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「行ってきます」
午後出勤のすちは、ネクタイを緩めながら、みことの額にそっとキスを落とした。
「愛してるよ、今日はゆっくり休んでね」
みことは少し照れたように、笑顔で「いってらっしゃい」と返す。
玄関のドアが閉まる音がして、静寂が戻る。
みことは少し寂しさを覚えながら重たい腰を上げてキッチンへと足を向けた。
洗い物や片付け、掃除機を一通り済ませたあと、ふぅと息をついてソファに腰を下ろす。
そのまま、ふかふかのクッションに身を預けていると、知らず知らずのうちにまぶたが重くなっていた。
――夢の中。
やわらかな陽の光の中、すちが何度も何度も「好き」と囁きながらキスを重ねてくる。
髪を撫で、指先を絡め、笑いながら抱きしめてくれる。
けれど――
どこかで、すちの体温がふっと離れるような気がして、不安になる。
「……すち……どこ?」
触れられないぬくもり。届かない声。
(……会いたい、そばにいて……)
――その不安に、胸がぎゅっと締め付けられた瞬間、みことは目を覚ました。
ソファの上。薄いブランケットを肩から滑らせながら、みことはぼんやりと玄関の方を見つめた。
(……なんでこんなに、すちのことばっかり考えてるんだろう)
会えない時間が寂しくて、夢の中まで追いかけてしまう。
目が覚めても、抱きしめてくれたぬくもりを探してしまう。
(これって……執着?依存?)
自分の気持ちが少し怖くなる。でも――
(……すちが好きで好きで、たまらないだけ、なんだよね)
悩んでも、結局は愛しいという気持ちに戻ってきてしまう。
みことは少し笑って、小さく息を吐いた。
「……会いたいな。迎えに行こっかな」
夕方。
すちの職場近くのショッピングモール。
ぶらぶらと歩きながら、みことはまだ少しぽやんとした表情で時間を潰していた。
すると、後ろから名前を呼ぶ声が。
「みこちゃーんっ!」
驚いて振り返ると、にこにこと笑うこさめと、ややだるそうに手をあげるひまなつの姿。
「えっ、なっちゃんにこさめちゃん……!?」
「奇遇だね〜、まさかここで会うとは!」
「らんといるま、仕事終わるの待ってんだよ。あいつらって、終わる時間ブレるから暇潰ししに来た」
「みこともすち迎えに来たの?」
「うん……そうなんよ。でも、ちょっと変かな、って思ってた」
みことは立ち止まり、指先をぎゅっと重ねるようにして、小さな声で続けた。
「……なんか、寂しくて。会いたくて。でもこんなに想ってる自分が、ちょっと怖くなったりして。……依存しすぎかなって」
こさめがぱちくりと目を瞬かせたあと、にっと笑って言った。
「俺も、らんくんいないと不安だよ?なんか、手持ち無沙汰になるし。声聞きたくなるし。いつでもくっついてたいし」
「……俺も、正直……ひとりの時間って苦手」
ひまなつは視線を逸らしながらも、ぼそっと言った。
「依存したっていいだろ。俺ら、そんくらい好きなんだから。……みことだけじゃないよ」
その言葉に、みことは思わず目を瞬かせてから、ふっと笑った。
「……うん。ありがとう。なんか、少し楽になったかも」
3人はそのままベンチに腰掛けて、飲み物を飲みながら、ゆるやかに世間話を続けた。
日常の中で重なる、ほんの少しの不安。
でも、それは愛している証拠。
誰かを心から求めることは、弱さじゃなくて、愛し方のひとつ。
みことは改めて、すちへの想いを胸の奥でそっと確かめた。
ショッピングモールのベンチに腰を下ろし、冷たいドリンクを手に3人はひと息つく。
思いがけない再会に驚きつつも、話題は自然と恋人たちのことへと移っていった。
「こさめちゃんは、らんくんと最近どうなん?」
みことが問いかけると、こさめはちょっと目を泳がせてから笑う。
「……いや、最近さ、やたらベランダ好きで……夜風気持ちいいからって……」
「え? まさか外で?」
「そう。マンション高層階なのがせめてもの救い。しかも、声我慢できんし、終わったあと覚えてへん……」
「うわあ……それ、やばいな」
ひまなつはくっくと笑いながらも、どこか他人事じゃなさそうな顔。
「いや俺も似たようなもんだよ。最近、いるまに妙なドリンク飲まされてさ。なんか……変に体熱くなるやつ」
「まさか……媚薬?」
「たぶん。本人は“ちょっとした元気ドリンク”って言ってたけどさ。で、手加減なしでボロボロにされて、次の日声出なかった」
「えぇ……」
みことは苦笑しながらも、うんうんと頷く。
「……俺も、録画されてて、もう……無理ってなったのにやめてくれなくて……」
言い終わる頃には、ひまなつもこさめも少し引いたような顔をしていた。
「……すちって、ドSすぎん?」
「ほんとそれ。で、それに付き合ってるみことも、正直すごいわ……」
「だって、何言ってもやめてくれないんよ……でも、やめてほしくない気持ちもある……というか……」
みことが言葉を濁して頬を赤く染めると、こさめとひまなつも顔を見合わせて小さく笑った。
「わかる……こさめもそう」
「……俺も」
3人は、なんとも言えない照れ笑いを浮かべて頷き合った。
それぞれにちょっと過激で、ちょっと甘すぎる恋人との日常。
まさかの「夜の愚痴」で盛り上がるなんて思ってもみなかったが、どこか安心できる時間だった。
こさめとひまなつに別れを告げ、みことはすちの職場近くの建物の入口付近に移動した。
少し肌寒くなってきた夕暮れ。風にそよぐ街路樹の下で、みことはスマホをそっと見つめる。
《仕事終わったよ。今から帰るね》
──すちからのメッセージ。
心がふわっと軽くなって、自然と笑みがこぼれた。
(……もうすぐ会える)
程なくして、自動ドアが開く音とともに、スーツ姿のすちが人混みの中から現れた。
「すち!」
みことは思わず声をあげて、手を軽く振る。
すちはその声に目を丸くして立ち止まり、すぐに微笑んだ。
「……みこと」
まるで吸い寄せられるように歩み寄り、みことの細い身体をそっと抱きしめる。
「……迎えに来てくれたんだ」
胸元に顔を埋めるようにしながら、低く、優しい声でそう囁く。
「うん……待ってた」
腕の中で聞こえるその小さな声に、すちはさらに抱きしめる力を強くした。
夕焼けの街を並んで歩くふたり。
自然と指先が触れ合い、手を繋ぐ。
「今日は……どうして迎えに来てくれたの?」
すちがふと尋ねると、みことは少しだけ歩みをゆるめて、視線を下げた。
「……夢を見たんよ。すちがいっぱい優しくしてくれる夢。すちがいっぱい『好き』って言ってくれた」
「……うん」
「でも……途中でいなくなって、不安になった。目が覚めたら、すちに無性に会いたくなっちゃった」
ぽつりぽつりと語られる言葉は、あまりに純粋で、胸に刺さるようだった。
すちは少し立ち止まり、みことの手を握る力を少し強めた。
「夢の中の俺、なかなかズルいな」
「えっ……?」
「だって、そんなにみことを寂しくさせて、なのにいっぱい好きって言って……俺、ちょっとだけ妬いてる」
くすっと笑ったあと、すちは道端に立ち止まり、周囲に人がいないことを確かめてから、みことの頬を優しく両手で包んだ。
「……現実の俺の方が、ずっと好きって言えるよ」
そう言って、額にキス。
そして――
「好きだよ、みこと」
唇にも、そっと触れるようにキスを落とした。
みことは驚きで目を瞬かせながらも、すぐにふにゃりと笑って、すちの手を強く握り返す。
「……俺も、すちが好き。ずっとそばにいてほしい」
「もちろん。俺から離れるつもりなんて、1ミリもないよ」
夕暮れに溶けていくように、ふたりの声が街のざわめきに吸い込まれていった。
優しいキスの余韻と、繋いだ手のあたたかさを胸に――
ふたりは、まっすぐに帰り道を歩いていった。
「「ただいま」」
玄関のドアが閉まる音と同時に、みことがふっと微笑んで靴を脱ぐ。
すちは、みことの荷物を受け取りながら「寒くなかった?」と優しく問いかける。
「ん、大丈夫。すちと会えたから、あったかくなった」
その一言にすちは照れたように目を伏せ、肩を竦めた。
「……ほんと、みことって、たまに心臓に悪い」
「え?」
「かわいすぎるってこと」
みことは赤くなって目を逸らすけど、すちはその横顔を見逃さず、後ろから抱きしめて、頬にキスをした。
「さて、夕飯どうする?」
「もう作ってあるよ」
「えっ……!」
すちは目を丸くする。
ダイニングには、きちんと整えられた食卓と、ふたり分のあたたかいごはん。みことの手作りだ。
「今日は、お迎えもしてくれたうえに、晩ごはんまで……」
「ふふ、がんばったでしょ?」
「うん。めちゃくちゃ頑張ってる。朝無理させたし休んでよかったのに。愛情感じてばかりだ」
「……すちもじゃん」
2人は目を合わせて笑い、いつものように「いただきます」と手を合わせた。
あたたかい味噌汁、煮込みハンバーグ、そしてサラダと白ごはん。
普段と変わらないが、どこよりも幸せなごはんだった。
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