まだ残暑どころか真夏を引きずる9月新学期。俺は3年の教室へと昼休みに向かった。
「藤澤先輩いますか?」
一応、人目が多いので目立たないように呼んでもらうと、涼ちゃん先輩がこちらへ来てくれる。その表情はいつもより暗い。
「やっと会えて嬉しいです。今日の放課後、あの部屋に来てください」
俺はいつも通り、笑顔でお願いする。
「···僕は、もう···」
案の定、困り顔の先輩の返事は難色を示している。
「なに、なに、告白かぁ〜?」
いつか食堂でからかってきた同級生が俺たちのただならぬ空気を読んだのか、ふざけて笑っている。
「そうです、なので絶対来てくださいね!」
とびきりの笑顔でそう言い捨てて返事も聞かずに俺は教室に戻った。
今日は必ず来てもらわないと困る。渡さなけへばいけない大事な預かりものがあるのだから。
放課後、先輩より早く職員室でピアノの部屋の鍵を借りる。
夏休み中ずっと締め切っていたのだろう、窓を開けて空気を入れ替え、クーラーをつけた。
ようやく少し涼しくなった時、カラリ、と扉が開いてそこには昼間見たのと同じ困り顔の先輩が立っていた。
夏休みが終わったっていうのに、変わらず先輩は色が白くて休み前より少し痩せたような気がした。
「来てくれて、ありがとうございます」
先輩の手を引いて用意しておいた椅子に座るように促した。
ピアノの椅子には俺が座る。
「···どうして、まだ僕に構うの」
理由としては好きだから、なのだが今伝えたいことはそれではないから、俺はその言葉に返事はせず、かってに話を始める。
「俺は先輩に謝らないといけないことがたくさんあって···まずはごめんなさい。ひとつは、隠れてピアノを聴いたこと。あと、先輩が言ってた『先生』のこと調べた事」
「なんで···」
「事故で先生が亡くなったことを知って家を調べて···俺は先生のお母さんに会うことができて、全部聞きました」
「はっ···?なに勝手に···」
先輩の声に怒りが混ざる。当然だ、全く関係ない俺が先輩の重大な過去に踏み込んでいるのだから。
「すみません。でも全部聞いたから、俺は先輩に言えます······ あの事故は、先輩のせいじゃない」
俺は、預かった手紙を出して中を読み上げる。
『涼架へ
約束していたのにコンクール聴きに行けなくてごめん。 けどきっと涼架なら、普段の実力を発揮して素敵なピアノが弾けるから、心配はしていません。試験のあとも本当は用事があってどうしても行けないのに、行くって嘘ついてごめん、安心して弾いてほしかったから···許してください。お詫びじゃないけど、頑張ったご褒美を用意したので喜んでくれると嬉しいです。
僕は聴くと幸せになれる涼架のピアノが大好きだから、これからも楽しく弾き続けてね!
先生より』
読み終えた俺は立ち上がって小さな箱を先輩の前に差し出した。
これもあの日預かったものだった。
俺が出向く少し前に、先生の部屋をようやく片付け始めることが出来たお母さんはそれを見つけたらしい。
「勝手に読むのはだめだと思ったけど、宛名もなくて···。それを読んで、涼架くんに渡さなくちゃいけないって思ってたところだったの。けど、もうあれから3年でしょう、また思い出させるのもいけないとも思って···あなたが来てくれて、本当に良かった」
そう言って俺は託されたものを今、先輩に渡すことが出来た。
俺の手から受け取って開けた箱の中にはピアノの鍵盤デザインのカフスボタンが光っていた。
先輩はそれを胸に当ててぎゅっと抱きしめる。その瞳からは涙がボロボロと零れ落ちていた。
「先生は会場に向かっていたわけじゃい。だから、先輩のせいでも先輩のピアノのせいでもないんだよ」
手紙を丁寧に封筒に戻してピアノに置くいて、声を押し殺すように泣く先輩の背中を撫でた。
いくら真相を知ったところで真実は、変わらない。でも先輩が自分を責めていた3年間が少しでも報われてほしいと思った。
「も···とき、ありがとう···っ」
掠れた声で呟いた先輩は俺に縋って抱きついて、またしばらく泣いた。
俺は先輩が泣き止むまでいつまでも背中を優しく撫で続けた。
コメント
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♥️くん、💛ちゃんを救ってくれて、本当にありがとう〜😭✨となりました🥹
辛い過去があっても最後には幸せが残る、素敵な小説でした💓こういうの書きたいんだよな。頑張らなきゃ!