「……奴とのダンスはどうだった?」
皇帝とのダンスを終えて戻ってきたイネスに、アルベリクが眉間に皺を寄せながら尋ねる。
明らかに不満が顔に出ている。
「ふふっ、機嫌を直してください、アルベリク様。わたしたちの想定どおりの展開になっていますよ」
「それならいいが……」
苛立ちを落ち着かせようとしているのか、アルベリクが目を瞑って深呼吸する。
そんな彼のやや子供っぽい姿にくすっと笑うと、イネスはアルベリクの腕を取った。
「ですから、もう少ししたら別行動を取ることになるはずです」
「……わかった」
アルベリクが真面目な面持ちでうなずく。
「母は俺に任せてくれ。イネスは奴を頼む」
「はい。今夜、すべてを終わらせましょう」
「ああ、必ず……」
アルベリクがイネスの額に口づけようとしたとき、聞き覚えのある女性の声がそれを遮った。
「イネス様」
「……オドラン伯爵令嬢」
声がした先を振り向くと、そこには以前お茶会で知り合い、皇帝と会う伝手となってくれたオドラン伯爵令嬢が微笑みを浮かべて佇んでいた。
隣には彼女の兄だろうか、よく似た顔をした男性もいる。
「またお会いできて光栄ですわ。よろしかったら、あちらで一緒にお話ししませんか?」
「オリヴィエ辺境伯、はじめまして。オドラン伯爵家のダニエルと申します。僕は辺境伯領に興味がありまして、よろしければ向こうで話を聞かせていただけないでしょうか」
イネスとアルベリクが顔を見合わせる。
そろそろ皇帝からの遣いが来る頃だとは思っていたが、それが彼らというのは予想外だった。
(それにしても、わたしとアルベリク様を引き離そうとしているのがあからさますぎるわね)
思わず苦笑してしまいそうになるのを、なんとか堪える。
皇帝としては、前回オドラン伯爵令嬢が出会いのきっかけを作ってくれたから今回も利用することにしたのだろうが、兄妹揃ってあまり利口そうには思えない。
とはいえ、もちろんこの誘いに乗らない手はない。
イネスがオドラン伯爵令嬢と話したそうに、アルベリクにねだってみせる。
「アルベリク様、せっかくですし、少しお喋りしてきたいのですがよろしいですか?」
「……仕方ないな。では俺はその間、ダニエル卿と話をしてくるよ」
「ありがとうございます。では、また後ほど」
「ああ、またあとで」
作戦開始を合図するかのように、イネスとアルベリクがうなずきあう。
「それでは参りましょうか、オドラン伯爵令嬢」
「うふふ、ブリジットとお呼びくださいませ、イネス様」
イネスはブリジットに腕を組まれ、広間の外へと連れ出された。
◇◇◇
「オリヴィエ辺境伯、ワインはいかがですか?」
「いや、結構だ」
今夜は酒に酔うわけにはいかない。
アルベリクがすげなく断ると、ダニエルが眉を下げて肩をすくめた。
「オリヴィエ辺境伯はイネス令嬢がいないと別人のようですね」
「……どういうことだ?」
「驚くほど無愛想です。人間味がありません」
「……」
たしかに、イネスがいないときは、表情を変えることも自分から話しかけることも、ほとんどないかもしれない。昔からそうだった。
(だから否定はしないが……こいつは俺を怒らせたいのか?)
ダニエルは、皇帝とイネスの逢瀬を手伝うために、アルベリクを引き留めておく役割のはずだ。
それなのに、先ほどからいちいち神経を逆撫でするような言動をしてくるのが信じられない。
アルベリクが我慢できずにこの場を去ったらどうするつもりなのだろう。
(……まあ、何も考えていないのだろうな。これだけ空気が読めない男も珍しい。出世ができないわけだ)
哀れに思って嘆息すると、ダニエルがにやにやと妙な笑みを浮かべ出した。
「それにしても、イネス令嬢は噂以上の美女ですね。あれは男が放っておきませんよ。貴方はイネス令嬢とどこまで進んでるんです? 今は令嬢もいないですし、教えてくださいよ」
顔を近づけ、内緒話をするように声をひそめて話す内容は聞くに耐えない。
ここに人目がなければ、計画のことがなければ、すぐにでもその下卑た顔を殴りつけてやりたいところだった。
アルベリクは沸き立つような怒りを何とか抑え、意味深に口角を上げて見せた。
「イネスとどこまで進んでいるか? そうだな、ああ見えて彼女は──いや、これは人前では話せないな」
「えっ、そんなにですか」
「まあ、君には刺激が強すぎるかもしれない」
「いやいや、そんなことありませんよ。ぜひ詳しく聞きたいです。そうだ、庭園に行きましょう。そこなら人気もあまりないでしょうから」
「それなら話さないこともないが……」
「では行きましょう」
気が逸った様子で、ダニエルが強く提案する。
アルベリクはにやりと笑みを浮かべ、ダニエルを庭園へと連れ出した。
◇◇◇
「オリヴィエ辺境伯、どこまで行くんです? もう誰もいないですし、早く話を聞きたいんですが」
アルベリクの隣で、ダニエルがしびれを切らしたように催促する。
思いの外、遠くへと連れ出され、早くイネスの秘密の姿を知りたくて焦れている様子だ。
アルベリクは辺りを見回して人がいないことを確かめると、立ち止まってダニエルのほうを向いた。
「そうだな、ここまで来れば問題なさそうだ」
「でしょう。だから早く教えてください。イネス令嬢はやっぱり凄いんですか? どんな顔をして──」
「知りたいなら耳を貸せ」
好奇心が抑えられないダニエルがアルベリクに耳を寄せる。
ごくりと唾を飲み込み、アルベリクからどんな話が聞けるのかと期待に胸を高鳴らせていると……。
「……うっ!」
ダニエルは鳩尾に強い衝撃を感じ、その場にうずくまった。
「な、なぜ……」
訳が分からないといった顔でアルベリクを見上げたが、そのまますぐに意識を失って倒れてしまった。
「念のため、しばらく起きないようにしておくか」
アルベリクは魔法でダニエルを深く眠らせると、近くの茂みの中に蹴り飛ばした。
「お前のような下衆にイネスの話などする訳ないだろう」
このろくでなしの汚らわしい口からイネスの名前が出てくるだけで苛立ちが募っていた。
とはいえ、この男が愚かだったおかげで計画を円滑に進められたのも事実だ。
元々、アルベリクとイネスは別行動を取る予定だった。
アルベリクはミレイユを救出する役割。
イネスの担当はもちろん皇帝だ。
だから、オドラン兄妹の登場は別行動の合図のようなものだった。
アルベリクにとっては見張りがつくのも想定内。だから逆にそれを利用することにした。
見張りと一緒であれば、城の警護の目も多少緩くなる。アルベリクはダニエルを誘導して庭園へと向かわせ、ミレイユの部屋に近い場所まで移動した。
あとはそのままダニエルだけを眠らせてしまえば、アルベリクはダニエルと一緒に庭園にいると思わせることができる。
(皇帝も、ダニエル・オドランがあそこまで間抜けだとは思わなかったんだろうな)
だが、そのおかげでこちらの思惑どおりに事が運んでいる。
アルベリクは闇夜に紛れ、ミレイユの部屋がある棟へと向かった。
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