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第二章「ガラスみたいな日常」
「──え、心羽、今日委員会サボるの?」
昼休み。教室の窓際、春の陽がポカポカと差し込む。
その光の中で、笑顔を貼り付けた声が刺さる。
「ごめん、ちょっと職員室寄ってから行こうと思ってて」
私は自然な声色でそう返す。
反射的に、嘘が出た。
本当はただ、もう何もしたくなかっただけなのに。
「バレー部でも最近ちょっと、元気ないって話だよ?」
女子グループの中にいる“観察眼の鋭い子”が、
笑いながらさりげなくそう言う。
周りの空気が、一瞬、わずかに波打つ。
──大丈夫。
──わたしはうまく返せる。
「えー、だって最近ずっと部活の練習厳しいし、さすがに疲れ溜まるでしょ?」
軽く肩をすくめて、冗談っぽく返す。
すると、「わかるー」って何人かが乗ってくる。
でも、その中に混じった数ミリの疑念の目を、私は見逃さなかった。
みんなが笑ってるその輪の中で、
私の中の何かが小さく「パキッ」と音を立てた。
午後の授業。眠気とだるさで、ノートの文字が滲む。
黒板の文字を必死に追う。
でも、途中から思考が止まる。
(なんで私、全部頑張らなきゃいけないんだろ)
(誰も、ちゃんと見てくれてないのに)
放課後、靴箱の前。
ふと、階段の影から聞こえてくる声。
「……あの子、まじで完璧すぎてさ、逆に怖くない?」
「てかさー、心羽って、“やってます”感出しすぎなんだよね」
(あれ、私の名前……?)
そっと身を隠して、耳だけを澄ます。
声の主は、同じクラスの女子だった。
グループの中心にいる、“表では仲良くしてる”子たち。
「無理してんの、ばれてるよね。先生に好かれたいだけでしょ、あの感じ」
「裏じゃクッソ性格悪いかもって思ってたんだよね〜」
笑い声。ヒソヒソ話。
だけど、耳の奥に突き刺さるほど鮮明だった。
──そっか。
そうだよね。
無理してるの、分かってたんだ。
みんな気づいてるけど、
黙って合わせてただけなんだ。
なのに、私は──
それに気づかないふりをして、
“いい子”でい続けようとしてた。
惨め。滑稽。哀れ。
帰り道。制服のまま、コンビニの駐車場に座り込んで缶ジュースを握る。
目の前を通り過ぎる車。イヤホンから流れる沈んだ音楽。
夕方の赤い光が、制服のスカートの端を染める。
笑う気力もない。
泣く気力すらない。
心の中に、“無”が広がっていくのが分かる。
誰かに何か言われたくない。
でも、
誰かに「気づいて」ほしいって、
どこかでまだ思ってる自分がいた。
(……そんなの、甘えだ)
(誰も、ほんとの私なんか見てないのに)
ポケットの中、スマホの通知が何件も光ってる。
でも、開く気になれなかった。
──今日、ちゃんと笑えなかった。
それだけで、
“私”は“私じゃない”ような気がして、
呼吸が浅くなる。
夜。
部屋の明かりを消したまま、机にもたれかかる。
目を閉じると、耳の奥で誰かが笑ってる。
あの階段裏の声。
部活の後輩のうすい視線。
クラスでの微妙な距離感。
全部がぐるぐるして、眠れない。
──ねえ、
わたしは、いつまで“ちゃんとした子”でいなきゃいけないの?
ほんとの私は、
「優等生」でも「しっかり者」でもないのに。
枕の下に押し込んでいた、
白いノートの角が、ぴりっと破けていた。
そのページには、鉛筆でこう書いてあった。
わたしは今日も、
本当のことを、誰にも言えなかった。
その文字を見つめたまま、
心羽は小さく呟いた。
「………いっそ全部壊れたらいいのに」
その声は、夜の静けさの中に、吸い込まれて消えた。