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来て良かった。と、佐伯は心から思った。
おそらく、彼への思いに終止符をうつことの出来る日に彼と一緒に映画館で見た作品の好きな曲が有名な舞台俳優の生歌唱で聴けるなんて。ざわめく胸に知らないふりをして言い聞かせる。舞台が整い過ぎている。
思わず滲んでしまった涙をぬぐってカーテンコールで大きな拍手をした。
ゲスト達のステージが終わり、次は来場者自由参加の社交ダンスのコーナーへ。
見ていれば来場者の5分の1くらいが思い思いに相手を誘い、フロアへ散らばっていく。その様子を見ながら佐伯は静かにホールから遠ざかっていく。
「あの、すみません」
一人の女性が宇佐美に声をかけていた。宇佐美が女性の方を振り向いたところを確認して廊下に進める足を早めた。決めていた。あんな風な光景を見たらこの気持ちを終わりにすることを。良かった。うん。良かったじゃないか。
明るいシャンデリアの光から逃れてホールから出た。外につながる暗い廊下。こっち側は屋外にも面しているため人通りがほとんどない。両手を握りしめた。隠し続けて苦しい思いをするのは今日で終わり。
ぐすっ…ぐすっ…。
鼻をすする。まだ泣いちゃいけない。セレモニーが終わったら4人一緒に帰らないといけない。まだ、まだだ。目頭を押さえる。とんとん、と胸元を叩く。泣かない、泣かない。涙が零れないように上を仰ぎ見る。雲の切れ間から月が見えていた。
「一緒に踊ってもらえませんか?」
周りの大人達が次々とホールの中心へと向かって行くのを見ながら周央はジュースを飲んでいた。実はさっき、同い年くらいの男の子からお誘いを受けてちょっとだけ踊ってきたのだ。お互いにぎこちなさすぎて早くにペアを解消してしまったのでけれども。
恥かかないように踊れるように練習しておいてよかった。
そう思っていれば同じタイミングでお誘いを受けていた東堂が戻ってきた。
「おかえり」
「ただいま」
「どうだった?」
「どうって…まぁ、恥ずかしかったよ」
はにかむ東堂の可愛らしい表情を微笑ましく見ていれば、その少し後ろを見知った姿が慌てた様子で通り過ぎていく。
「宇佐美さん…?」
「テツ!」
佐伯はびくりと体を跳ねさせた。どうして彼の声がこんなところで聞こえたのか理解が追い付かなかった。幻聴かと疑うが、コツコツと石の床を鳴らす靴音が聞こえる。ちら、と背後を見やればこちらに駆けてくる彼がいた。慌てて目元を拭って泣きそうになったのがバレないように顔は向けないまま返事する。
「リト君?」
「はぁ、びっくりしたよ。お前、急に会場から出てっちゃうんだもん」
「いや、外の空気吸いたくて」
びっくりしたのはこっちだ。今の言い分じゃ、まるで俺を追いかけてきたみたいな言い方じゃないか。動揺する俺をよそに彼は隣に並んで立つ。視線を感じながら顔は真っ直ぐ正面を向けたまま。
「煙草吸いたくなった?」
「いや、あー…そんな感じ」
歯切れ悪く返事をした。ほんの少し冷たい夜風が頬を撫でて通り抜けていった。
「あのさ」
「あのさ」
全く同じタイミングで同じことを言った。
「何?」
「ううん、先にリト君が喋って」
「あ、えっと…社交ダンスの練習の時、変な空気にしてごめんな」
本当は周央さん達と合流する前に言おうと思ってたんだけど、と彼は言葉を続けた。そんなこと気にしなくていいのに。
「気にしてないよ」
「そう…。なら良かった……テツは何言おうとしたの?」
「リト君はなんで外に来たのかなって」
「…ちょっと、ね」
彼も歯切れの悪い返事をした。束の間の沈黙。綺麗な街の夜景を前に瞬きを繰り返す。
「あのさ、テツ」
息を吸い込んで、何か決心したような声色の彼。
「良かったら一緒に踊ってくれませんか?」