目の前の魔物は、明らかに異常だった。
切断したはずの腕が、逆関節のように折れ曲がって再生し、細胞ではなく金属パーツに近い“構造”が複雑に編み直されていく。
鞭で弾いた触手が、逆に軌道を予測して回避行動を取った。
《いや待て生成AIかよ》《再生速すぎる》《スパコンと戦ってんの?》
「……ほんと、その通りね……」
マリアは息を詰めながら、再度距離を取った。
背後の通路は崩落しており、撤退ルートも遮断された。
(通常の生体魔物じゃない……こいつ、“学習”してる)
その仮説を裏付けるように、魔物の左脚が異形の“槍”に変形した。
まるでプレイヤーと対峙する対人兵器のような挙動。
(生成型……まさか、アルカ・ユニオンが関係してる!?)
脳裏をよぎったのは、ダンジョン攻略において絶大な影響力を持つ《アルカ・ユニオン》の名だった。
アルカ・ユニオンとは、複数の医療・軍事・AI系巨大企業が合併して誕生したテック財団だった。国家をまたいだ影響力を持ち、ダンジョン攻略産業を「人類の進歩」として推進するテクノクラート集団。マリアを“プロジェクト・エルフ”として生み出した創造主でもある。
彼らはただダンジョンを攻略するだけでなく、「ダンジョンの構造そのものを複製し、商品化すること」を目標に掲げていた。かつては軍事演算用AIを応用して、ダンジョンを自律構築・運営させる試験プロジェクトがあった、という噂も流れている。
公式には否定されたそのプロジェクト名──
《ARCHLITH α:生成AI型ダンジョン構築プロトコル》
だが今、マリアの目の前で動いている“魔物”は、まさしくその設計思想を体現していた。
自らの構造を“進化”させる魔物。
一撃ごとに適応して強くなる獣。
マリアの瞳が細められる。
(これ……倒すの、無理かもしれない)
だが足は止まらなかった。
彼女の戦いには、勝算ではなく、誓いがあった。
「見てなさい。今度こそ、“踏み越える”!」
再び、光の鞭がうなった。
接近と同時に空間が震え、魔物が反撃の尾を振りかぶる。
しかし──
その刹那、空気が“断ち割られた”。
ズ──ン、と低く、鈍い共鳴音。
魔物の動きが止まった。
マリアの目が追いつく前に、何かが既に終わっていた。
切断された尾が宙に舞う。
魔物の片腕が、不可解な断面を残して地面に落ちた。
(……え?)
その向こう。
霧の中から、ゆっくりと歩いてくる影がひとつ。
黒いフード付きのロングパーカー。
カーゴパンツに実戦向けのブーツ。
ぼさついた髪に隠れた青の瞳だけが、濁りなく光を放つ。
彼は静かに魔物を見下ろし、ポケットから手を出す。
「その程度か。生成型とは聞いていたが、所詮はプロトコルの玩具」
声は冷たくもなく、熱くもなく。
ただ、聞いたものを“拒絶するような温度のなさ”があった。
マリアが、反射的に声を出した。
「……あなた、誰?」
だが男は彼女に答えず、視線だけを向けた。
その目が、“人間”のものではないと──彼女は直感した。
「歌の影響か……いや、まだ発動してない。だとすれば」
彼はそう呟くと、手のひらを軽く上げた。
魔物が咆哮し、再起動のように動き出す。
だが。
「──遅い」
黒い霧が彼の掌から噴き出し、魔物の身体が“空間ごと裂かれた”。
音がない。
ただ、存在が“なかったこと”になる。
マリアは、ただ見ていた。
目の前で世界の“記録”が、塗り潰されていく様を。
そしてようやく、男が口を開いた。
「ここは、“入ってはいけない”場所だ。戻れ、アイドル」