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「あれぇ……」
ちびっこ野球教室に通う太郎は一人、膝丈まである夏草の中を目を皿にして見回した。
練習のときに取り損ねたボールが見つからないのだ。
今が盛りと鳴きやまぬ蝉の声と、西に大きく傾いた真っ赤な夕焼けがグラウンドを染める。教室の仲間たちは先に帰ってしまった。
太郎が辺りを見回していると、隣の草むらがガサガサッと揺れ、緑の茎をかき分けて体長20cmほどの小人が飛び出してきた。葉っぱの帽子に、葉っぱの服を着たまるでピーター・パンのような出で立ちの小人は、キーキーと顔を真っ赤にして、小さな両手足を大きく振り回して怒りをあらわにしていた。
「お前か!オレサマの家を壊したのは!」
小人は右手を腰に当てて小さな左腕を伸ばすと、太郎の右の草むらを指さした。
太郎が草むらに目を凝らすと、野球ボールがあった。そして、その下にたくさんの枯れ葉がつぶれていた。
ボールが当たったんだ、と太郎はすぐに理解した。
太郎はボールを取ってポケットに入れると、枯れ葉をすくって元に戻せるか試してみたが、枯れ葉はいっそう崩れてしまい、小人をさらに怒らせる結果となった。
「ごめん……」
太郎は申し訳なく眉尻を下げた。
顔を真っ赤にして怒る小人のキーキー声に、太郎はハッと顔を上げ、ポケットからハンカチを取り出した。
辺りを見回して、小枝を見つけると、太郎は地面を少し掘って、小枝を突き刺した。
小枝の先端にハンカチの真ん中をかける。
すると、小人用のテントのようなものが作れた。
「これで代わりになるかなぁ」
太郎が不安げに問いかけると、小人はテントの中へと頭を突っ込んだ。
小人はテントの中に入り内装を確かめるように見回すと、腰に手を当て右の口角だけをあげて、ニッと笑った。
少しして、小人がテントから顔を出す。
小人は興奮気味に頬を紅潮させ、満面の笑みを太郎に向けた。
「いいぞ!いいぞ!気に入った!お礼にお前の願いをかなえてやる!何がいい?」
太郎は驚いて目を白黒させたが、すぐに願いを考え始めた。
最近は少しヒットを打てるようになったけど、お兄ちゃんみたいに速く走れないから、アウトになっちゃう。
そうだ!
「足が速くなりたい!お兄ちゃんに負けないくらい!」
小人はにこにこ笑うと、「よし、いいぞ!」と言って草むらからどんぐりを取り出した。
「こいつを持って走りな!そうしたら風のように速く走れるぞ!」
小人は、どんぐりを両手に掲げ、太郎に差し出した。
太郎はどんぐりをつまんで受け取った。
そのどんぐりはどこか重たく、キラリと輝いて、太郎の目には特別な宝物のように見えた。
「ありがとう!」太郎はどんぐりを大事そうにポケットに入れると、礼を言って小人に手を振った。
翌日、野球の練習試合が行われた。
太郎はポケットの中のどんぐりに触れて、バッターボックスに立った。
あの草むらで緑の帽子が揺れた気がした。カキン!と気持ちの良い音が鳴り響く。
けれど、ボールは二塁の辺りで落ちてしまう。
太郎は走った。
湿った風が肌にまとわりつき、太郎の足下で小さな旋風を作った。
足下の砂が巻き上げられ、砂ぼこりが太郎の体をのみ込んでいく。
太郎は体が自分のものではなくなっていく感覚に陥った。
目を閉じることもできず、観客の声が遠のき、周りの動きがゆっくりになっていく。
やがて、世界から音が消え、動きも消えた。
一瞬、緑の帽子が視界いっぱいに広がった。
次の瞬間、「すごいぞー!」観客の声がした。
気がつくと太郎は一塁ベースを踏んでいた。
審判を見る。
審判の両腕が水平に広げられる。
グラウンドに歓声が響いた。
太郎はポケットの中のどんぐりを軽く叩くと、満面の笑みで観客に応えた。
練習試合は、太郎の大活躍により3対1で勝利した。
いつも負けていた試合相手なだけに、太郎たちの喜びはひとしおだった。
太郎は仲間に囲まれながら、そっとあの草むらの方を見た。
‐ありがとう。
心の中で呟いて太郎は仲間たちとの勝利の余韻へと戻っていった。
その様子を、小人はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて草陰から見ていた。
「いいぞ、いいぞ!どんぐりが壊れたらまたオレサマを探しに来い。イイモノいっぱいくれてやる」
小人は舌なめずりをして、太郎を見つめた。
小人の背中では、小さな黒い先端の尖った尻尾がゆらゆら揺れていた。
湿気を含んだ肌にまとわりつく風がグラウンドを駆けていった。
fin