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立脇ひかりが吉崎ゆずはを嫌っているようだ、というのはクラスメイトにとっては周知の事柄であった。ゆずはは他にも体育の際に「ジャマ」と突き飛ばされたり、掃除当番を押しつけられたりといった被害を受けていたが、皆ひかりや取り巻きからの報復を恐れて見て見ぬふりをしていた。あるいはひかりの顔面やスタイルの美しさに惹かれてどうにか彼女に近づこうと、彼女の真似をしてゆずはにちょっかいをかける者もいたのだが、それらの行為は何故かかえってひかりの逆鱗に触れ、その生徒は陰口を叩かれ苛烈な悪評を流される羽目になった。
正直なところ、ひかりにこのような扱いを受ける理由がゆずはにはよく分からない。特にこれといって気に障るようなことをした覚えはないし、なんなら高校に入学してすぐの頃に困っている彼女を助けた記憶がある。
別にそのことで恩を着せるつもりなどゆずはには毛頭ないのだが、何にせよ彼女にとっては楽しい高校生活とは縁遠い日々が続いていたのである。
「おーい、吉崎」
そんな日常が変わったのはある日の放課後のことだった。
図書委員としてカウンターに入っていたゆずはがその日の仕事を終えて一息ついていた時、一人の男子生徒に声をかけられた。同じ図書委員として活動している、別のクラスの男子生徒だ。
「藤村君……? あ、お、お疲れ様」
ゆずはがぺこりと頭を下げると、彼は笑いながら言った。
「今日の当番、お前一人だったよな? 俺、部活ちょっと早く終わったし、手伝うよ」
「えっ……。で、でも用事とかあるんじゃ……」
「いいって、いいって。どうせ帰ったところですることないんだしさ。それよりほら、何すればいい?」
そう言って男子生徒――藤村――はカウンター内に入り、ゆずはの隣の椅子に腰掛ける。ゆずはは少し迷ったものの、他人、特に異性から優しくされることに慣れていなかったのもあり、彼の厚意に素直に甘えることにした。
「じゃあ、返却された本の整理を……」
「了解。任せて」
ゆずはの指示に従い、藤村は作業を始める。といってもそれほど量もなかったので、すぐに終わってしまった。
「お疲れさん」
「あ、うん……。ありがとう」
ゆずはが頭を下げると藤村は笑い、「じゃあもう帰ろうぜ」とさっさと図書室を出ていった。ゆずはも鞄の準備をしてから図書室を出ると、廊下の壁にもたれて立っていた藤村から「おう、行こうぜ」と声をかけられ、少し面食らう。まさか待ってくれているとは思わなかったゆずはがぽかんとしていると、藤村は「どうした?」と聞いてくる。
「あ……。いや、その……」
「ほら、帰るぞ」
藤村は振り返ると、ゆずはに歩調を合わせて歩き始める。完全下校時間が近いために辺りは薄暗く、並んで歩く二人の間に漂う空気は少し気まずかった。
「あー、あのさ……」
沈黙に耐えかねた様子の藤村が口を開く。
「吉崎ってさ、休みの日とか何してんの?」
「えっ?」
唐突に聞かれたゆずはが思わず聞き返すと、藤村は慌てたように手を振って弁明する。
「いや、別に変な意味じゃなくてさ。俺は美術部だけど、コンクールが近くなると週末でも一日中、絵描いてる時があるんだよ。吉崎って部活は入ってなかったよな? それで何か、休日とか何してんのかなって思ってさ」
「えっと、私は……」
ゆずはは迷った。正直に言うと、ゆずはには趣味らしい趣味はない。強いて言えば読書と映画鑑賞がそれに当たるのかもしれないが、それだけに没頭する性格でもなく、ゲームをしてみたり動画サイトを漁ってみたりすることもある。要はインドア派だ。
ゆずはが答えかねていると、藤村が慌てた様子でフォローしてきた。
「いや、本当に何も変なアレはなくて、純粋に興味があるっていうか」
「す、すみません。私あまり休みの日も外に出ることがなくて……」
「あっ、じゃあ家でゆっくりすることが多いんだ?」
「うん……。本を読んだり、映画を見たり、かな。図書委員になったのも、面白そうな本があれば暇な時好きに読めるかなって理由もあったから……」
「そしたらさ、あの作品知ってる? ほら、元は小説だったのが漫画化されて、ついこの間映画になったやつ」
「あ、サスペンスホラーの……?」
ゆずはの頭に、最近読んだ小説のタイトルが浮かぶ。面白い本や漫画を紹介している動画配信者が取り上げてからかなり知名度が上がり、ゆずはも興味を惹かれて読んでみたが、確かに面白い作品だった。
「そうそう! あれの映画版がめちゃくちゃ面白いって友だちが言っててさ。吉崎は映画の方はまだ見てない感じ?」
「う、うん。映画はまだ……」
「そっか。じゃあさ、日曜もし暇だったら一緒に見に行かない? 隣町のモールの映画館だとペア割引があって、半額でチケット買えるんだよ」
「えっ」
藤村の提案にゆずはが思わず声を上げると、彼は少し慌てたように付け加える。
「あ、いや、別に無理にとは言わないから! ただ、内容が内容だから一人で見るのも何かイヤじゃん? 怖いし」
「藤村君、ホラー系が苦手だったり?」
ゆずはが聞くと、藤村は少し照れたように頭をかいた。
「いや別に苦手ってほどじゃないんだけどさ? ただほら、あの手の映画って『生きてる人間が一番怖い』って感じのやつじゃん? リアルなのが余計怖いっていうかさ、こういうことが現実でも起こるんじゃないかって思わされるのがイヤというか」
「ふふっ」
慌てた様子で弁明する藤村がおかしくて、ゆずはは笑みをこぼす。すると藤村は何か妙なものを見たかのように驚いた表情でゆずはを見た。
「あっ、ご、ごめんなさい! 笑っちゃって……」
慌てて謝るゆずはだったが、藤村は何も答えない。不審に思ったゆずはが彼の方を見上げると、彼は少し呆けたような顔でじっとこちらを見つめていた。
「……藤村君?」
「えっ、ああ。悪い、吉崎がそんなふうに笑うとこ、初めて見たから」
「え……?」
ゆずはが聞き返すと、藤村は気まずげに顔を背ける。
「いや、吉崎って普段めちゃくちゃ大人しいし、あんまり感情を表に出すイメージじゃなかったから、ちょっと意外だなって思って」
「ご、ごめんなさい。私、ひょっとしてすごく失礼なことを……」
「いや違うって! 別に怒ってるわけじゃないし、むしろその、か、かわ……」
口ごもる藤村の顔は耳まで赤く染まっており、やはり怒っているのだろうかとゆずはは不安になる。が、藤村は「ああもう!」と頭をかくと、ゆずはの方を見て言った。
「とにかく日曜、駅のところで待ち合わせな! 時間は後で連絡するから!」
「は、はい」
返事を聞いた藤村はぷいと顔を背けると、そのまま一緒に歩いてゆずはを駅まで送ってくれた。