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1863年 8月
芹沢鴨ら約30名が、京都の生糸問屋大和屋庄兵衛に金策を謝絶された事に腹を立て防火したと報告が入り、急いで8名京都に戻る事になった。
そろそろ大きな事件が起きそうで、それを総司達が担当しそうで不安で眠れない日が続いた。
私はお初と縁側でゆったりお茶を飲む日がまたやってきた。
「はっちゃん、最近、平助とどう?」
「普段通り!でもね?最近体調があんまり良くないの。」
「え?いつぐらいから?」
「3ヶ月前ぐらいからかな。熱っぽくて、、う…」
「はっちゃん、大丈夫?ちょっと横になろ」
私は最初総司と重ねてしまった。でも咳出てなさそうだし、もしかしてと思い
「はっちゃん、お馬いつきた?」
お初は、っは。っと指で数え、
「3ヶ月前かも」
「はっちゃん!おめでとう!」
私はお初の”おめでた”に自分のように嬉しくなり抱きしめた。
「平助に伝えたいと!」
「うん!落ち着いたらお便り書く」
私はお初が眠りに入った頃、夕餉の支度とお風呂の支度を一気に終わらせ、ゆっくり湯船に浸かり久しぶりに深い眠りに落ちた。
一度目が覚め、もう一度寝た時に夢を見た。
(っははは、遥!気に入ったか?)
(あまりにも美形だったもので)
(こいつは”そうじ”だ)
(いや違いますよ、宗次郎。沖田宗次郎。)
(あ、すまんすまん。っははは)
(私は遥。宗次郎宜しくね)
この会話どこかで。。そうだ!勇が初めて総司と合わせてくれた日だ。私はそこで目を覚ました。何故か涙が出ていた。これから何かが起きそうと感じていた。
9月16日大雨が降った。
芹沢鴨が八木家で暗殺された事。
それは、土方歳三 沖田総司 山南敬助 原田左之助
が実行した事。が知らされた。
その瞬間、私は吐き気に襲われ調理の場に走った。
仕事だと分かっていても危険なのはやめてほしい。
(総司会いたい。)
心の中で願っていた。どうかご無事で。