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第二十二章 見えない糸
翔太💙「おはようございます」
いつも通りの朝の病院。
いつも通りの廊下。
白い壁に、朝の光が薄く差し込んでいる。
遠くでナースコールが鳴って、すぐに誰かの足音がそれを追い越していく。
カートの車輪が静かに軋む音。
小さく交わされる申し送りの声。
消毒液の匂いが、朝の空気に混ざっていた。
――変わらないはずの、日常。
白い雪だるま。
足を止める。
季節外れなのに、誰も気にしていない。
さっきまで、座り込んで泣いていた自分が今はこうしてまた、ナース服のまま戻って来た。
いつもと変わらない朝。
――のはずなのに。
どこか、落ち着かない。
翔太💙「……」
ポケットに手を入れる。
何もないはずなのに、
――どこかで、何かが繋がっている気がした。
見えない糸みたいに。
引かれているわけじゃない。
でも、その先を、確かめたくなる。
そのとき。
「しょうた」
呼ばれて振り返る。
ラウール🤍「今日、外来の手伝い回ってくれる?」
翔太💙「えっ、あっはい」
一瞬だけ迷った。
でも、断る理由もなかった。
ラウールはそれ以上何も言わない。
ただ、視線だけが一瞬だけ落ちる。
まるで、確認するみたいに。
足元に視線を落とす。
ストッキング。
違和感の原因はこれだろうか?
目黒先生の部屋を飛び出し、逃げるように出て来てしまったことを思い出す。
良かったかも……
今日一日、顔を合わせないで済むから。
――――――
外来。
人の流れ。
名前を呼ぶ声。
カルテ。
バタバタとした空気。
その中で、一人の男が目に入った。
翔太💙「……あ」
見覚えのある顔。
――今朝
喫茶店。
ラウ男。
目が合った。
一瞬だけ。
ラウ男🤍「……」
何も言わない。
ただ、ほんの少しだけ顎を引いた。
――あ。
なぜか、〝行っていい〟気がした。
気づけば、足が動いていた。
コツ、
コツ。
規則正しいヒールの音が、背後を横切った気がした。
呼ばれたわけでもないのに。
自分でも分からないまま、近づいていく。
翔太💙「あの……」
ラウ男は椅子に座ったまま、翔太を見上げる。
ラウ男🤍「遅い」
翔太💙「え?」
ラウ男🤍「呼んだろ」
翔太💙「……呼ばれてないです」
ラウ男は少しだけ笑った。
ラウ男🤍「来てるじゃん」
その言葉に、一瞬だけ思考が止まる。
――なんで来た?
自分でも、分からない。
ラウ男は視線を逸らす。
興味がなくなったみたいに。
ラウ男🤍「まぁいい」
ラウ男🤍「あいつの思い通りってわけか」
翔太💙「……?」
精神科病棟での勤務は少し特殊だった。
廊下は静かで、でも、どこかざわついている。
笑い声。
独り言。
急に泣き出す声。
全部が混ざって、それでも日常として流れている。
翔太💙「……」
まだ、慣れない。
そのとき。
ラウ男🤍「おい」
振り返る。
さっきまで椅子に座っていたはずなのに、
もう目の前にいた。
翔太💙「あっ、はい」
ラウ男はカルテをひらひらと振る。
ラウ男🤍「この人、昨日から飯食ってねぇ」
翔太💙「えっ」
ラウ男🤍「行くぞ」
腕を掴まれるかと思った。
でも、触れない。
そのまま歩き出す。
翔太は慌ててついていく。
――――――
病室。
ベッドの上で、膝を抱えて座る女性。
視線はどこにも合っていない。
ラウ男は、少し離れた位置でしゃがんだ。
目線を合わせるように。
ラウ男🤍「腹減ってねぇ?」
軽い声。
まるで雑談みたいに。
女性は反応しない。
ラウ男🤍「じゃあ俺が食うわ」
そう言って、持っていたゼリーを開ける。
スプーンですくって、自分で食べる。
翔太💙「えっ」
ラウ男🤍「うま」
もう一口。
女性の視線が、ほんの少しだけ動く。
ラウ男🤍「ほら、減ってくぞ」
少し間。
ラウ男🤍「もったいねぇな」
女性の手が、ゆっくり動いた。
ゼリーに伸びる。
ラウ男は何も言わない。
ただ、スプーンを差し出した。
女性はそれを取って、小さく口に運ぶ。
翔太💙「……」
ラウ男は立ち上がる。
ラウ男🤍「ほらな」
それだけ。
翔太の横を通り過ぎる。
何事もなかったみたいに。
――――――
翔太💙「すごい……」
思わず呟く。
ラウ男は振り返らない。
ラウ男🤍「別に」
少し間。
ラウ男🤍「ああいうのは、押すと逃げる」
歩きながら、適当に言う。
ラウ男🤍「だから取る」
翔太💙「え?」
ラウ男🤍「食われたら困るもんは、自分で取るだろ」
にやっと笑う。
ラウ男🤍「人間も一緒」
翔太💙「……」
なんか、すごい理屈だ。
でも――
少しだけ、分かる気がした。
――――――
勤務終了。
更衣室を出ると、同じタイミングでラウ男が出てきた。
ラウ男🤍「帰り?」
翔太💙「あ、はい」
ラウ男🤍「俺も」
少し間。
ラウ男🤍「方向一緒だろ」
帰り道。寮へ向かう道。
並んで歩くのは、少しだけ不思議だった。
会話は、ほとんどない。
でも、
沈黙が気まずくはなかった。
そのとき。
ラウ男🤍「おい」
翔太💙「はい?」
ラウ男🤍「寄るぞ」
立ち寄ったのは、ゲームセンター。
ラウ男🤍「おい」
翔太💙「はい?」
ラウ男🤍「これ取って」
指さしたのはゲームセンターのUFOキャッチャー。
小さなカワウソのぬいぐるみだった。
丸い目で、口元が少し笑ってるカワウソ。
でも目は、妙に黒くて光を弾いていた。
翔太💙「え?」
ラウ男🤍「無理ならいい」
翔太💙「やります!」
なぜか即答していた。
必死にレバーを動かす。
翔太💙「あっ……!」
ラウ男🤍「下手くそ」
笑ってる。
さっきまでと違う顔。
翔太💙「もう一回!」
ラウ男🤍「いいよ」
その声が、少しだけ優しかった。
ラウ男🤍「こいつ、獲るのうまいんだよ」
翔太💙「狩?」
ラウ男🤍「逃げるやつ捕まえる顔してるだろ」
そう笑って上から見下ろした目は、獲物捉えて離さない
――見覚えのある目。
黒豹と同じ目だ。
帰り道。
街灯の下。
少しだけ、沈黙が続く。
ラウ男🤍「……お前さ」
翔太💙「はい?」
ラウ男🤍「無理して笑うの、癖だろ」
一瞬。
足が止まりそうになる。
翔太💙「え?」
ラウ男は前を向いたまま、続ける。
ラウ男🤍「さっきもそう。取れたとき、ちゃんと嬉しかった顔してたのに」
少し間。
ラウ男🤍「そのあと、すぐ戻した」
翔太💙「……」
言葉が出ない。
ラウ男🤍「ああいうのもったいねぇな」
翔太💙「……え?」
ラウ男🤍「別にいいだろ」
少しだけ肩をすくめる。
ラウ男🤍「嬉しいなら、そのままで」
翔太💙「……」
胸の奥が、少しだけ、ざわつく。
ラウ男は横目でちらっと見る。
ラウ男🤍「あー」
少し間。
ラウ男🤍「今の顔の方が、マシ」
翔太💙「……は?」
ラウ男🤍「さっきよりな」
それだけ言って、また前を向く。
翔太💙「……ありがとう」
ラウ男🤍「何を?」
翔太💙「……なんか」
少しだけ言葉に詰まる。
翔太💙「ちゃんと……見てくれてる感じ、しました」
ラウ男🤍「何を?」
翔太💙「……わかんないです」
少し間。
翔太💙「でも」
視線を落とす。
翔太💙「なんか、楽でした」
少し間。
翔太💙「……」
言いかけて、やめる。
――見てくれる人、いないから。
そう思ったのに、口には、出せなかった。
翔太💙「……なんでもないです」
思っていたよりもずっと、暗い声色になってしまって
慌てて笑った。
ラウ男🤍「……」
ラウ男🤍「ほらまた」
優しく頭に添えられた大きな手が、乱暴に
クシャクシャッと撫でた。
今日一日。
変だったはずなのに。
気づけば、少しだけ笑っていた。
寮へ続く道。
街灯の下、ぬいぐるみを抱えた二人の影が並んでいた。
翔太💙「すごいですね……」
腕の中のぬいぐるみを見下ろす。
翔太💙「あんなに取れる人、初めて見ました」
ラウ男🤍「だろ」
得意げに笑う。
ラウ男🤍「コツあんだよ」
翔太💙「教えてください!」
ラウ男🤍「……師匠がいるんでね」
師匠――
ラウ男🤍「自分でやれ」
でも、少し楽しそうだった。
翔太💙「じゃあ……」
少しだけ間。
翔太💙「また連れて行ってください」
ラウ男🤍「……」
一瞬だけ、ラウ男の足が止まる。
横目で翔太を見る。
ラウ男🤍「気が向いたらな」
翔太💙「ほんとですか!?」
ラウ男🤍「うるせぇ」
でも、口元が少し緩んでいた。
寮の前。足を止める。
翔太💙「今日はありがとうございました」
ぬいぐるみを抱えたまま、ぺこりと頭を下げる。
ラウ男はそれを見て、少しだけ眉を上げた。
ラウ男🤍「律儀だな」
翔太💙「え?」
ラウ男🤍「別に礼とかいらねぇよ」
少し間。
ラウ男🤍「楽しかっただけだし」
翔太💙「……」
気づけば、白い雪うさぎが腕の中にあった。
白い雪うさぎのぬいぐるみ。
白い雪うさぎ――
手のひらに収まる、小さなやつ。
鞄に付けた。
歩くたびに、揺れる。
目が、合う気がした。
もう一つは抱き抱えられるくらいのふかふかのやつ。
翔太💙「今日から一緒に寝ようねウサちゃん」
ラウ男🤍「優しいんだね」
翔太💙「えっ?」
またやっちゃった……
でも、
〝変わった子〟
じゃなかった――
胸の奥が、ふわっと温かくなる。
翔太💙「僕も、楽しかったです」
翔太💙「大事にするね」
雪うさぎのぬいぐるみを振って見せると
クスッと笑ったラウ男は、すごく綺麗な顔をしていた。
そのとき。
――視線。
背中に、刺さるような感覚。
振り返る。
翔太💙「……あ」
目黒先生。
暗がりの中、壁にもたれて立っていた。
蓮🖤「……随分楽しそうだな」
低い声。
空気が一瞬で冷える。
翔太💙「あっ……その」
言葉が詰まる。
ラウ男は気にした様子もなく、ポケットに手を突っ込んだまま立っている。蓮の視線が、翔太の腕の中に落ちる。
ぬいぐるみ。そして、ラウ男へ。
ほんの一瞬。目が細くなる。
蓮🖤「……」
何も言わない。
ただ、視線だけが動く。
ラウ男🤍「……なに」
蓮🖤「別に」
短い返事。
でも、視線は外さない。
蓮🖤「仕事は遊びじゃない」
翔太💙「すいません……!」
反射的に頭を下げる。
さっきまでの温度が、一気に消える。
ラウ男が小さく息を吐いた。
ラウ男🤍「別に仕事の後だろ」
蓮🖤「……」
沈黙。
空気が重くなる。
その中で、蓮だけが違っていた。
――見ている。
楽しそうな二人を、ではなく。
もっと別のものを。
蓮🖤「……渡辺」
翔太💙「はい」
蓮🖤「明日、朝一で来い」
翔太💙「えっ?」
蓮🖤「話がある」
それだけ言って、背を向ける。
コツ、
コツ、
足音が遠ざかる。
静けさが戻る。
――その奥で、
コツ、
コツ、
ヒールの音が一度だけ鳴った。
誰も振り返らなかった。
翔太💙「……なんだろ」
ぽつりと呟く。
ラウ男は肩をすくめた。
ラウ男🤍「さぁな」
でも、その目は少しだけ細かった。
まるで、面白がるみたいに。
その夜。
ベッドの上に転がる。
翔太は天井を見ていた。
ぬいぐるみを頭上に掲げる。
翔太💙「……俺、こんな顔してる?」
真っ白な雪うさぎのぬいぐるみ。
瞳は青色のガラス細工でできていて、照明の光を
反射してキラキラと光った。
翔太💙「可愛い……」
そう思ったと同時。
翔太💙「弱そっ――」
何だか可笑しくって笑えた。
〝優しいんだね〟
そう言ってもらえたことが、嬉しかった。
変わった子でも、可笑しな子でもない。
――ちゃんと見てもらえた気がした。
ゆっくりと瞳を閉じた。
廊下に立ち竦むラウ男先生――
翔太💙「……なんで」
思い出す。
あのとき。
呼ばれてもいないのに、自分から動いた。
理由はない。
ただ、〝そうした方がいい気がした〟だけ。
翔太💙「……おかしい」
小さく呟く。
でも、答えは出ない。
ただ一つだけ、あの言葉が頭から離れない
――あなたが一番、素直だから
翔太💙「……」
胸の奥が、少しだけざわついた。
最後のあの視線だけが、頭から離れない。
――あれは、引かれていたんだろうか。
答えは出ないまま、ただ、残っている。
腕の中のぬいぐるみを、目一杯引き寄せた。
少しだけ、息がしやすかった。
――それでも。
胸の奥に残ったざわつきだけは、消えなかった。
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ラウールとじゃなくて、ラウ男となの???😳🤍💙びっくり!!!