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同棲中です。
⚠一部、解釈次第では強引に感じられる描写を含みます
午後の陽光がカーテン越しに柔らかく差し込む部屋。
クラピカは部屋の隅の椅子に座り、分厚い本を読んでいた。
ページをめくる微かな音だけが空間を満たしていたが、それも長くは続かなかった。
キッチンからマグカップを二つ持って現れたクロロは、片方をサイドテーブルに置き、もう片方のカップに口をつけながら、椅子に座るクラピカの横顔をじっと見下ろした。
「……また難しそうなの読んでるな」
そう言いつつ、その声にはどこか楽しげな響きが混じっていた。
クロロ自身も本を好む人間だ。ただしクラピカが読む類のものとは、根本的に毛色が違うのだが。
そのままクロロはクラピカの隣に腰を下ろし、肩が触れるか触れないかの距離に収まった。手にしたカップからはコーヒーの香ばしい匂いが立ち上っている。
「何の本?」
「…私が何を読んでいようと、貴様には関係ないだろう」
その素っ気ない返しに、クロロは気分を害した様子もなく、むしろ愉快そうに目を細めた。
カップの縁に唇を当てたまま、横目でクラピカを見る。
「そう言われると余計に気になるんだけど」
本を読むことに集中しているクラピカの空いた手が髪に伸びた。読書の邪魔にならないよう、目にかかった一房をそっと後ろへ流す。
「……」
ずっと本へ向けていた視線をクロロに向ける。
ようやく視線がぶつかった。
「やっとこっち向いた」
クロロの目がふっと和らいだ。
クラピカは少し考え込むような仕草を見せてから、口を開いた。
「……“人間の心理について”。……本の題名が聞きたかったのだろ」
「…ふーん」
面白がっているのか、それとも別の何かを嗅ぎ取ったのか。
曖昧な声色でクロロは返した。
「俺の心理でも研究してるのか?」
冗談めかした口調だったが、声のトーンが半音だけ下がった。
顔を寄せたまま、鼻先がかすめるほどの近さでクロロが目を覗き込む。吐息がクラピカの肌をくすぐった。
「だとしたら、本より実物のほうが参考になると思うけど」
そう言って、自分の胸元をとん、と指で叩いた。口元には薄い笑み。
けれどその目だけは笑っていない。試すような、値踏みするような光を帯びて、まっすぐクラピカを見つめていた。
「貴様の心理を研究したところで、何になる」
眉をひそめるクラピカの表情を見て、クロロは小さく笑った。
肩の力が抜けるように、ほんの少しだけ体が離れる。
「つれないな」
それだけ言って、クロロは目を閉じた。
クラピカの肩に、ことりと頭を預ける。重い。長身の男の体重を片側に受けて、椅子が微かに軋んだ。
しばらくの静寂。
クロロが口を開いたのは、クラピカの指が3ページほど進んだ頃だった。
「……俺にも読ませて」
声だけは先ほどより幾分か穏やかだった。もっとも、断れるような空気ではなかったのだが。
「別にいいが……好みかどうか…」
至近距離で見上げてくるクラピカの顔は、呆れと諦めが半々に混ざったような色をしていた。
「好みかどうかは、俺が決める」
クロロは肩から頭を上げ、姿勢を正すと、自然な動作でクラピカとの位置を入れ替えた。
背もたれに体を預け、長い脚を組む。そしてクラピカの腕を引き、自らの脚の間に収まるよう誘導した。後ろから抱え込むような形。顎をクラピカの頭の上に乗せ、片腕を腰に回す。
「この体勢のほうが読みやすいだろ」
「…そんなに密着しなければ読めないのか?」
クロロに体を寄せられることには、もう抵抗はない。
だがクラピカは、一応問いかける。
「読めない」
即答だった。
一切の間を置かない、清々しいほどの嘘である。先ほどまで一人で本を読んでいたクラピカを眺めていた男が、そんな不便を被っていたはずがない。
腰に回した腕にわずかに力を込め、クラピカの背中を自分の胸板に密着させる。
体温が服越しに溶け合う距離。クロロの心臓の音が、嫌でもクラピカの耳に届く位置だった。
クロロは涼しい顔でページの先を追っている。
「お前、こういうの好きなんだ」
腰に置かれた手が、無意識なのか意図的なのか、クラピカのシャツの裾の下に滑り込んだ。
「……」
クラピカはクロロの手を、それ以上動かないように掴む。当の本人は掴まれた手を引くでも押すでもなく、そのまま止めた。指先だけがクラピカの素肌に触れた状態で。
会話が途切れた。
二人はそのまま、しばらく同じ姿勢でいた。クロロが不意に、噛み殺すこともせず大きく口を開けてあくびをする。それからクラピカの頭に顎を乗せ直して、ぼそりと呟いた。
「眠い……」
旅団の団長ともあろう男の、あまりにも無防備な一言だった。殺しも盗みもやる男が「眠い」と言って、クラピカの後頭部に顔を埋めている。
午後三時の日差しが傾き始め、部屋の影が少しだけ伸びた。
返事は期待していないのか、それとも待てなかったのか。腰に回された腕がずるりと下がり、クラピカごと椅子の背もたれへ体重を預けた。
「……このまま寝ていい?」
「好きにしろ」
「…ん」
それだけ返して、クロロの呼吸がすぐに深くなった。本当に寝るのかと疑うほどの速さだったが、クラピカの首元にかかる吐息のリズムは確かに規則的になっていく。
本はまだ開いたままだった。
ページの角がクロロの肘に押されて、少し折れている。
クラピカが身じろぎしようにも、拘束がそれを許さない。
クラピカ自身もクロロに体を預け、寝ようか考える、
「……あ、牛乳……」
しかし、突然牛乳が切れていたことを思い出す。クラピカはクロロをぺしぺしと叩き、起こそうとした。しかし威力もなく、クロロの肩を打つだけだ。猫がじゃれているようなものだった。
微動だにしない。完全な熟睡に見えたが─
三度目の平手が肩甲骨あたりに入ったところで、うっすらと片目が開いた。
「……んん」
半分寝ている。焦点の合わない目でクラピカを見下ろし、それからまた目を閉じかけた。
「……なに」
声が低く掠れていた。普段の滑らかな弁舌はどこへやら、舌が回っていない。
起こそうとするクラピカの意図を本能的に察知したのか、「逃がさない」とでも言うように引き戻す力が加わる。
「……あと五分」
まるで子供の言い分だった。
「貴様のために待つ時間などない」
眉間にしわを寄せたクラピカの顔を、至近距離からぼんやり見つめて。
「……怖い顔してる」
そう言いながらも起きる気配はない。
むしろクラピカの眉間のしわを戻そうと、半開きの手を持ち上げ――途中で力尽きて落ちた。
「……買い物?」
「ああ」
寝ぼけた頭で、クラピカの言葉の断片を拾ったらしい。
数秒の沈黙。
クロロの中で何かが繋がったのか、腰の腕がようやく緩んだ。
のそりと体を起こし、髪がぐしゃりと乱れたままクラピカを見る。
「一緒に行く」
寝起きの人間の台詞とは思えない即断だった。「一人で行かせない」という意思だけが、そのまま口から出力されたような声。
「なら早く支度をしてこい」
すでにクラピカは腕の中から逃れていた。クロロの膝の上には何もない。
クロロはのろのろと立ち上がりかけて、ふと止まった。
「立てない」
「………は?」
旅団を率いる男。幻影旅団団長、クロロ=ルシルフル。その男が今、椅子にだらりと座ったまま「立てない」と申告している。威厳は牛乳と一緒に切れていた。
掌を上に向け、手を差し出す。
「引っ張って」
目元がわずかに笑っていた。
甘えているつもりなのか─いや、この男はクラピカがどんな顔をするか見たくてやっている。
はじめはだるそうにしていたクラピカだったが、時間の無駄だと思い、クロロの腕をつかんで引っ張った。引かれた勢いで立ち上がる。しかし、勢いのままクロロは腰と背中に腕を回して抱きしめた。
計算通り、という顔を隠しもしない。
「ん、ありがとう」
「……はぁ…今お前がするのは礼ではなく支度だろう」
この「ありがとう」は引き上げてもらったことへの感謝なのか、それともこの体勢になったことへの満足なのか。おそらく後者だ。
クラピカの首元に顔を埋めたまま、くぐもった声で。
「あったかい……」
腰に回された手は、先ほど椅子で寝ていたときよりもよほどしっかりと力が入っていた。
とても「立てなかった」人間の腕力ではない。
「感想はいいから支度をしてくれ」
「……あと十分」
さっきは五分だったはずだ。どんどん時間が増えていく。
「……貴様……」
クラピカが何かを言いかけた時にクロロが口を塞ぐように口付けをした
数秒。 あるいはもっと短かったかもしれない。 ゆっくりと唇を離して、 何事もなかったようにクラピカの顔を見た。 半開きだった目はいつの間にかしっかり開いていて、あの底の見えない真っ黒な目が真正面からクラピカを捉えている。
「──よし。 目、覚めた」
目を覚ます方法が致命的に間違っている。頬に当たるクロロの体温は、先程までの寝ぼけ人間のものとは違った。はっきりと意識的な熱を持っている。親指でクラピカの下唇をひと撫でした。
「支度してくる」
あっさりと腰の手を解き、踵を返した。
その足取りは、さっきまで「立てない」と言っていた人間とは思えないほど軽い。
「……はぁ……」
本日二度目のため息だった。
クロロが寝室に消えた後、クラピカのため息だけが部屋に残る。唇にまだ微かな熱が残っているが、それを拭う素振りもないあたり、やはり慣れというものは恐ろしい。
数分後、着替えを済ませたクロロが戻ってきた。黒のジャケットに白のシャツ、いつもの出で立ち。
クロロが玄関に向かいながら振り返る。
「ほら、行くぞ」
切り替えが早い。
外出用の顔になったクロロには、もう先程のだらしなさの欠片もない。あの姿を見せる相手がクラピカ以外にいるかどうかは別の話だが。ドアを開けて外の空気を吸い込むと、クロロはわずかに目を細めた。それから、まだ部屋の中にいるクラピカに手を差し出す。今度はただ真っ直ぐ、当然のように。
何のため息を吐こうかと一瞬考えたが、クラピカにはもうこの仕草も慣れっこだった。そのままクロロの手を取り、部屋を出た。
外の空気は少しだけ冷たく、午後の匂いがした。クロロは何も言わず、当然のようにクラピカの歩幅に合わせて歩く。
結局、買い物が牛乳だけで終わるわけがなかった。
パンパンに詰まった袋をクロロが片手で持っている。
「…重いのなら私が持つが…」
「いや、いい」
そうか、と言いつつ心配なのかクロロを見つめている。
「…?」
クロロはさっきから柄にもなく、口を開けたかと思えば何を言うこともなく口を閉じたり、目をずっとクラピカからそらしたりしている。
「…?なにかあるのなら口にしてもらわなければわから…」
すると突然クラピカの腕を掴み、家とは真逆の方向に向かった。最後まで言い切らせてもらえないまま、連れて行かれた場所は路地裏だった。路地裏の暗がり。 表通りの喧騒がくぐもって聞こえる、 街灯も届かない狭い空間。 壁と壁の間に挟まれるようにして、クラピカはクロロを見つめていた。
「…??」
頭のうえにはてなマークを浮かべていたクラピカの口に無理やりキスをする。
バサッ…袋が地面に落ちる音がした。
すぐに唇が離れた。ほんの数センチ。 息がかかる距離で、クロロは目を細めていた。家で見せていた穏やかな顔とは、どこか違う。
「……わり、急にしたくなって…」
沈黙が落ちた。 表の道路を車が通り過ぎる音が遠くで響く。 クラピカは何も言わず、ただクロロを見上げていた―その緋の目に浮かぶ感情を読み取れるのは、おそらくこの世でこの男だけだ。
「怒った?」
怒っていないことは分かっている。 分かった上で聞く。
案の定、クラピカは黙ったまま首を横に振った。
しかし、その顔はずっと地面に向けられたままだ。
クロロは壁についていた手を下ろし、クラピカの耳元に口を寄せた。
「…帰ろう」
声は静かだったが、 その奥に滲む熱は隠しようがなかった。足元の袋を拾い上げて、 何事もなかったかのようにクラピカに背を向けた。が、歩き出したのは三歩だけ。クラピカがクロロの袖を掴んだからだ。
クロロは不思議に思い、後ろを振り返る。
「……いい…ここでいいから…」
そこには普段の様子からは考えられない、頬を真っ赤に染め上げているクラピカがいた。