開戦の合図となったのは、邪神メフィストフェレスの頭上に鎮座する光球から属性に関係なく放たれた凄まじい量の魔法による猛撃だ。魔法は誰か1人ではなく、全員を均等に狙ってきているようだ。
その直後にノドカの眷属スキル《カンタービレ》が発動して、周囲の魔素がこの神殿の中に集中する。
当然、相手の魔法も強化されてしまうが、どのみち相手は一撃必殺の攻撃手段を持っているのだ。
それなら確実にこちらも強化した方がいい。
私は相手の攻撃を2つの眷属スキルを併用することで回避するが、他の子たちではそうはいかない。
だが後衛の子たちに向かった初撃はダンゴが防ぎ、それ以降はノドカによる風の結界と、ヒバナとシズクによる魔法が相殺していく。
その間に弾幕の中を掻い潜るようにして、私は邪神へと肉薄する。
そして見事、剣のリーチ内に敵を捕らえることには成功するが、そこに踏み込んだ途端に邪神の背中から伸びる黒い巨腕が私を付け狙うようになる。
私たちに向かってきた魔法は後衛組の子たちが抑えてくれているようなので、時折擦り抜けてくる魔法を月影とその性質を与えられたライングランツで打ち払えば問題はないが、巨腕を抑える手段は今のところでは存在しない。
体が蝕に少しでも触れるとアウトなので慎重に立ち回らないといけない結果、眷属スキル《アナリシス》で攻撃を予測し、眷属スキル《アンプリファイア》の超感覚で全てを避ける羽目になる。
瞬間的に死角へ回り込んでも、すぐに反応するあの腕がこちらを付け狙ってくるため、攻撃の隙はないが――今のところはこれでいい。
「【ガイア・ノック】!」
後ろから聞こえてきた声を合図に私は邪神の背後へと回り込む。すると私たちが先ほどまでいた方角から岩塊が飛来してきていた。
標的は間違いなく邪神そのものだ。
邪神は私たちに腕を差し向けつつ、そのうちの1本を岩に向けた。
岩塊は受け止められるような形で腕と衝突し、そこから黒ずんで消失していく。
動き回りながらも視界の隅でその光景を見ていた私たちは心の中で安堵する。
『これが1つ目の前提条件』
『……あと2つ』
準備自体は順調だ。
後は私もどこかで一撃を打ち込めるタイミングを見つけなければならない。
「魔法が効かないんだったら、これでどうかな!」
そう口にしたダンゴは魔力を込めた足で地面を強く踏み込み、切り崩した神殿の床を宙に浮かせる。
そしてそれを力一杯、私と邪神のいる方向へと打ち出した。
《アナリシス》の力で、この神殿の建材が魔力の使われていないものであることは確認できている。だからあの床自体は蝕では打ち消すことはできないはずなのだ。
案の定、少し押し込まれただけで無傷のままそれを打ち壊した巨腕だが、砕けた床はそのまま消える素振りを見せない。
これで第2条件もクリアだ。
――蝕の力は万能じゃない。
『シズクとヒバナも順調みたいです』
『少し隙が……できればいいけど』
眷属スキル《アッチェレランド》と《クレッシェンド》の効果があの聖魔法との魔法の応酬により、どんどん高まっている。
その効能によって、聖魔法を上から掻き消した魔法が邪神本体へと到達していく。
邪神も本体への直撃は流石に嫌がっているのか、腕の一部を差し向けてそれらを掻き消していた。
だがこれではあの巨腕だけに蝕の力が及んでいるのかどうかの判断もつかない。
やはり私たちの手で一撃を打ち込むほかない。
「主様、これ使って!」
困っている私を見兼ねたのか、ダンゴは近くの柱をハンマーで打ち砕いて、岩塊を打ち飛ばしてくる。
さらに床を切り出して飛ばしてくるなど、次々と物理的な支援を送ってくれた。
――なら、ありがたく使わせてもらおう。
私は自分の影を伸ばし、打ち飛ばされてくる岩塊の影に潜り込む。
魔力探知が優れているのか、邪神は私が潜り込んでいる影を正確に狙ってきているが、次々と岩塊を乗り継ぐようにしながら機会を窺う。
――そして遂にチャンスを掴んだ。
勢いよく飛ばされた岩塊を掴み、一瞬だけ黒い腕が押し込まれた隙に影から飛び出した私は邪神の懐に飛び込んで、雷魔法で強化した超反応による斬撃をその胴体に打ち込むことに成功したのだ。
やはり硬い。だが光明は見えた。
一瞬だけ、眉を顰めた邪神の表情を忘れはしない。
そして今は塞がっているが、少しだけでも傷が刻まれた胴体部分を見逃すはずもない。
先程と同じように差し向けられる巨腕から逃れながら、私は右手のライングランツを確認する。
そして予想通りに黒ずみ、崩壊していくそれを手放した私は、霊器を再生成しながら考える。
あの腕には触れていないので、やはり邪神本体にも蝕の力はあるのだろう。
でもあの腕に触れられるよりも侵蝕のスピードは落ちる。
『マスター、そろそろ魔力を蓄えましょう』
『……ヒバナたちが動く』
随分と派手な魔法の応酬になっているということは既に準備万端だということか。
――そして敵の攻撃を回避する最中、不意にシズクとの視線が交差する瞬間が訪れる。
「【アビスリヴァイアサン・アズールピュリファイア】!」
「【ブレイズフェニックス・クリムゾンイグニッション】!」
大量の魔力が込められ、過激さを増した水と炎による2体の巨獣。それらが聖魔法を打ち消しながら邪神へと迫る。
当然、邪神はあの蝕の力を使って消滅させようとするだろう。
でもそれは不可能だ。何故なら、シズクとヒバナの狙いは邪神の本体ではないのだから。
並び合うように邪神へと真っ直ぐ向かっていたそれらは徐々に重なり合うような挙動へと変わる。
そして邪神の直近まで迫った時――それらは完全に重なり合った。
その瞬間を見計らって、私も邪神の傍を離れる。
魔法は魔素を媒介として自然現象を再現したものだという。
だがその魔法を媒介に更なる現象を引き起こせば、それは既に魔法ではない。地魔法によって生み出された岩塊が衝突したことによって、衝撃が生じたことと同じだ。
そしてその衝撃を蝕は打ち消すことができない。
あの力が万能ではないことは地魔法をぶつけたことの他にも魔法とは関係のない岩塊をぶつけた時に、その衝撃も岩そのものも消すことができなかったことが証明してくれていた。
これからシズクとヒバナが引き起こそうとしているのは2つの強大な魔法のエネルギーがぶつかり合ったことによって生じる大爆発。
それを支援するようにノドカが邪神の周りを覆う結界を構築した。これで爆発の威力をその内側に閉じ込めようという作戦だ。
この結界が邪神を中心に展開された直後、その内側で起こった凄まじい爆発によって風の結界が破れ、中で巻き上がった土煙が周囲に立ち込めることで一瞬のうちに視界が掻き消される。
だが私の目には全ての魔素が見えている。
だからダンゴが動き出したこともすぐに察知できた。
この作戦を立てる時に誰もがあの凄まじい衝撃でも邪神を打ち倒すことはできないと理解していた。
だからこれは次に繋ぐための一撃。この作戦は幾つもの布石の上に成り立っているのだ。
「はあぁぁッ!」
相手を威圧するような咆哮を上げながら飛び出していったダンゴの手には、巨大なハンマーが握られている。
目指す先にいるのは当然あの邪神だ。先程の凄まじい爆発により、一時的にも全ての巨腕を失った邪神は本体の腕でそれを受け止めざるを得ない。
飛び掛かったダンゴが眷属スキルを使用したことが感覚を通して伝わってくる。
そしてその状態で、全体重を乗せた一撃を邪神目掛けて振り下ろしたダンゴは叫ぶ。
「打ち砕け、【ガイア・インパクト】!」
そこから伝わった衝撃の余波で神殿内に充満していた土煙が吹き飛んだ。
流石の邪神も凄まじい質量から生み出されるその衝撃に苦しんでいるのか、立ってはいるものの徐々にその脚が地面へと埋め込まれている。
――しかし、それがいつまでも続くものでもない。侵蝕は今もダンゴのイノサンテスペランスを蝕んでいる。
それでも限界までダンゴは邪神を押し込もうと耐えてくれていた。
「くっ……うわぁぁ!」
だがやがて限界が来た。
一気に力が弱まったのか、軽々と弾き飛ばされたダンゴが神殿の壁へと衝突しそうになる。
しかしノドカが風をクッションにしてダンゴを守ってくれた。
『あと少しです』
希望は繋がる。更なる希望へと。
『ますたー、声を』
アンヤに言われた通りに私は大きな声を上げる。
――すると邪神の背後から突如現れた“私”が大きな声を上げながら、その胴体に剣を突き入れようとする。
「見えている!」
興奮しているのか大きな声を上げた邪神が、後ろから近づく私の胴体を邪神本体の腕を使って貫く。
――その瞬間、“私”は霧散して消えていった。
そんな光景を私は影の中からずっと見下ろしている。
「何っ!?」
見分けられるわけがない。
邪神が貫手で攻撃したのは込められるだけの魔力を込めて精巧に作った影の表面に、光魔法による幻影を映し出した複合魔法【ミラージュ・シルエット】。
さらにノドカがまるであそこから声が出ているように音を運んでくれたから、邪神は感知能力と聴覚を騙されたのだろう。
そして振り向きながら近づいてくるそれに腕を突き刺すまで、視覚すらも騙されていた。
討ち取ったはずの相手が目の前で霧散した光景は、邪神の思考に一瞬だけでも空白を生んだのだ。
――そしてみんなと繋いできた全てはここに収束する。
「【ライトニング・インパルス】!」
魔力を解放した途端に凄まじい光量が体内から解き放たれ、急速な加速を始めるとともに私が隠れていた影すらも打ち消す。
邪神の頭上にある光球から大量の魔法がこちらに向かってきたことにより、邪神はそのさらに上にいる私の存在にようやく気付いたようだ。
だが相手が気付いた時には遅い。
既に加速を終えた私が持っている月影とその性質を得たライングランツは全ての魔法を打ち消し、あの光球すらも貫く。
そして雷光の勢いを乗せた一閃により、頭頂から標的を貫く月影とライングランツ。
2つの輝きによって邪神の体は一瞬の内に両断される。
音を置き去りにした先に訪れた静寂。
余韻を感じさせることのないまま、気付いた時には私の視界は、広がっていく光によって埋め尽くされていた。
◇
「――――さい」
どこからか声が聞こえてくる。
「起きてください、マスター!」
「……コウカ?」
目を開くと何もない白一色の世界――ではない。
目の前にはコウカの顔があって、その後ろには心配そうにこちらを覗き込んでいるみんなの姿があった。
「よかった……」
「……終わったの?」
体を起こし、周囲を見てみるがみんなの姿以外には何もない白い世界だ。
「終わった、と思いたいわね」
「あたしたちが最後に見たのはあの邪神が真っ二つになるところだったけど」
まさか死んだわけではないだろう。
それならこうしてみんなと話していることの説明ができない。
「アンヤも何も見えないってさ」
「……多分、魔力じゃない」
「困りましたね~……」
アンヤの目が淡い光を灯していることから、スキルでこの空間を確認してくれているのだろう。
魔力じゃない、ということは――。
「ここは神力で作り出した空間ですから、アンヤさんが持つその特殊な目でも見えないのかもしれませんね」
聞き覚えのある声。
その声を発したであろう彼女の姿を目にした途端、私は思わず彼女の名前を呟いてしまった。
「ミネティーナ……様?」
「ええ。とは言っても、その魂の残滓のようなものですが……」
そう言って困ったように笑う姿はかつて見たミネティーナ様そのものなのに、その言葉の通りだとすると彼女は既に死んでしまって、魂の一部だけが残っている状態だということだろう。
「あなたたちのおかげで、長きに渡るこの戦いに遂に終止符が打たれた」
そう語るミネティーナ様の様子は淡々としていながらもどこか感慨深そうでもあり、どこか申し訳なさそうにも見えた。
「きっと簡単には前に進めないような旅路だったと思います。ですが、どんな困難もあなたたちは力を合わせることで乗り越えてみせた。本当にあなたたちには苦労を掛けました。そして世界を救ってくれたこと、感謝してもしきれません」
女神であるミネティーナ様の言葉を聞き、私たちの間に和やかなのにしんみりとした雰囲気が漂う。
「私は…………そうですね、すごく大変でした」
取り繕う必要はないだろう。すごく大変だったのは事実だ。
そんな私の告白を聞いたミネティーナ様はしみじみと頷くと目を伏せる。
「本当なら、あなたたち……いえ、あなたたちだけではなく地上で暮らす人々も、このような困難に直面する必要などなかったのです」
そこでミネティーナ様の雰囲気が少しだけ変わったような気がした。
「……私はあなたたちに全てを話さなければならないのでしょう。ですからどうか、この先の未来のためにも……聞いてくださいますか。私の犯した大きな過ちを……邪神の真実を」
周りを見るとみんなも訳が分からないといった様子だった。
だが断る理由もなかったので、ミネティーナ様に彼女の抱えているものを打ち明けてもらった。
少し落ち着いた様子の彼女がゆっくりと語りはじめる。
「メフィストフェレスが持っていた力は蝕という名前ではありません。その大元ともいえる本質は“破壊の神力”、万物を破壊することのできる力です。そしてそれは本来の私が持っている“創造の神力”と表裏一体。元々は1つの力だったのです」
衝撃的だった。
女神と邪神の持つ力は元々1つの力、それがどうしてそうなったのかも彼女自身が語ってくれる。
「古来より世界を導いてきた私ですが、人間が自分たちの力で繁栄していく姿を見た時に悟ったのです。“もう私が積極的に干渉する時代は終わった。これからは人間たちが自分たちの足で歩んでいく時代だ”と。でもその先が間違いだった。私は最低限の力を残すために創造の神力を手元に残し、誤って何かを壊してしまわないようにと破壊の神力を自分の体から切り離して封じ込めてしまった」
まるで懺悔するかのようにそう告げるミネティーナ様。彼女の話は続く。
「元々密接に結びついていた力を無理に切り離した結果、あの子は――メフィストフェレスと名乗ったあの子には自我が生まれていた。己を切り捨てた私への怒りを宿したまま目覚め、世界を壊そうとしたメフィスト。その心の底にある寂しさに気付いてあげられなかったこともまた私たちの過ち」
何を言うべきなのか分からなくて、言葉が出ない。
私たちは揃いも揃ってこの世界の新参者だし、当時の状況がどのようなものであったのかなど知る由もない。
「ごめんなさい、私がこんな話をしたのは困らせたかったからではありません。ただあなたたちにお礼を言いたかったからなのです」
そう言って微笑むミネティーナ様だが、その顔はどこか寂しそうにも見えた。
……きっと、後悔しているのだろう。
「……ねえ、皆さん。あの子を解放してくれてありがとう。あの子の魂は逝ってしまったけれど、2つの神力はまた1つとなれた。きっとこれで寂しくはないはずだから」
感謝される分にはいいがあまり感謝される覚えがないため、どうにも素直に受け取りづらいと思う。
ミネティーナ様もそれを察してくれたのか、話題を切り替えた。
「実は私に残された時間はもうほとんどありません。なので手短にあなたたち……特にユウヒさんへのお願い事を伝えさせていただきたいのです」
「私にお願い事、ですか?」
佇まいを正した彼女を見て、私もつい背筋が伸びる。
そしてミネティーナ様の艶やかな唇から言葉が紡がれる。
――これからの人生を左右するような重い言葉が。
「私が持っていた力もあの子が持っていた力も全て……ユウヒさん、あなたに託します。そしてどうか新たな女神となって、この世界を見守ってあげてくれませんか」
驚きすぎて、言葉が出なかった。
私に女神になってほしいとミネティーナ様は本当にそう思っているのだろうか。私に女神が務まると。
「――あなたはっ!」
何も言えない私の代わりに、肩を震わせながらミネティーナ様へと突っかかったのはヒバナだ。
「そうやってまたユウヒに何かを押し付けるつもりなのっ!? この子はこれまで頑張って頑張って、辛い思いをしてもずっと頑張ってきたの! もういいでしょ!? やめてよ、そうやってこの子に全部押し付けるのはっ!」
「ヒバナ……」
ノドカとアンヤを除いた他の子だってミネティーナ様が言ったことを快く思っていないようだ。
たしかに少し前の私は何にも縛られずに自由に生きていこうと言った。それをヒバナは覚えていてくれたんだ。
嬉しいし、彼女たちの優しさはありがたい。
でも――。
「待って、ヒバナ」
「ユウヒ?」
「私、やってみたいって思うんだ」
ヒバナは瞠目したかと思うと、すぐにこちらを案じるように眉を下げた。
「……どうして?」
「これまでみんなと色んな場所に行って、色んな出会いがあって、色んなものを見て、色んなことを感じた。そんな経験も全部、一つ一つが今の私たちを形作ってくれているものだったんだ。私はそれを大切にしたいって思っちゃったの。そして女神って、そんな色んなものを守れる存在であると思うから」
そうやって触れられる外の世界があるから、私たちの内側はより充実していくんだ。
そしてそこで得たもの全てが、私たちにとって意味のあるものへと変わっていく。
色んな人の声を聞いて、その想いに触れ、私はそう思えるようになった。
なってしまった。
「……まったくもう。あなたってほんと……」
肩の力を抜いて、仕方なさげに微笑んだヒバナをはじめとしたみんなから、視線をミネティーナ様へと移す。
「ミネティーナ様。私はきっとこの世界の全てを愛することなんてできません」
ミネティーナ様は私の告白をただ微笑みながら聞いてくれる。
「自分の大切なもの以外はどうでもいいと考えるくらい心も狭い」
私は博愛主義者でも何でもない。
どちらかと言うと自分や自分の身内が良ければそれで良いと思っているような人間だ。
「だから――」
そんな私でも世界を見守る女神になる方法、それは。
「――みんなと世界中を旅して、隅々まで堪能して、やりたいことも全部やって、好きだと思えるようなものを一つ一つ増やしていきたいと思います。そうすればきっと、いつかこの世界を守りたいって思えるようになるはずだから」
「……そう。それがあなたの愛なのね。とても深くて立派な、あなたなりの愛の形」
ミネティーナ様も私のそんな考えを認めてくれたんだ。
「人間の時間は有限です。でも愛は際限なく広がっていくものです。時間という垣根を越えたあなたたちなら、いつか多くのものを愛せるようにもなれる。だからこれからもしっかりと全員で同じ方向を向いて、自分たちのやり方、自分たちのペースで歩んでいけばいいのだと私は考えます」
私がちゃんと女神らしくなれるまでどれほどの時間が掛かるかは分からない。
でもミネティーナ様はそれでも良いと言ってくれているんだ。
「……そろそろこの時間も終わりが近付いてきましたね」
「ミネティーナ様……」
魂の残滓だという彼女はもう間もなく消えていってしまうのだろう。私とアンヤの中で眠った瑠奈のように。
だから私は彼女が安らかに眠れるように、その心残りを取り除いてあげるだけだ。
「さあ、ユウヒさん。私の手を握ってください」
言われた通りに彼女の手を握る。
「私の中では2つの神力が混ざり合っています。そして原初の魔力も。それらをあなたの持つ調和の力で自分の物へと変えてください」
彼女の中から少し馴染みのある力を感じる。これがおそらく創造の神力と聖属性の魔力。
そして馴染みのない新たな力。これが破壊の神力。
私の中に少しずつ流れ込んでくるそれらの力を、調和の力によって自分の魂へと取り入れていく。
不快な感覚はない。まるで元々自分のものであるかのように馴染ませることができる。
「主様の髪の色が……」
「あの人と同じ……」
少しずつ進んでいた髪色と瞳の色の変化が急激に進んだのだろう。
ということは、今の私はミネティーナ様と同じ色を持っているということだ。
「これであなたは真の女神となった。そして私の役目もここで終わり」
その笑みは今にも消え行きそうなほどに儚い。
これで私は女神となったというのに、内側に感じられる力以外はほとんど変わった気がしない。
自分の手を見下ろしても、そこにあるのは私の手。
――そんな時だ。手を動かした拍子に何か固いものが手に触れた。
服の中にあったその青い結晶を取り出すと、私の手元を見ていたミネティーナ様は声を震わせた。
「……ユウヒさん。そのペンダント……」
「……あなたにお返しします」
レーゲン様もきっと私の元にいるよりもミネティーナ様の元へ帰りたがっているはずだ。
私の手からペンダントとなったそれを大事そうに受け取ったミネティーナ様は目を伏せながら首を振るう。
「レーゲン……たとえ不可能だとしても、あなたには生きていてほしかった……」
彼女の目から零れ落ちた涙が結晶に落ちる。
――その瞬間、眩い光が結晶から溢れ出し、私の目の前には背を向ける少女が立っていた。
「……あたしも……あなたをずっとお守りしたかった。そして最後にもう一度ティナ様……あなたと……」
「レーゲン……ちゃん……?」
呆然と立ち尽くすミネティーナ様の体に少女――レーゲン様が抱き着く。
「ひどい女神様です。あたしは、あなたと生涯を共にすると決めていたというのに」
「レーゲンちゃん……レーゲンちゃん……!」
熱い抱擁を交わす2人だが、両者ともに存在感が希薄だ。
ミネティーナ様が言っていたように魂の欠片のような状態になった彼女たちの魂は、すでに摩耗しきってしまっているのだろう。
もう私にはどうすることもできないが、愛する者同士が最後まで一緒にいられるというのは、せめてもの救いになるのではないだろうか。
「ありがとうございました、ユウヒ様も……あなたたちも」
ミネティーナ様と抱き合ったままのレーゲン様が、こちらに顔だけを向けて言葉を続ける。
「新しい大精霊たち。とはいえスライムという種族のまま精霊に進化したあなたたちは、末恐ろしいことに精霊としてはまだまだ半人前です。そんなあなたたちの行く末を見られないのは非常に残念でもあります。……叶うことなら、あなたたちを大先輩として導き、色々と教えてあげたかった」
コウカたちを見渡してやや悔やむように、だがその瞳に慈しむような色を宿したレーゲン様はまさに、精霊として大先輩の風格を備えていた。
そして私の視線はミネティーナ様と交差する。
「ユウヒさん。あなたが女神となることで停滞していた世界の時間がまた動き始める。新たな命も、そして再び生まれる命だってあるはず。最初は大変だと感じることも多いかもしれないけれど、決して不安に思わないで。あなたの周りにはあなたが愛し、あなたを愛している者たちがいるのだから」
言葉を発する度に少しずつ彼女たちの体が消えていく。
「どうか、あなたたち家族とこの世界に生きる者すべてに愛の祝福があらんことを――」
最後まで寄り添い合っていた彼女たちの体は小さな粒となり、やがては消えていく。
これで全てが終わった――いや、違うな。ここからがまた、新たな始まりなんだ。
私は振り返り、みんなの顔を見渡す。
「まだやることが残ってる――ううん、これが女神としての初仕事だよ」
私が手を差し出すとその意図を読み取ってくれたみんなが集まってくる。
だが私はどうしても堪え切れなかったので、彼女たちに飛び付くと全員まとめて腕の中に抱き寄せた。
驚き、悲鳴を上げたみんなに私は問い掛ける。
「一緒にやってくれるかな?」
答えは聞くまでもなかった。今こそ調和の力は新たな可能性を見せてくれるはずだ。
――さあ、紡ぎ出そう。
私たちが織りなす“七重の調和奏楽”を。
「【ハーモニック・アンサンブル】――セプテット・ハーモニクス」
白い魔力が私たちを包み込んだ。
みんなの想いと力を繋げる調和の力。
白はどんなものにも染められる色。そして全ての光が合わさった色。
それが私の在り方。
「私の理念――神器“天倫”」
神の力。精霊の力。魔力。そして私たちの想い。
それら全ての調和が保たれることで、この神器は存在できる。
この神器は概念そのもの。その姿は不定形のようで、だがこれこそがこの神器の正しい形。
全てが一緒で――でも同じじゃない。一つ一つが確かな存在なんだ。
――行こう。
白の世界を飛び出した私たちは灰色の空を目掛け、七色の翼で羽ばたいた。
◇◇◇
聖都ニュンフェハイムの世界樹から、思わず目を瞑りたくなるくらいに眩い何かが飛び出し、彼方へと飛び去っていった。
「何かが……え、空が晴れた……?」
どこまでも曇り空が続いていたのに、その光が飛び去った方角はまるで雲が切り裂かれたかのように天上から降り注ぐ太陽の光が漏れ出していた。
「先輩! 地上の様子が……」
その光景を空の上で見て、愛娘と共に呆然としていたミーシャが彼の後輩である団員に呼び掛けられ、地上を見下ろす。
「邪魔が……消えていく」
雲間から太陽の光が降り注ぐ地上において、その光が当たった邪魔が霧散するように消滅していく。
今もその範囲は徐々に広がっていき、戦いの音は次第に小さくなっていった。
だがそれだけではない。
「モンブランシュネージュ、火口の活動が沈静化していきます」
「……奇跡だ」
荒れた土地、枯れた水源が蘇る。朽ちた草花もまた同様だ。
その日、世界中のどの場所でも空を翔ける眩い光が観測されたそうだ。
誰もが戦うことを忘れ、空を見上げる。
ここ、ラモード王国で戦い続けていた姫君とその侍女も例外ではない。
「あの光……」
「姫様、お気を付けください。天災の前触れかもしれません。決して私の傍を離れることがなきよう」
姫君――ショコラッタは警戒を続ける侍女の顔を覗き込むと、ふわりと微笑んだ。
「平気ですわ、フィナンシア。だってあれはユウヒ様の輝きですもの」
大陸中を駆け巡っている眩い光。
その光は大陸から離れた絶海の孤島で戦い続ける戦友の元へ辿り着いた。
「またあなたたちに借りを作ってしまったの。信仰のお返しとしては、少しばかり眩しすぎるの」
白波立つ荒れ狂う海が平穏を取り戻した頃には、孤島に迫る凶悪な影は跡形もなく消え去っていた。
「今度また、ゆっくりとお礼をするの。待ってるの」
聖龍シリスニェークは友人たちとの穏やかな時間へ密かに思いを馳せた。
その眩い光を見上げた時、彼女は深くため息をつく。
「まったく……皇帝である私よりも輝くんじゃない」
だがその光を見上げて、まるで宴が始まったかのように騒ぎ出す兵士たちを見て、肩の力を抜いた皇帝イルフラヴィアは微笑んだ。
「しかし悪くない気分だ。あなたに感謝する、我が友よ」
眩い光が駆け抜けた場所では心地よい風が吹き、光も闇も正しい形を取り戻していく。
世界を駆け巡ったその眩い光。
新たな女神の存在は人々の心に鮮烈な記憶となって刻み込まれることになる。
「温かくて、優しい輝き。まるで太陽のよう」
世界樹の元に戻ってきた新たな女神の姿を見上げる聖女ティアナは、これから訪れる新たな時代を夢想した。
人々が見上げる先。
そこには純白の髪を靡かせ、七つの色をその虹彩に宿した少女がいる。
彼女の背中で揺らめいているのは、虹彩と同じ色が調和している6枚の美しい翼だ。
その翼が目一杯広げられた時、大きな力が世界の隅から隅まで届き渡る。
世界が彩を取り戻していく。
世界に奇跡をもたらした存在。
その正体を知ることになった時、人々は深く感謝するとともに畏敬の念を抱く。
それは既に知れ渡っていた、人々にとっての救世主。
彼らは創世の女神ミネティーナになぞらえ、世界を救った彼女のことをこう呼んだ。
――“救世の女神”と。
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