シティホテルの部屋から眺める博多の街は、|一夜《ひとよ》の闇の中きらめいていた。それをカーテンで包むと、部屋は北川と愛理、ふたりだけの空間になる。
ほんの 少しの後ろめたさと、これからの期待が心の中で交差する。そんな愛理の背中を北川はそっと抱き寄せた。
「あいさん、今日は一緒にいてくれて、ありがとう」
背中を包み込む北川の耳元で聞こえる声に心がくすぐられる。
「私も独りで居たくなかったから……。KENさんと会えて良かった」
そう言って、愛理は腰のあたりで組まれている北川の手に視線を落とした。
「KENさんの手……」
「手?」
「男らしい大きな手なのに、繊細な動きをして綺麗だと思って……。それにとても優しく包み込むように触れるのが心地よくって、安心感があって好きです」
愛理はそっと北川の手の上に自分の手を重ねた。
「そんな褒められ方は初めてだな、なんだか恥ずかしいや」
北川は本当に照れているようで、愛理の肩へ顔を埋めた。肩に少しばかりの重みを感じ、アッシュグレーの髪が頬に触れる。愛理は背中から伝わる北川の温かみ味わう。
自分より年上で背も高く男らしい北川を、なんだか可愛らしく感じてしまう。出会ったばかりなのに愛おしい。この魅力的な人をもっと知りたい。と愛理の中で、そんな感情が湧き起こる。
「KENさん、今日は私の恋人になってもらえますか?」
肩に顔を埋めていた北川が顔を上げた。耳元で彼の声がする。
「いいよ。恋人なら目いっぱい甘やかしてあげられる」
そう言って、腰にあった彼の手が徐々に上がり、愛理の顎先を捕らえて、横を向かせた。
北川からふわりと魅惑的なウッディアンバーの香りが漂い、唇に温かく柔らかな感触を感じる。
重ねた唇が離れると、愛理は寂しく思い、熱を欲しがるように北川の背中へ両手をまわし、ギュッと抱きしめた。頬を寄せた彼の胸から、早く動く鼓動がトクトクといっているのが伝わってくる。
「KENさん……」
そう呟いた愛理の頬を北川の手が包み、チュッと短いキスを落す。小鳥が啄むようなキスは気恥ずかしさが先に立ち、愛理の胸の鼓動も早鐘を打ち続けている。北川の手は愛理の頬に沿えられたままで、彼の瞳から視線を逸らせずにいた。
すると、形の良い唇が動く。
「あいさんに会えて良かった」
静かに瞳を閉じた北川が何かを伝えるかのように、おでことおでこをコツンと合わせた。
”今、自分を必要としてくれる人が居る” そう思うと愛理の胸の奥は熱くなる。
独りぼっちで彷徨っていた自分の手を取り、優しい言葉を掛けてくれる。それは、ずっと孤独を感じていた愛理には、何よりも必要だった。
──今だけの恋人。
東京に帰れば、縁が切れてしまう刹那的な関係。
でも、心が惹かれている。
「私も……KENさんに会えて良かった」
「このまま進んでもいい?」
「うん……抱いて……」
再び、唇が重なると、北川の舌が、愛理の唇の形を確かめるように動く。そして、少し開いた唇の隙間から中へと忍び込む。
厚みのある舌で内側から撫でられる。口の中を刺激されているだけなのに、背筋にゾクゾクと熱いモノが通り抜け、熱が腰に溜まりだす。
北川の舌に、歯列をなぞられ、舌の付け根を刺激される。部屋にクチュクチュとリップ音が鳴り響く。深くなったキスは愛理の心の傷に甘く沁み込んでくる。
──はぁ、気持ちいい……頭の芯まで蕩けそう。
すると、ワンピースのファスナーが北川の手により、ゆっくりと下ろされた。肩から袖を抜くと足元へするりと落ちる。露になった肌触りの良い下着。その上をなぞる北川の繊細な指先から与えられる感触にお腹の奥が切なく疼く。
愛理は、今まで置き去りにされていた、自分の中にある女の部分がゆっくりと花開くような気がした。
腰を支えられ、ベッドの上に横たわる。ランプシェードの薄明りの中、下から見上げた北川は、彫りの深い顔に陰影が付き、男の人なのに色っぽく見える。彼から漂うウッディアンバーの魅惑的な香りに包まれた。
自分の吐き出す息さえも、甘く熱くなり始め、まだ、キスしかしていないのに体が火照り、肌の表面には薄っすらと汗をかいている。
愛理は北川へと手を伸ばし、口づけをねだる。
その求めに応えるように、北川は再び、愛理へと顔を寄せ唇を重ねた。
優しい口づけをくり返した後、北川の唇が耳元へ移動した。耳朶を食まれ、彼の息が掛かるとゾクリと電気が走ったような感覚に囚われる。そして、彼の指先が背中を撫でたかと思うと、ブラのフックに手が掛かり、締め付けられていた胸が解放された。
背中から脇を撫でた優しい手が愛理の胸を包み込み、彼の唇がその先端を含む。
「あっ……」
思わず北川の肩を押えてしまった。すると、先端から唇を放した北川が、上目遣いで愛理の様子を窺う。
「嫌だった? あいさんに気持ち良くなってもらいたいんだけど……」
そう言って、北川は不安気に眉尻を下げる。
「ううん、気持ち良すぎて……驚いただけなの」
今まで、胸を触られても痛みを感じることが多く、濡れにくいと言われていた。それもあって自分は不感症だと思っていた愛理は、ゾクゾクと湧き上がるような快感に体が慣れていなくて驚いてしまったのだ。
「KENさんに触られると凄く気持ちいい。違う体になったみたい……」
「そう? なら良かった。もっと、気持ち良くなってもらうから、体の力を抜いて」
その言葉に頷いて、愛理が北川の背中に手をまわすと、北川は安心したようにふわりと微笑む。
そして、左手で愛理の胸を包み、先端を口に含むと滑らかな刺激を与えた。
優しく触れる手も唇も心地よく、北川の背中に回した愛理の手に力が籠る。
彼の右手は鳩尾からお臍の横を滑り、足の付け根を撫で上げ、その先の薄い茂みの奥を探り出す。
「ん……KENさん……」
その場所に北川の指が触れると、クチャッと粘り気のある水音が聞こえた。
──あ、濡れてる……。私、ちゃんと感じてるんだ。
淳とする時に濡れにくく、苦痛に感じることも多かった。本やネットで調べてみるとホルモンバランスの乱れとか、ストレスとか書かれていて、濡れないのは、女性として欠陥があるように感じていた。
でも今は、その場所に潤みを湛え、女性として彼を迎え入れようとしている。
北川の指が潤んだその場所をそっとなぞり、奥に入り込んでくる。愛理の快感を引き出すように内側からゆっくりと撫でられ、ゾクゾクと背中から粟立つ。
そして、その指先が内側のある一点を撫で上げる。
「ふっ、んん……」
思わず嬌声をあげそうになり、慌てて口を押えたけれど、声が漏れてしまう。
「あいさん、我慢しないで、声を聞かせて」
北川の左手が口を押さえていた愛理の手をベッドに縫い留める。その間も愛理の中に入り込んだ彼の指は、甘やかな刺激を与え撫で続けていた。
「あっ、あぁっ」
愛理の口からは、鼻に掛かった声が抑えきれずに溢れだす。自然と腰が揺れ、内壁は北川の指を締め付けていた。
「あぁぁ……」
愛理の開いた唇からは、甘い声が漏れ、その声を吸い込むように、北川が唇を重ねた。
瞬間、切ないほどに腰に溜まった熱が弾け、愛理は絶頂へと誘われた。
「ん、んんっ……ん」
身体中に力が入り、愛理の内側は彼の指を更に締め付けてしまう。それなのに、唇で塞がれたまま、声を上げる事も出来ず、快感に支配され、頭の中は真っ白になった。
チュッと音を立てて唇が開放さると、肺に空気が入り込む。はあはあと、荒い息を吐き出し、薄っすらまぶたを開く。すると、北川の優しい瞳と視線が絡む。
そして、彼の蠱惑的な唇が動いた。
「最後まで、いい?」
「ん……来て……」
愛理の言葉に頷いて、北川は着ていた服を脱ぎ棄てた。シェードランプの薄明りの中、大人の色香が漂う細身の筋肉質の躯体が浮かび上がる。
そして、北川は、小さな袋をピッと破き、スキンをあてがう。
そんな当たり前の行為さえ、ホッとして、愛理は北川を迎え入れた。
ついばむようなキスをひとつ落とし、愛理の内側をゆっくりと満たし始める。
既婚者の愛理が、夫以外の男性とこんな事をするのは、世間的に見れば、悪い事かも知れない。けれど、空っぽになってしまった心を埋めるのに、必要な事だった。
ふたりの呼吸が重なり合い、汗で体を濡らし、お互いの熱に溶けていく。
いまは、だたの男と女という関係。
世間から切り離された、ホテルの部屋で、出会ったばかりなのに恋をしてる。
「ん……んっ、あぁぁ」
北川が、動くたびに腰がジワリと痺れるような、今まで知らなかった快感を引きだされ、あられも無い声があがる。
愛理は、自分の体が知らない感覚を与えられ、変わっていくように感じていた。
「あ……おかしく……な……」
「ん、も少し……一緒にいこう」
縋るモノを探して、シーツを引き寄せる。それでも追い上げられる感覚についていけず、愛理の内側からは蜜が溢れだし、腰がゆれる。
「あ……あぁ……もうだめぇ」
自分の中で、大きな波が生まれるような感覚。堪えきれず、北川にしがみつき、広い胸に額を擦り付けた。
身体の中で畝りが起こり、それがだんだんと大きくなる。愛理の内壁は、北川のそれを締め付けた。
そして、突き上げられるような、落ちてくような、独特の浮遊感を味わい絶頂へと導かれる。
目の奥がチカチカとスパークを起こし、自分の内側にある北川を強く抱きしめた。
「くっ……」
と、耳元で北川の声が聞こえ、内側に入り込んだものが、大きく膨らみ次の瞬間、薄皮の中に欲望を吐き出す。
ハアハアと耳元で聞こえる荒い息づかいをする北川の力が抜けた彼の重みやしっとりと浮かぶ汗、仄かに感じるウッディーアンバーの残り香、その全てが愛おしい。
愉悦の波が引いても、その余韻で頭に|靄《もや》が掛かり、蕩けたまま、抱き合っていた。
「あいさん、素敵な誕生日になったよ。ありがとう」
チュッと額にキスを残して、北川が起き上がる。
愛理は、離れてしまうのを寂しく思いながら頷いた。そんな愛理に目を細めた北川がそっと頬を撫でる。
「シャワー浴びようか?」
「まだ動けないから先に入って……」
「ん……」
くったりとベッドに身を預けている愛理を残して、北川はバスルームへ入って行く。
壁伝いに流れる水音が聞こえてくる。
──淳と結婚しているのに他の男の人に抱かれた。けれど、淳に対して罪悪感などこれっぽっちも湧かなかった。
それよりも、これでよかったんだと思える。
形を成していない夫婦の形や自分を大切にしてくれない人に固執するのは止めて、手探りでいいから自分のために動いていきたい。
「あいさん、お風呂にお湯を張ったよ」
ベッドの上で目を瞑り、考え事をしていた愛理の耳に北川の声が届いた。
てっきり、先にシャワーを浴びているのかと思っていたのに、わざわざ、バスタブにお湯を張ってくれていたのだ。
そして、北川はベッドの上でくったりとしている愛理を見つけると、背中と膝裏に手をまわし、ふわりと体を抱き上げた。
「えっ?待って、私、重いのに恥ずかしい」
巷で言う、お姫様だっこの状態に慌てふためく愛理を北川が、クスリと笑う。
「ぜんぜん重くないよ。それより、汗を流さないと」
世話好きと聞いていたけれど、まさか、ここまでされるとは思ってもいなかった愛理は、恥ずかしさで体に火照りを感じる。その証拠に首筋が紅く染まっていた。
そんな、愛理の様子を見た北川はチュッと額にキスを落とし囁いた。
「可愛い……」
抱えられたままの近い距離で聞く北川の声に、耳をくすぐられるどころか、心までこそばゆい。
ホテルのバスタブはひとりで入るには十分な広さのバスタブでも、ふたりで浸かるには少し狭くて、愛理は背中を北川に抱えられたままだった。
「あいさん、このままシャンプーするね」
そう言って、北川はバスタブの縁に座り、愛理の髪にシャワーをかけ始めた。
本業の北川を使ってしまって、悪いような気もしたけれど、彼の手の気持ち良さを知っている愛理は断るなんて出来ない。
「ありがとう」
マッサージを施すように頭皮を洗われていると、リラックスして眠くなってしまう。愛理は、明日の打ち合わせを考えれば、自分の宿泊しているホテルの戻らないといけない。けれど、あの部屋に戻ると辛い現実に向き合う事になる。
まだ帰りたくないと思った。そればかりか、東京にさえも帰りたくなかった。
「はぁー、気持ちいい。癒される」
お風呂から上がった後も、北川の世話焼きは終わらず、ヘアドライヤーで愛理の髪を乾かしていた。
「そう、なら良かった」
「こんなに、いたせりつくせりなんて、今までされたこと無かったから、幸せ感じちゃった」
「僕も楽しい誕生日を送れて幸せだよ」
カチッとドライヤーが静まった。
目の前にある鏡の中で、明るく艶やかな髪を梳く大きな手が映り、北川と愛理の視線が絡んだ。別れの時間が近づき、切なさが募り始める。
すると、鏡に映った北川の唇が動く。
「……また、会いたい……って、言ったら困らせるかな?」
その言葉に戸惑い、愛理は視線を落とした。
──また会いたいと言ってもらえたのは、凄くうれしい。
けれど、既婚者の自分が何度も関係を続けていいのだろうか?
それにKENさんは、私が既婚者であることを知らない。これが、不倫関係だなんて思っていないはず……。
でも、このまま別れたくない。どうしたら、いいの?
愛理は、キュッと唇を噛み、瞼をとじた。
愛理はゆっくりと瞼を開いた。
目の前にある鏡には、自分の姿とその後ろに立つ北川の不安気な表情が映っている。
愛理は鏡から振り返り、北川の瞳を見つめた。
「私、月曜日の昼の飛行機で東京に帰らないといけないんです。だから……それまでの時間で良ければ……。私もKENさんに会いたい」
その言葉に北川はホッと息を吐き出した。そして、少し寂し気に微笑む。
「ん、ありがとう。あいさんは仕事で来たんだよね」
「うん、明日でその仕事も終わりそうなの。日曜日は観光をしようかと思って……」
「そっか、じゃあ、日曜日の夜にまたデートして、月曜の昼まで一緒に居れる? 空港まで見送らせて欲しい」
北川も仕事があるのに、ましてや、美容室のようなサービス業は日曜や祭日はきっと忙しいはずだ。それなのに時間を作って会ってくれるのを嬉しく思う。その一方で、既婚者であるのを隠し、関係を続ける事に後ろめたさを感じる。
「ありがとう……あの、ごめんね」
「ん?何が?」
「ううん……。KENさんも仕事で忙しいのに時間を合わせてくれて、ありがとう」
不倫は刑事罰を受けない。けれど、民事で裁判になる事だってある。その場合、既婚者だと知らないで関係を持っていたなら、北川は『既婚者と知らずに騙されていた人』で済む。でも、知って関係を持ったら、加害者として賠償請求になるかもしれない。それなら、このまま黙っているのが一番だと、愛理は自分に言い聞かせた。
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