浅い悪夢から目を覚ますと、いつの間にやら日は暮れきっていて、そう広くもないワンルームは藍色の夜に沈んでいた。
「………………────、」
起き上がる気も起きず、座布団に頭を乗せたまま開きっ放しの窓から空を見上げる。
今日はあの夜とは真逆の新月らしい。いつもは月のせいで霞んでしまう星々が輝ける唯一のチャンスだというのに、生憎の曇天で今は星のひとつも見えない。
寝ている間に足でも引っかけたのかコードの抜けた扇風機を再び起動させながら、あぁ今日もまた無意義な1日を過ごしてしまったな、と大して焦ってもいない自分にいっそ笑えてきてしまう。
──あの時からどれくらい経ったんだっけ。
高校2年の夏休みで僕は生きていくための活力というのをすっかり失くしてしまい、結局その年は出席日数不足で留年してしまった。その後は何とか順調に進級、卒業、大学合格へと進み、今のところは立派に三年通うことに成功している。……が、ここに来て今更、僕の後悔だらけの人生にまたもや暗雲が立ち込め始めていた。
理由はただ一つ。この国で新たに立ち上げられたヒーローユニット、『Oriens』の存在だ。
メンバーは3人。おそらく組織にとって初の成功例、及び始まりのヒーローであるリトくんはもちろん入っている。──けれど、残りの2人は、星導でもロウくんでもない。噂に聞く限り今のところあの2人がヒーローとして活動している姿は一切目撃されておらず、彼らが組織に所属していること自体一般には公開されていないらしい。
詳しく聞いたわけじゃない。あの頃教えてもらった番号は今かけたって繋がらないだろうし、わざわざ聞きに行こうとも思えない。真偽なんて知りたくもないけど、こうも表に出てこないところを鑑みると何かがあったんだろうなと考えてしまうのが人間の性というもので。
あの2人はどこへ行ってしまったんだろう。あんなに強い想いを抱え、忘れたまま、今頃一体何をしているんだろう。
……やめよう。今や完全な部外者となってしまった僕が憂いていたって、それこそ無意義というものだ。
要らぬ思考を散らすため、充電しっ放しだったスマホを手に取る。
実は、僕の悩みの種となっているのはそれだけじゃない──というか、正直個人的にはこちらの方が問題だ。
「……あ、またやってる……」
僕は通知欄からライブ配信アプリを開き、とある配信をタップする。起動を待つ間に煙草に火をつけていると、切り替わった画面に映されたのは、ジグザグの軌道を描きながらKOZAKA-Cに向かって突撃する真っ白な後ろ姿だった。
昆虫の羽のようなマントをたなびかせながら彼は左右を確認し、次の標的へと狙いを定める。やがて場所を移動すると同時にカメラは視点が変わり、今度は大剣を背負ったピンク髪の人が身を潜めつつ索敵をする様子が映し出されていた。
いつ見ても忙しないカメラワークだけど、もう良い加減慣れてきてしまっている自分がいる。わざとらしいライティングに目を瞬かせながら、いつも探すのは水色の尾を引く強烈な雷光だ。
──事の発端は、組織の広報部がヒーローとしての活動を広めるため、戦闘の様子をインターネットでライブ配信をするようになったことにある。それは『Oriens』のメンバーのみが対象となっており、リトくんと、名前はど忘れしちゃったけど関西弁のスピードタイプの人と、軽やかな言動の目立つバランサーの人……が、KOZAKA-Cと戦う姿が3日に一度は中継されているのだ。
配信とは銘打っているものの、映像はただただ戦闘の様子が流れるだけでそこまでのエンタメ性は無い。その代わりに作戦が上手くいかず近隣住民に避難を促したり、救護班を待って簡易的な止血をする工程など、ヒーロー達が命を削って戦っている様を観ることができる。
それを見るだけでヒーローとはかくも過酷な職業なのだと知ることができるし、あの時友人を引き止めることができなかった後悔がいとも容易く蘇る。見ているだけで辛いけど、測らずも友人を送り出してしまった身としては目を逸らすこともできず日に日に悪くなっていく戦況を最後まで見届ける義務がある。
──なんて勝手に思っているのは僕だけらしく、チャット欄を開けばまるで在りし日の過疎配信でも見ているような品のないヤジが飛び交っている。
《今日も元気に税金泥棒!w》
《顔だけ映してー》
《よわくね?》
《無駄な動き多すぎ。素人かよ》。
あまりにも低俗なそれを見ていられなくなった僕はすぐにチャット欄を閉じ、カメラの映像の方に集中することにした。
数々の心無いコメントは果たして、本人達の目にはどう映っているのだろう。こうして有り難みも知らない厚顔無恥な市民だけど、ヒーローならその人のことも守らなくちゃいけない。何故なら彼らはヒーローだから。
────それが、僕には耐え難い苦痛だった。
リトくんは──いや、リトくんだけじゃない。きっと他の人達だって、こんな風に消費されるためにヒーローになることを選んだわけじゃないだろう。あの日のリトくんみたいに誰かを守るために自分を犠牲にして、傷だらけになってもまた立ち上がって、葛藤しながら戦っているはずなんだ。
それがこんな形で世界中に向けて配信されて、あまつさえ目を塞ぎたくなるようなコメントを浴びせられている。彼らに命懸けで守られているやつらが指先で唾を吐きかけるのを、黙って見ていることしかできない。
きみは、きみ達はこんな人達のために、こんな形で消費されて、こんな言葉をかけられていい人じゃないのに。
「…………は、──だからって、今更僕に何ができるって言うんだよ」
自嘲気味にぽつりと吐いた言葉は、煙と一緒に窓の外へと掻き消えていった。
しばらく配信を眺めながら無心で煙草を吸っていると、箱の中に伸ばした指が空を切った。覗いてみるとそこにはもう一本たりとも残っておらず、どうやら今吸い終えたので最後だったらしい。休みに入ってからというものほとんど一歩も外に出ず日がな一日中惰眠を貪る生活を続けていたため、ストックも尽きてしまっている。
……しょうがない、近所のコンビニまで買いに行くか。
ため息を吐きつつ画面を確認する。先ほどからリトくんの姿は一向に見当たらず、関西弁の人と大剣の人が湧き続けるKOZAKA-Cに苦戦している様子だけが映されている。どうやら戦況はあまり良くないみたいだ。
僕は有線イヤホンを繋いでスマホと財布をポケットに突っ込み、サンダルを突っかけて家を出る。画面越しの2人は作戦会議を始めたらしく、情報漏洩を防ぐため一時的に音声がミュートされた。
せっかくイヤホン付けてきたけど、無駄だったかな。
淡い失意に見上げた空は、やっぱり見事なまでの曇天だった。
§ § §
「ありがとうございましたー」とまるで心のこもっていない挨拶を背中に浴びながら、僕はコンビニを後にする。
右手に下げたビニール袋に入っているのは、とりあえずストックしておくための煙草が3箱と、お釣りを調整するために買ったラムネが2袋。食料はまだ家にあるし、尽きればまた買いに行けばいいだろう。
こうして世間が長期間の休みに入ると、バイトのシフトも普段は自由の効かない高校生達が喜び勇んで入ってくれるため、意外と暇だったりする。
……何もしなくていいというのは、裏を返せばそれだけ世間に必要とされていないということで。日々を重ねるごとに余計なことを考える時間がどうしたって増えてしまう。何もしなくていいはずなのに、僕にできることなんて今更何もないはずなのに、行き場のない焦燥感が胸の内で膨れ上がってどうしようもない。
そろそろ音声復活したかな、とイヤホンを付け直そうとしたところで、視界の端に小さな影が動いているのが見えた。
それはどうやらこの辺では珍しい野良猫のようで、やけに赤みの強い不思議な毛色をしている。昼間集めた熱が未だに残るアスファルトの上をよたよたと歩く姿は何だか見ていて危なっかしい。
大丈夫か、あいつ。気になって思わず目で追っていると、今度は反対の道路の遠くから唸るような重低音が聞こえ始めた。見てみると、この道を走るには些か窮屈そうな大型トラックが迫ってきているところだった。
……え、こいつ避けきれる?
猫の方に視線を戻すが、あまり目が見えていないのか、聞き耳を立てたまま道路の真ん中から動かなくなってしまっていた。トラックは道が狭すぎて避けられないだろうし、そもそも猫がいることにすら気付いてなさそうだ。
あれ、これもしかしてまずくないか??
そうこうしているうちにトラックは目の前まで迫ってきており、今出ていけば今度は僕が轢かれてしまうかもしれない。──けど、今ここで見捨てれば、しばらくの間は夢見がすこぶる悪くなることだろう。
僕は弾かれたように道路へと飛び出し、固まっている猫を両手で掴み上げそのまま転がる。
──次の瞬間、すぐ後ろを大きな質量が通り過ぎる風圧を背中で感じ取った。
「…………ッッぶねぇェ〜〜〜〜……!!!」
アツアツの道路に寝転がったまましばらく放心した後、数秒経ってからようやく緊張や恐怖が追いついてきた。呼吸は浅くなり冷や汗が止まらず、心臓がドックンドックン跳ねて口から飛び出てきそうだ。これが恋ってやつなのか?
これ以上通行人や車両の邪魔になってはいけないと起き上がろうとして、猫を胸に抱いたままだったことを思い出し、すぐに解き放ってやる。
ぴょこんと地面に降り立ったそいつは何とか無傷で済んだようで、そのさつまいもみたいな色の体を屈めて鼻先で何かを突っついている。立ち上がって覗いてみれば、それはビニール袋ごとぐしゃぐしゃになった僕の購入品だった。
「……あー、何? お前なりに申し訳ないと思ってんの? ……ははっ、良いってことよ。煙草はまぁ無事なのもいくつかあるだろうし、ラムネもほら、最悪粉の状態でも食えないことはないからさ」
僕の言葉が理解できているのかいないのか、そいつは僕の周りをぐるりと回ってこちらを見上げた。やはり目が見えていなかったらしく、半分閉じた瞼が赤く充血している。
「……どうしても詫びたいって言うならさ、いつか恩返しでもしに来てくれない? それこそ僕がめちゃくちゃピンチの時とか、今みたいに駆けつけて来てよ」
そう言って頭を撫でてやれば、体をくねらせてするりと逃げてしまった。触れられるのはあまり得意じゃないらしい。
あっという間に電柱の向こうへと走って行ったそいつはもう一度こちらを振り返り、「にゃおん」と鳴いて路地裏の方へと姿を消した。
……さて、善行も施してやったことだし、帰るか。
普通に左膝擦りむいたしトラックの運転手からは割と大きめの声で罵声を浴びせられた気がするけど、まぁひとつの命を助けられたと思えば結果オーライだ。
見るも無惨な姿になってしまったビニール袋を拾い上げ、僕は帰路へ向かう。
──いや、正しくは、向かおうとした。
その体の向きを変える一刹那、左側の空がカッと明るくなるのが見えてしまった。
それはよく見慣れた──そう、とてもよく見慣れてしまった、『水色の雷光』。
「…………え?」
呆気に取られている僕の耳に、イヤホンの外れたスマホからけたたましいアラームの音が届いた。
《──現在この端末の周辺にて、ヒーローが交戦中です。屋外は避け、建物の中など、安全な場所に避難してください。繰り返します──》
機械音声の言葉はもはや聞こえておらず、僕は目の前の光景から目を離せなくなっていた。立ち尽くす僕のポケットからスマホがずり落ち、馬鹿みたいに軽い音とともにアスファルトへ叩きつけられる。
見上げたビル群のど真ん中、おどろおどろしい轟音と目も眩むような閃光に照らされて、2つのシルエットが浮かび上がっていた。
片方はおそらく、この災害級の雷を操っているリトくん。眩しくてよく見えないけれど、空全体を瞬かせるような雷にも負けないほど光り輝いている角が何よりの証拠だ。
そしてもう片方、リトくんと睨み合っている歪な形のシルエット──それはまるで、蠢く巨大な花のような。
放射状に伸びた、触手。
足元で画面の割れたスマホから警報の音が止む。続けて元の配信画面に切り替わり、切羽詰まった絶叫が響いた。
《──おい、リト!! そいつお前の知り合いなんやろ……!?》
《……おう》
《やったら雷しまえや! そんな威力食らわせたら死ぬぞ! そいつも……リトも!!》
《………………》
震える手で端末を拾ってみるが、ブロックノイズの走った画面には雷のせいで白飛びした景色しか映し出されていない。
チャット欄は大いに盛り上がっているようで、今まで見たことがないくらい流れが早かった。
電波塔の近いところに落雷があったらしく、音声も徐々にノイズが混じり始める。その中で、リトくんのぼそぼそと呟くような声だけは、嫌というほど鮮明に聞き取れた。
《──知ってる。……でもあいつすげー強いから、下手に手加減なんかすればこっちがやられちまうと思う。だから、殺す気で行く》
《〜〜〜っでも!!》
《マナ、駄目だ。あんまそっちばっか気にしてる余裕ないよ》
冷静な声に諭されて、『マナ』と呼ばれた彼は言葉を詰まらせる。
バチっ、とカメラの間近でプラズマの弾けた音がしたかと思えば、ぐるんと反転した画面いっぱいに空が映し出された。あれだけ分厚かった雲はいつの間にか完全に晴れて、いつもより明るい星々がちらちらと瞬いている。
《────⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ ⬛︎⬛︎⬛︎?
…………あぁ、俺のこと、知ってるんですか?》
──触れ合うほどの至近距離で、聞いたこともない言語の後にいまいち感情の読めない呟きが聞こえた。
そこで初めて、この満点の星空は星導くんの顔に空いた穴を覗かせられているのだと気付く。
《は、──ほんとに何にも覚えてねえのな、お前》
《……⬛︎⬛︎⬛︎……生憎ですが》
《うん、そっかあ……ロウのことは?》
《ロウ……⬛︎⬛︎、小柳くん、のことですか? 名前は聞きました。さっき研究所から抜け出してくる時に、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎たので》
《…………そっか》
カメラが切り替わり、2人が対面しているのをどこか遠くから映しているアングルになる。星導くんの顔はほとんど崩れ落ちていて、そこには深い深い宇宙が広がっているばかりだった。
リトくんの表情は、影になっていてよく見えない。
《⬛︎⬛︎も、俺のことを化け物だと思いますか?》
《んー……どうだろうな。だとしたら俺ももう、とっくの昔から『そっち側』だよ》
《……じゃあ、おそろいですね》
《……だな、》
《────っリト!!!》
地面が割れるような轟音とともに、再び東の空が青く燃え上がる。
そこに一瞬シルエットとして浮かんだリトくんは、やっぱりあの時と同じ稲妻色に瞳を染めて、雷鳴に負けないほど凄まじい咆哮を上げた。
すとん、と視界が下がり、そこでようやく自分がその場にへたり込んでしまったのだと気付く。大人も景色も全て水中から見上げているみたいに遠くて、ぼやけて、揺れている。
このままでいいはずがないのに、どうにかして止めないといけないのに、リトくんと星導くんはとうとう、僕の声なんか到底届かないほど遠くに行ってしまった。
リトくん。
僕はきみの歌が本当に本当に好きだったんだ。
時には天に響き渡るような高音で、時には深く温かみのある低音で。カラオケで好きなミュージカルの曲を歌う時は、少し照れくさそうに演技を交えたりなんかして。こんなに歌が上手い人がいるんだって、心底感動したんだよ。
──それが何だ、今の叫びは。
きみだってそんなに喉が強い方じゃないのに、技術もへったくれもないガラガラの声で、心の迷いを無理矢理弾き飛ばすような力任せの発声で。おまけに相手しているのはヴィランではなく、かつての仲間と来たものだ。
それじゃあヒーローどころかまるで、怪獣みたいじゃないか。
「……ッ! っくそ、……くそぉ……っ!!」
怒りに任せて悪態をついてみたって、現状は何も変わりはしない。分かってる。分かってるんだよ。
──あぁ、ずっとこうだ、僕は!
すっかり負け癖のついた体はもはや一歩たりとも踏み出そうとはしてくれなくて、八つ当たりみたいにアスファルトを殴りつけることしかできない。衝撃が骨に直接響いて、皮が剥けて、血が流れて、それでもまだ絶対に、リトくんの方が痛い思いをしているはずなのに。
僕はもう、彼に何もしてやれないのか。
「────こんばんは、一徹くん」
突然真後ろから話しかけられて、咄嗟に飛び退く。
跳ね上がった心臓を抑えつつ振り返ると、世闇に紛れて魔法使いのような格好の──言葉を選ばずに言えばこの上なく『怪しい』男が立っていた。
まるでファンタジー小説の挿絵みたいな出立ちのその人は、ニコニコしたまま当然のように僕の隣にしゃがみ込む。ゆるふわな空色の髪が柔らかく靡くのを見て、それにどこか懐かしさを覚えてしまった。
「えッ……え、ちょ、なん、なんですか、?」
「あっ、びっくりさせちゃった? ごめんなさい。──私、決して妖しい者ではございません。ただの通りすがりの時魔導士です」
「…………ん……?」
時魔導士──という単語にはまるで聞き馴染みがないけれど、そのふわふわとして掴みどころのない喋り方とやけに艶やかで甘い声色は、僕の奥深くで眠っていた記憶を鮮やかに呼び覚ました。
「……きみ、もしかして鬼──」
「──ミラン、って呼んで欲しいな。その名前も気に入っているけれど、今の私はそう名乗っているから」
そうやんわりと拒絶されてしまい、僕は何も言えなくなる。
まぁ僕やリトくんだってこれだけ色々あったんだから、彼だってこれくらい変わっていてもおかしくはないだろう。──『これくらい』と形容するにはあまりにも変化が大きい気がしないでもないけど。
試しに僕が「……ミランくん?」と呼んでみれば、「はぁい〜」と嬉しそうに返事をする。おっと、やっぱりあんまり変わっていないかもしれない。
「それでね? 本題なんだけど。……彼のこと、助けたい?」
「……そ、れは……」
しなやかな指先が示した先は、今しがた僕が見上げていた屋上、もといそこで戦っている2人の姿がある。
そんなの、もちろん助けたいに決まっている。
けれど、でも──今更僕に何ができるんだろう。リトくんが初めてヒーローに変身した時からずっと無力感に苛まれている僕には、彼らに何か働きかけられるようなビジョンなんかまるで見えなかった。
俯く僕にミランくんは少し困ったような顔をして、その後すぐにふっと優しく微笑んだ。
「──助けられるよ。テツくんならきっと、あの子達のこと」
「…………でも、」
「私も助けたいんだ。……良ければ協力させてくれないかな?」
ミランくんはそう言って立ち上がると、持っていた杖をトン、と地面に突き付けた。──すると、その杖を軸にぼんやりと光る魔法陣のようなものが展開される。
それに驚いて飛び退くと、僕の足元にもまた少し色と形の違う魔法陣が浮かび上がってきた。僕とミランくんの足元にそれぞれ展開されたそれはゆっくりと回転していて、時計の針のようなものが反時計回りに巡っている。まるでタイムリープものでよく見るみたいな演出だけど──……、
──え? 『時魔導士』ってそういうこと??
「はっ……!? え、何これ? ちょっ、ミランくん何これどういうこと!?」
「私ってほら、いわゆるお助け妖精みたいなポジションじゃない? だからこういう不思議な力とかも使えちゃったりするんだよね〜」
「あのね、そういうなぁなぁで済まされるタイプのすこしふしぎ、略してSFはラノベでしか通用しないから。現実世界では通用しないから、そういうの」
「まぁまぁまぁ……良いじゃないですか。最後にハッピーエンドを迎えるために、ちょっとくらい素敵なミラクルが起きてみたって」
そういうものだろうか。僕はどちらかというとバッドエンドの方が好みだから、そういうのは考えたことがなかった。
……まぁ、でも、そうか。
物語の世界がどんな終わり方をしようとも、現実までは終わらない。だからこそ、終わりのない現実くらいはハッピーであって欲しいと僕も思う。特に、彼らにとっての現実は。
「……僕、過去に戻って何すれば良い?」
「そうだねぇ……テツくん次第かな。どこまで戻るか、何を変えるか、変えないか──それも全て、貴方次第だよ」
「ミランくんは一緒に来てくれないの? 彼だってまだ、あれからどこに行ったか分からないのに」
「……うん。あの子はほら、自由な人だから。待ち合わせとかしないでのんびり待っておいた方がきっと、私達らしいかなって」
足元の魔法陣の光に照らされながらにこりと笑ってみせるミランくんに、僕も不恰好な笑顔を返してみる。思うところがないわけじゃないけど、ミランくんの表情には微塵も迷いは見当たらなかったから。
──どこまで戻るか。何を変えるか、変えないか。
きっと、リトくんとキリンちゃんが出会ってしまったあの日まで戻ったって、リトくんはいずれヒーローになる道を選んでしまうんだろう。あの頃とは比べ物にならないほどに活発化したKOZAKA-Cとヒーロー組織の人手不足を考えれば、それはあまり現実的な解決法とは思えなかった。
じゃあ、夏休みの教室でばったり出会った時──いや、それも駄目だ。あそこで僕がどんな言葉をかけたって、彼に余計な悩みを増やすだけで、最終的な足止めにはなれないだろう。
最後に病室で会った時。あれは──彼の覚悟や葛藤が全てが終わってしまった後だから、それこそ何の意味も為さないだろうな。
目の前で困っている人がいたらじっとしていられない質で、誰かを助けるために犠牲になるのが自分であれば、躊躇なくその選択ができてしまう。そもそもリトくんはどうしたってヒーローにならない、ヒーローを辞めるということができない人だ。
なら、僕がするべきことは何か。リトくんと星導くんがこうならないために、ただの友人でしかない僕には何ができるか。無力な一般市民なりに考えてみれば、自ずと答えは導き出される。
ようやく腹を括った僕に、ミランくんは満足そうに頷いた。
「じゃあ、行ってくるね。ミランくん」
「うん、頼んだよ。……あの子達のことを、どうかよろしくね」
「……うん」
魔法陣の光が一層強くなって、視界が光で眩もうとした刹那、遠いビルの向こうで弾ける青白い雷が見えた。
──待ってろよ、リトくん。
あの夏の日、この世の全てを悟ったように物分かりが良いふりをしたきみに、どうしても言ってやりたいことがあるんだ。
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体の中にある全ての水が目から零れたまじで…もうさぁ… はぁ〜〜〜!!ミラン出てくるとは思わんやん!!ありがとうございます?! テツーー!!!がんばれやー!!!!