義姉と同じ名前になりたいと言った令嬢は、正確には義姉そのものになりたいようだった。
「変われるのなら髪は金で瞳の色は翠緑がいいわ。だって、そうしたらきっと愛してもらえるから」
胸を刺すような痛みを感じて、アベルは魔術の行使を止めた。
令嬢が自分自身を受け入れられるようになるまで一時的に別の名前を与えることで、負担を軽くしようと思ってのことだったが、この子にこの魔法は効き過ぎる。戻って来れなくなるかもしれない。
アベルは小手先の魔法で彼女をしあわせにしようとしたことを恥じた。高位の魔法使いほど、問題を魔法で解決しようとする悪癖を持ちがちだが、魔法使いでなくとも人は人をしあわせにできる。それを忘れかけていた。
「君は十分に魅力的だから、変わる必要なんてないと思うよ」
「嘘よ、髪なんて汚いねずみ色だし。瞳はグレーだし」
令嬢の言葉に、周囲のメイド達が笑う。
その仕草は誕生日プレゼントを用意した大人のようで、嫌な感じはしなかった。
控えていた執事がいち早く動いて、戻ってくる。
「鏡をお持ちしました」
大人の胸元ほどの高さの10歳の令嬢には大きな姿見だ。
そこに映っていたのは、白い雪のような髪はきれいに切りそろえられ、双眸には宝石のような青い瞳、磨かれた肌に研がれた爪先。唇は透き通ったピンク色をしている。
一言でまとめるならば妖精がいた。
「…………………………誰?」
「お嬢様です」
「え、あの。大丈夫? わたし、誰かの身体をとったりしてない?」
「そのような魔術はこの世にありません、少し手入れをさせていただいただけです」
そばかすに赤い髪のメイドがそう告げる。
人がここまできれいになるなら、それはある意味魔法なのでは? と思って令嬢は考え直す。
髪はわかる。これまではちゃんと洗う時間をもらえなかったから、丁寧に洗えば綺麗になるかもしれない。爪も肌もそうだ。でも、瞳の色が変わるなんて。
「産まれた頃はグレーだった瞳が成長するにつれて青くなることもあるよ」
「そうなんだ」と、令嬢は納得する。
アベルも昔は瞳の色はグレーだったらしい。
鏡に映る自分の姿は否定しようもないけれど、自分がきれいになったことはにわかに信じられなかった。
身体以上変化があったのは令嬢の視界の方だ。まっとうなやり取りが、彼女の視界に色彩を取り戻した結果、自分自身の瞳の青さに気づいたというのが正しい。
気づけば周囲の使用人たちを覆っていたもやがほとんど消え失せている。
さっきの赤い髪にそばかすのメイド。緑の髪にくせ毛にメガネのメイドに、茶髪に長い髪のメイドに、黒髪に片眼鏡の執事に……まだたくさんいる。
今までちゃんと見えていなかったものが急に見えるようになって、情報量の多さにクラクラした。
「お風呂に入れたのは私ジーナと」
「ミレナでーす。よろしくね」
そばかすのメイドと緑髪にメガネのメイドが微笑む。
「これからお食事の時間ですからお嬢様は着替を。ご体調の方はいかがですか?」
ジーナの言葉に戸惑っていると、ミレナが「お腹減ってない?」と翻訳してくれた。
お腹が減っていると言ったら、たくさん食べさせろという意味になって厚かましいだろうか、嫌われたくない。嫌われたらどこにいったらいいかわからない。どうしたらいい?
令嬢はそんなことを考えて固まると、お腹がくうと鳴った。
メイドたちが頷き合って出て行く。得体の知れない温かいものに包まれたように感じたが、それは優しさというものだった。
茫然としていると、アベルがしゃがみ込んで令嬢に手を差し伸べる。おずおずと手を取ると王子が手の甲にキスをした。令嬢の心がぴぎゃと鳴く。
「安心してくれ、ここに危険はないし。君を傷つけるものは誰もいない」
「もしいるなら追い出す。何があっても僕は君の味方だからね」
令嬢があわわと赤くなっているのを見て朗らかに笑い、離れようとすると、今度は令嬢がアベルの足にしがみついた。
「もう少しだけ、もう少しだけ。こうさせてください」
人生でこんなに優しくされたことなんてなかった。
大切にされたことなんてなかった。
令嬢は泣いた。
アベルの服は濡れたが、誰も気にしていないようだった。
令嬢の記憶は凍り付き、魔法使いとの記憶は凍結されている。アベルともほとんど初対面だ。それでも、二人のつながりが途絶えることはなかった。
運命はより深く、絡み合っていく。
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