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「あぁ……またこの夢だ」
夢の中で気付く既視感
遠くで聞こえる狼の遠吠え
幼少期から見続けている悪夢
最近は頻繁に夢に出てくる
音源が近づいている気がする
色濃く漂う獣臭
猛烈に感じる熱気
でも大丈夫
私は知っている
どうすべきかを
そっと目を閉じ
この恐怖に抱かれるままに
時の流れに身を任せ
じっと過ぎ去るのを待つ——
***
ジリリリリ♪
スマホをタップし
アラームを止め
夢から目覚め
また始まる現実の一日
時間と共に回復する意識
甦る昨晩の記憶
私は見てしまった
夫のライン——
いびきをかいてソファで眠る夫
悪びれる様子もなく
無防備に置かれたスマホ
ピコン♪
ロック画面に映る着信通知
それを目にして
時が止まった
でも
冷めた心で思う
何を憂う事があるだろう
予想は出来ていたはずだ
夫のスマホは
顔認証でいとも容易く開いた
男の名前で登録された
女からのメッセージ
浮気相手なのだろう
隠す努力すらせず
私などどうでも良いのだろう
卓を囲む事もなく
会話もまばら
私は夫の何なのだろう
私は一体何者なんだろう
そして今日もいつもと同じ
霧がかった心を曇らせ
オフィスへと出勤する
***
いつもと違うオフィス
早朝から慌ただしかった
買収元の新経営陣が来訪していた
大広間に集められる社員達
対面に相対する見知らぬ数名
中央の一人が一歩歩みを進め
社員一同に語り掛ける
「皆さま初めまして。既に存じていると思いますが、この度この会社はVolkovグループの傘下へ編入する運びと相成りました。それに伴いこれまでの体制は変革されます。しかし心配は無用です。この会社がより良くなる様に、急激な変化に戸惑わぬ様に、現状を見極めながら徐々に進めて参ります——」
風格ある逞しい体格に
ビシッっと整ったスーツ
銀髪に鋭い碧眼
鼻筋の通った高い鼻
その見た目とは裏腹に
滞りない流暢な日本語で説く
「遅ればせながら、私が新たにCEOに就任しましたリュカ・ヴォルコフです。生まれはロシアですが、学生の時分より長らく日本で暮らしています。これから皆様と一緒に働く事になります。この会社の良い所も悪い所も知っているのが皆様です、是非私にも力添え下さい。私もこれから学んで行きます。共に力を合わせて前進して行きましょう!」
創造
維持
破壊
万物の理
維持の次に来るのは破壊だ
変化は破壊を意味する
人はぬるま湯に浸り
飛び慣れた空を好む
社員一同
緊張を孕んだ面持ちで
固唾を飲んで
新CEOの就任挨拶を見届けた
私は彼に
どこか既視感を覚えていた
***
「新社長イケメンじゃない?」
案の定ランチタイムの女子界隈は新CEOの話題で持ち切り
実情など眼中にない
その見た目に興味を奪われた
「あのビジュアルで日本語完璧なのチートだよね」
裏腹に管理職勢は戦々恐々
変化を望まず陰口を叩く者と
新基準の波に乗らんと構える者
おおよそ二分された
「水川さんはどう?結構好みだったり?」
「あ、あはは、私既婚だし……」
自分でそう切り出し
昨晩の夫の浮気がフラッシュバックする
「相変わらず真面目ちゃん~そんな深く聞いてないよ」
私は日々のランチタイムでさえ
未だに馴染めていなかった
同期の女子勢には暗黙の群れがある
中心は神崎さん
ただ目を付けられたくないだけ
ただ穏便な立ち位置にいたいだけ
それだけの為に一緒にいる
と、その時
ふと香水の香りが鼻に突いた
知った香の気がした
どこかで嗅ぎ覚えのあるような——
……
どうでもいい匂いの情報
でも
放置すべきでない気がした
ただ直感的にそう思った
巡らす思考
巡らす記憶
そして
薄っすらと浮かび上がる
何の根拠も無く
確信のある情景
そうだ
これは
夫が深夜帰宅する時に匂った香り——