ごった返すエントランスをぐるりと迂回し、一転して人も疎(まば)らな裏手に向かう。
案内役のスタッフは、そこにひっそりと設けられた両開きのドアを提示した。
「では、こちらが関係者用の通路になっておりますので、どうぞ」
「ちょっといいですか?」
「はい!?」
そこで葛葉が矢も盾もたまらず声をかけたところ、彼は飛び上がって驚いた。
それはまるで、夜道の途中でお化けか悪漢にでも出会(でくわ)したかのように。
とくに傷ついたりはしないが、やはり乙女としては何とも。
「いや……、リラックス!」
「あの、はい。 すみません、何でしょう?」
「出場者の人数って、どんな感じです? けっこう少なかったり?」
「いえ、それが去年よりも多いくらいで」
「うん……?」
ちょっと意味が解らない。
もはや“御遣”の独擅場と化す恐れのある今大会に、わざわざ挙(こぞ)って出場する意図とは何か。
こういったご時世だ。 勝軍(かちいくさ)と負軍の見識にかけては、ずば抜けた眼力をもつ世人のことである。
それがこのような催しに参加するほどの尤物(ゆうぶつ)ともなれば、尚更のことだろう。
いや、事はもっと単純かも知れない。
死に狂いの連中になにを説いても無駄なように、命知らずな荒くれ者には道理なんて通用しない。
彼らは単に、熱狂を欲してこの渦中に飛び込んだのだ。
勝つか負けるか、狩るか狩られるか。 まさに獣の理論に相応しい。
「……包帯でも巻いてくりゃ良かったかな? こう、顔面にさ?」
「はぁ?」
「もしくは……、ほれ、口に血糊を塗りたくってさ? 常にうすく笑ってる感じの」
「なに? なんだと?」
広々とした回廊は、見事な木造の妙も手伝って、まるで木漏れ日が降り注ぐ森林の中を歩いているような感覚だった。
その末にたどり着いた控え室の有様は、磊落(らいらく)な葛葉をしても、つい逃げ腰にならざるを得ないものだった。
程々にゆとりがある平方形の室内に、屈強な男たちが猥雑な福袋のように詰め込まれている。
それらが敵愾心も露(あらわ)に、こちらを一斉にジロリと睨みつけたのである。
値踏みをするような目線がどうにもむず痒く、途端に気疲れを起こしそうになった。
「……汗のにおい、移らないかしら?」
「そんなもん気にするタマかよ?」
「なんだとオイ? 口曲げるよコラ」
どちらかと言うと、無い物ねだりに等しい観念ではあるが、葛葉とて男性の筋肉にはそれなりに興味がある。
しかし、なんぼ何でも限度があるだろうと思うのだ。
見事な絵画とて、広い壁面に飾ってこそよく映(は)える。
肉密度の半端ない現場(げんじょう)は、居心地の良し悪しのみで安易に語るべきものではない。
「情けねぇ。 こういう手合いにはよ? ナメられたら終いなのよ」
「ん、ちょい待った。 たしか前見た映画にイカついセリフが……」
どうにも居所を損ない勝ちな二名の元へ、数名からの徒党が横柄な態度で声をかけてきた。
いずれも立派な体格をした大男で、長身の虎石でさえ形(かた)なしに見える。
「おぅ姉ちゃん。 部屋まちがえてんじゃねぇか?」
「それとも何かィ? 試合前のサービスかァ?」
「ダハハハハハ!!!」
しかし、これが葛葉の耳には入らない。
常より並外れた集中力をもつ彼女である。
ひとたび傾注を始めようものなら、そこはすなわち外界と隔絶された自分だけの空間となる。
「何てったっけな……? たしか、“やぁ、クラリス──”」
「クラリスちゃんってぇのか! かわいらしい名前だぜ!」
「よぉクラリスちゃん! こっち来てマッサージをよォ」
これを無謀にも従順な姿勢と解したか、図に乗った一名が太い腕をぐいと差し向けた。
しょうことなしに舌打ちを放った虎石の眼が、かすかに細引いた。
「そだ! “以前、私に無礼を働いた者の〇〇を、豆と一緒に食ってやった”」
「え……?」
「ひいぃぃ!?」
「やべぇよコイツ! 完全にフレてんぞ!?」
気がつくと、場がしんと静まり返っていた。
先の熱気はどこへ失せたのか、ゴツい体を少女のように縮こめている者も中には確認できる。
しかし、何やら妙な悲鳴を聞いたような気がするが。
「なんねトラやん? 変な声出して」
「俺じゃねぇ……」
隣を向くと、虎石が青い顔をして立っていた。
「……オメー、やべぇ奴だとは思ってたが」
「何よ? 見てないの? あの映画」
ともあれ、こちらに眼(がん)をくれる者が絶えたところで、葛葉は威儀を正して本来の用向きに着手することにした。
それに先立って、ひとつ分かったことがある。
どうやらこちらの面と肩書きについては、選手間には伝わっていないらしい。
町長が便宜をはかったと見るべきか、彼のせめてもの誠意と取るか。
そこで気に掛かるのが、やはりもう一人の“御遣”に関してだが。
声をひそめて隣に問う。
「どれが例の奴か、分かる?」
「……いや、こん中には居ねえな」
室内を念入りに一望した虎石は、やがて頭(かぶり)を振って応じた。
彼の言によれば、自分と向こうは同じ穴の狢(むじな)のため、見ればおおよそ察しはつくとの事だった。
なにか、御遣同士にしか知り得ない気配でもあるのか。
ひょっとすると、この混沌とした世の中で、同類を見つけるための目印のような物なのかも知れない。
あるいは、無用の衝突を避けるための警戒灯に似つかわしい物か。 その辺りは当人をしても判然としないとの事だった。
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