恋人の表情が凍りつく。
「……え……?」
みことは唇を噛みながら、それでも絞り出すように続けた。
「友達と恋人を……天秤にかけるなんて、ほんとは……したくなかった……。 でも……すちは……ずっと一緒にいた、だいじな友達で…… 離れたくない……どうしても……」
涙が頬を滑り落ちる。
「傷つけて……ほんとに……ごめん……」
恋人の手が震える。
悔しそうに唇を噛み、目が赤くなる。
「……そんな顔で……言うなよ……」
「泣くくらいなら、俺のこと……捨てんなよ……」
みことは首を横に振った。
「ごめん……俺…… どれだけ頑張っても……すちが……」
声が震え、途切れる。
「すちが……離れていくの、耐えられない……」
恋人は何も言えなくなり、
ただその場に立ち尽くした。
すちは一歩も動かない。
表情は読めないまま。
けれどその瞳の奥が、ほんのわずかに揺れていた。
恋人は、みことの必死な涙を見ても、もう払えない怒りと悲しみを抱えたまま言い放った。
「……もう好きにしろよ」
その言葉は、まるで刃物だった。
振り返ることもなく、恋人はそのまま人混みの中へ歩き去っていった。
二度と追いかけてはくれない、他人に戻った背中だった。
みことの膝が震えた。
「……っ……ひ……」
もう耐えられなかった。
すちの胸に飛び込み、ぎゅうっと抱きつく。
「すち……っ、行かないで……っ……やだ……っ……!」
すちは腕を広げていなかったのに、 みことがぶつかるように抱きついても、拒まなかった。
ただ深く、重いため息をひとつ吐いた。
「……ほんと、めんどくせぇな……」
冷たい声だけど、腕は振り払わない。
むしろ落ちてきたみことの身体を支えるように、 しっかりと抱きとめていた。
周囲がざわめき始める。
でもすちは一切気にしない。
次の瞬間、 すちは無言でみことの体を抱き上げた。
抱き締めるでもなく、優しくするわけでもなく、 ただ当然のように。
みことは驚いたのか、 しかしすちに触れられた安心で、 そのまま胸元で泣き崩れた。
「……すち……っ……ごめ……っ、ひっく……
でも……離れないで……っ……」
すちは返事をしない。
返事の代わりに、抱える腕に少し力を込めただけ。
「……今日は帰る」
そう言って、いるまとひまなつに 早退の手続きを任せ、 泣きじゃくるみことを抱えたまま校舎を出た。
道中ずっと、みことはすちの胸に顔を埋め、 嗚咽をこらえることもできず泣き続けた。
「…っ…すち……どこにもっ……いかないで……
おねがい……おねがい……っ」
すちは返事をしない。
ただ、抱き上げた腕を緩めず、 冷たい表情のまま、 自分の家の鍵を開けた。
靴を脱ぐ間も、みことはしがみついて離れない。
すちは仕方なく、 そのままみことを抱っこしたまま玄関をくぐり、 無言で自宅に連れ込んだ。
扉が閉まった瞬間──
家の中はしん、と静かになる。
すちの胸の中で、みことはまだ震えて泣いていた。
すちはその涙の感触を胸元で受け止めながらも、 感情の読めない瞳で、抱えたままのみことを見下ろしたまま…
一言も喋らなかった。
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