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「そちら様、娘御かなにか居なさいますか?」
「あん? あぁ、居るよ?」
だだっ広(ぴろ)い裁きの庭に一人(いちにん)、肩身を狭(せば)める被告の衆(しゅう)が、上目づかいでそんな事を訊(き)いた。
否(いや)さ、被告と呼ぶのは些(いささ)か場(ば)に合わない。
こちとら昔の癖がなかなか抜けきらないと見える。
「それがどうしたね?」と問うと、先方(せんぽう)は何やら場都(ばつ)が悪そうに口を曲げた。
何とも意志の強そうな口元だ。 目つきもしっかりしてる。
若い頃は、さぞ血気に逸(はや)った質(たち)だろう。
「別嬪(べっぴん)さん。 自分はお宅さまのお身内だって」
やがて、彼が言いにくそうに唱えるのを聞いてピンと来た。
「あぁ、あの跳(は)ねっかえり」
そんな事を吹聴(ふいちょう)して廻ってんのか、あの娘は。
「こんなんでガッカリしたかい?」
「いえいえ! そういう訳じゃねえんで。 へぇ」
「まぁ、天上(あっち)のはそれなりに見れるんじゃねえのかね、形(なり)の方(ほう)は。 俺はほれ、この世の……、まぁいいや」
有り体(てい)に仄(ほの)めかすと、先方は得心した様子で頷(うなず)いた。
本当に分かってんのかね?
思うものの、くどくどと説法を垂れる筋(すじ)はない。 また、これと言って不興もない。
この後(のち)の気構えを、懇切(こんせつ)に申して聞かせるのは、あくまで天上(あっち)の仕事だ。
「けど、その格好」と、相変わらず畏(おそ)れ入った様子で先方が言った。
「なんやら、お不動さんみたいな」
「あん?」
こっちの居住(いず)まいを指しているんだろうが、誂(あつら)え向きな表現だとは思う。
「いや、お不動はうちの嫁さんの本地」と言いかけて、間際(まぎわ)に考えを改める。
夫婦はだんだん似てくるというが、いまは身内のネタを持ち出すような場面じゃない。
「サクッと行くか?」
「えぇ……。 え? もう?」
「心配いらん。 何も悪いことしてねえなら」
俄(にわ)かに引き攣(つ)る満面、延(ひ)いては先方の満身を、片方の眼中にピタリと納め吟味する。
「若い時分に食い逃げ……。 また古典的な」
「へぇ……、あの頃は」
浄玻璃によると、当人が仕出かした不品行はその一点のみ。
透明度を上げて、もう少し深いところを詮議する。
先の食い逃げが元で、被害に遭った店はますます大繁盛。
なんだそりゃ?
経緯(いきさつ)に興味がわいたが、今はいい。
「お疲れさん。 問題ないよ」
「へ? じゃあ……」
「ん。 極楽往生ってヤツ。 おめでとさん」
「えぇ!?」
ふと思い立ち、席を立って茶を淹れる。
湯呑みは二人分だ。
はて、茶うけは何がいいか……。
それにしても尻が痛い。
あの座布団(ざぶとん)、なんで中身が貝殻なんだと、異動の当初、真剣に考えたあの頃が懐かしい。
そういや、春秋屋(みのりや)の豆大福があったっけ。
丹波黒(たんばぐろ)をふんだんに使った逸品。
昼前にはちと重いか。 まぁいいや。
「ほい。 これ食ったら行っていいよ?」
「あ、それは」
「毒なんぞ入ってねぇ」
しばらく談笑し、彼の為人(ひととなり)をそれとなく把握する。
法廷(ここ)を過ぎれば、あとは天上の差配(さはい)になるが、向こうの仕事をちょっとでも減らしといてやろうという寸法だ。
こっちとしても、いい息抜きになる。
「ほんじゃね? 奥さん、迎えに来てる筈(はず)だから」
懇(ねんご)ろに謝辞を述べる先方を見送り、茶をもう一杯。
後がエグいほど閊(つか)えてるが、もうじき飯時(めしどき)だ。
──そう、飯時と言えば
ふと過日を思い出す。
さっきの親っさんが曰った言葉、それが余程に堪えたか。
いや、どことなく懐かしいものが、春先の風に乗ってやんわりと香るような感じがした。
「前々からさ? 訊(き)こう訊こうと思ってたんだけど」
「あん?」
大まかな時刻を言うと、だいたい昼過ぎか。
本日も混雑するラーメン店内の一角で、注文の品を待ってる間(ま)に、穂葉(ほのは)が口火を切った。
しかし、この口振りは
「お前それ──」
「はい?」
「あれだろ絶対?飯が不味くなるような話だろ、絶対」
「なんでそう思うんです?」
「いやいや、何年親子やってると思ってんの?」
口ではそう唱えるものの、これは誂(あつら)え向きだろうと割りきる自分がいる。
実の親子とは言え、何分(なにぶん)にも同僚のこと。
業務上、どうしても筋目(すじめ)を通しておかなければならない事柄もある。
かと言って、改まった場を設(もう)けるのも気恥ずかしい。
もとい。 お互いに、クソ忙しい身の上だ。
ならば、こういうちょっとした一幕(ひとまく)を、真摯(しんし)な話題に宛(あ)てるのも悪くはないだろう。
「世界を終わらせて、どう感じた?」
「あ?」
いきなり直球が来やがった。
わが娘ながら、油断も隙(すき)もありゃしない。
会うのは久しぶりだが、相(あい)も変わらず余所見(よそみ)をしない質(たち)と見える。
「そんなこと聞いて、何のつもりよ? 参考になんのか?」
「まぁ、どうかな? うん、ホント参考までにって感じで」
「ん……」
「後悔はあった?」
「ぜんぜん。 いや、後悔なぁ……」
改めて問われると、もちろん思う処(ところ)が順次、この胸に沸沸(ふつふつ)と湧いてくる。
大方(おおかた)は、寝てる間(ま)にサクッと。
しかしそれでも、討ち漏らしではないが、あの炎をまともに拝んだ連中が大勢いる。
さぞ恐ろしかったろう。
痛みを被(こうむ)る暇(いとま)が無かったのが、物怪(もっけ)の幸いか。
「後悔っていうのとは、ちょっと違うな……。 いや、だいぶ違うな」
「と言うと?」
「いやほれ、世界を終わらせるっていうより、めちゃくちゃ喜ばせるのが目的だったろ?人を」
「この世界に連れてきて?」
「そう。 だから何(なん)つーか、後悔ってのは、考えちゃダメなんじゃねえのかね? そもそも」
「そっちが本来?」
「ん……、あ? なにが?」
「いや、口調。 ほら、しゃべり方」
「そう。 は? 今さら?」
実のところ、当初は嫁も俺も、世界を終わらせることだけに躍起(やっき)になっていた節(ふし)がある。
『その後のことはどうすんの?』
かく言い立てる者がなければ、どうなっていた事か。
「まぁ、私のお父(とう)とお母(かあ)だしね?」
「うん?」
「向う見ず。 思い立ったら一直線」
「そうな……?」
「猪突猛進っていうのかな? どんな事にもほら、頭からぶつかって行くタイプっていうかさぁ」
「ん……」
「バカなんだよね? うん。 いい意味で」
「……ラーメン遅(おせ)ぇな」