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「ブリットさん!」


ユベールは慌てて、ブリットと呼んだ女性の手から私を奪い取った。


「この人形は売り物ではありません! 確認もなしに、話を進めないでください」

「あら、それは残念ね。でも、こんな場所に人形を連れて来るユベールくんも悪いのよ。ここには注文と納品のみ。着飾った人形を見れば、誰だって勘ぐるものよ。違うかしら」


確かに。ブリットの言う通りだ。しかし、ユベールは私を鞄から出したわけじゃない。だから、筋違いではあるんだけど……。


何せ相手は取引先の人間。ユベールとて、無下にするわけにはいかないだろう。


「ですが、この人形はお祖父様と縁があるものでして。最近、ようやく見つけることができたんです」

「お祖父様って確か……英雄の?」

「はい。英雄と呼ばれている方ですが、この人形を探してほしい、という遺言を遺されたんです。父たちは無視していましたが、孫の僕はこの通り、人形に纏わる仕事をしていますから。これも縁だと思って探したんです」

「まぁ、そうだったの」


苦労したのね、とユベールの演技も相まって、ブリットは感激していた。けれどここで終わらせないのがユベールだった。


「だから、再び失わないように連れて来てしまった、というわけなんです。申し訳ありません」


お涙頂戴を演技しながらも、言葉の端々に「大事なんだから買い取るとか戯言をぬかすんじゃねぇよ」という幻聴が聞こえるようで、少しだけいたたまれない気持ちになった。


けれど幸いにも、ブリットには聞こえていないようだった。説得力抜群の言葉に頷き、私を見て「良かったわね」とハンカチに目を当てていたのだ。


大人たち相手に仕事をする、ユベールなりの処世術なのだろう。私はその才能に驚きを隠せなかった。勿論、懸命に人形を装いながら。


「そんな事情があったなんてね。英雄も、ユベールくんと同じようにお裁縫が得意だったのかしら」

「さぁ、父からは何も……」

「大丈夫よ。ちょっと興味本位で聞いたことだったから」


そういえば、私も知らない。ヴィクトル様の趣味を……。


「はい、次の注文と材料。あと、これ何だけど……ユベールくん、引き受ける? 嫌ならウチの仕事で忙しいからって言っておくけど」

「……いえ、僕もそろそろ精算したいところだったので、構いません。ラシンナ商会の後ろ盾がなくなっても、ブリットさんたちから仕事をもらえるので」

「一応、何かあったら口添えはしてあげるから、後腐れがないようにね」

「はい」


ラシンナ商会? 精算? 後腐れ?


二人が何を言っているのか、分からなかった。が、その一時間後。私は嫌でも思い知ることになる。ユベールが精算したい、といった理由が……。



***



再び鞄の中に入れられた私は、ホッと息をつく。しかし油断をするにはまだ、早かった。何せ、もう一箇所、寄る所があるのだ。


「できれば荷物を持ったまま、行きたいんだけど、いい?」


コン!


「ちょっと変な……いや、困ったお客様だから、忙しいって言って早めに切り上げたいんだ」


コンコン!


「え? ダメ?」


コンコン。


「違うの? う〜ん。やっぱりこれだと難しいな」


確かに。私ができるのは、鞄を叩くことのみ。それも二種類しかないのだ。

さっきだって、私はただ、困ったお客様でも真摯に対応して、という意味で二回叩いたんだけど……全く伝わらない。


「本当に難しい」


溜め息と一緒に声が漏れた。幸いにも、商店街のざわめき声で、私の小さな声は掻き消されていたらしい。ユベールからお咎めがなかったのが、その証拠だった。が、その数分後。


「もうそろそろ着くから、静かにね」


嗜められた。


「っ!」


もしかして、聞こえていたの!?


私は慌てで鞄を何度も叩いた。何で注意してくれなかったのよ、とはさすがに言えなくて。その代わりに。するとユベールは、鞄を優しく撫で始めた。

まるで私を宥めるようにゆっくりと。けれど私の羞恥は、すぐに納まらなかった。


「やぁ、ユベールくん。待っていたよ。といっても娘の方だがね」


そうこうしている内に、どうやら目的地に着いたらしい。知らない男の人の声が聞こえてきた。

とても申し訳無さそうな声で、逆にいたたまれない気持ちなる。それはユベールも感じたようだった。


「すみません」

「いいんだよ。所詮、シビルの我が儘なのは私も知っているし、ユベールくんもその気がないこともね」

「すみません」


ユベールの声のトーンが下がる。けれど相手の男の人は皮肉など言っていない。むしろ、謝罪に近いニュアンスだった。


シビルとは……娘さんのお名前かしら。


「まぁ、とにかく上がってくれ。シビルを呼んでくるから」

「ありがとうございます」


遠ざかっていく音と共に、段々と近づいてくる小走りの音。後者の音は、どこか軽やかに聞こえた。


「ユベール! ようやく来てくれた。ずっと待っていたんだからね!」

「ごめん」

「ブリットさんにちゃんと頼んだのか、お父様に聞いても「頼んだ」の一点張りだし。ブリットさんのところへ行こうとしたら――……」

「行ったのか!」


驚くユベールの大きな声に、体がビクッとなる。思わず口に出ていないか心配になり、両手で塞いだ。


「代わりにお母様が、ね」

「……はぁ。僕も暇じゃないんだ。頻繁にブリットさんのお店に行けるわけがないのは知っているだろう?」

「だから、あんな辺鄙なところじゃなくて、ウチに住めばいいって言っているじゃない」

「あそこは父さんと母さんの思い出が詰まっている家なんだ。別のところになんて……簡単に言わないでくれ」


言葉の端々に怒りの感情が垣間見える。一応、抑えているのだろうけれど……聞いているだけで、息苦しくなった。


自分に向けられていなくても、使用人たちから受けていた精神的攻撃を思い出したからだ。私はグッと唇を結んだ。


「もう二年も経っているのに、女々しいわね」

「……分からないのならそれはそれで構わないよ。だけど、それでご主人と女将さんに迷惑をかけるのはやめてくれ。本当はシビルの依頼も、これで最後にしたいんだ」

「えっ! そんなの困るわ。ユベールに来てもらえなくなるのは」

「困るのは僕の方だよ。ほら、忙しいんだから要件を早く言ってくれ」


近くで荷物が持ち上げられる音がした。忙しいアピールをしたい、とユベールが言っていたから、これはそれなのだろう。


「分かったわ。ちょっと待ってて」


相手が溜め息を吐いた後、その場を離れたらしい。ユベールもまた溜め息を吐く。こちらは少しだけ長かった。


「はい、これ。内容はいつも通り、中に入っているわ」

「うん。確かに。それじゃ、僕はこれで」

「あっ、待って、ユベール!」


相手の悲痛な叫びなど意に介さずに、ユベールは歩き出す。本当に迷惑をしているのが、手に取るように分かる素っ気ない態度で。


そんな、初めて見るユベールの冷たい姿に、婚約破棄を言い渡した時のヴィクトル様の姿が一瞬だけ思い浮かんだ。


きっと、今のユベールを見たら重ねてしまうんだろうな、と思いながら。


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