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Side Blue
一人暮らしをしていたときだって、こんなに寂しい夜はなかった。
ジェシーに会いたいけど、会えない。
自分から会いに行くこともできないから、俺はこの部屋で待つだけ。
彼は今日も忙しくしている。少し遅くなるかも、という朝の伝言通りなかなか帰ってこない。
「お前がいなきゃ…死んじゃいそうだよ」
白い天井に向かって吐き出した言葉は、透明な靄のまま消えた。
誰にも、届かずに。
「おはよ。起きたね」
まぶたを開けた俺は、目の前にジェシーの笑顔を捉える。
あれ?
いつの間にか寝ちゃってたようだ。ソファーに横になっていた俺の身体には毛布がかけられている。
「じぇし…。おかえり」
「うん。ただいま」
そう言うと、彼は優しく抱きしめてくれた。俺も腕を伸ばしてハグを返す。ふたりおんなじ石鹸の香り。
「今日の治療、どう? 副作用は?」
いつものようにキッチンに立ちながら、彼が訊いてきた。
「ちょっと、…ひどいかも」
隠すのも億劫で、率直に打ち明けた。
今は、通院しながら抗がん剤治療を受けている。今日もそれだった。
だけどだんだん身体のほうが受け止めきれなくなっているのは、自分でもわかる。
限界に、傾き始めているのだと。
「そっか。じゃあ無理しなくていいよ。お粥さんとかにする?」
「…ん」
「わかった。待っててね。こないだ土鍋買ってきたんだよ~」
頭をクッションに預けながら目を閉じると聴こえてくる、鍋の中でことこととお米を煮る音。
こういう別メニューのときは、決まって俺のほうを先にしてくれる。
彼の優しさを独り占めできるのが、嬉しい。
独り占めしているのが俺で、いいのかとも思う。
「ああっ、あち」
目を開けて台所を見やる。ジェシーがけたけたと笑いながら、鍋と格闘しているところだった。
「気を付けてね」
「気を付けてるよー、HAHA!」
でもジェシーのことが大好きで仕方ないから、もうどうしようもない。
躊躇いなく独占させてもらおうではないか。
「よーし盛り付けできた。じゅりー、どーぞ」
ちょっと力を入れて起き上がる。バスで病院まで行った日は、体力がこそぎ落とされる。
「お、うまそうじゃん」
「なんで意外そうなの」
リビングテーブルに置かれたのは、お粥と小さなサラダだった。彼がお粥を作ってくれたのは、確かインフルエンザに罹ったとき以来だ。
「いただきます」
スプーンですくって食べれば、柔らかいご飯の甘みがとろりと口の中に広がる。
そのままお腹まであったかくなってくる。
「おいしいよ、ジェシー」
「うれしーい。よかった」
しばらくして、ジェシーもダイニングテーブルにつく。彼のほうは昨日の残りのカレーだ。
「今週末ね、俺地方ロケ入っちゃって。一晩、ひとりで大丈夫?」
「頑張るよ」
「樹にはもう頑張らせたくないんだよなぁ」
「ジェシーが頑張ってんなら、俺も頑張るって」
「そう? でも俺の本音は、もう抗がん剤も打ってほしくない」
え。乾いた唇から、ぽろりと声がこぼれ落ちる。
「苦しい思い、させたくない。だって樹が今も治療続けてるのは、結局俺のためでしょ? わかってんだから」
目が泳ぐ。こんなときに限って、切り返す言葉がない。
今までならどんなトークも捌けたのに。
「ライブの話も進んでるし、…樹を寂しくさせちゃう時間、増えると思う。だからもうちょっと楽になってほしい。痛みが少なくなるといい」
「でも…」
反論ができなかった。ジェシーの望みは、俺の苦痛が少なくなること?
「でもさ、諦めたらお前が悲しむだろ? わかってる、わかってるよ。もう残された時間は多くないってこと。だけど――」
「樹の選択は、全部『諦め』なんかじゃないよ」
顔を上げればジェシーと目が合う。
彼はいつだってこうだ。自分の中の感情を、「他人のため」っていう大義に変えてしまう。
自分の思いが消えているのにも気づかずに。
「樹はひとつも諦めてない。だから大丈夫」
ありがとう。ごめん。大好き。色んな感情がごちゃ混ぜになって、胸の中を渦巻く。出口を探している。
ジェシーが立ち上がって、俺の頭にぽんと手を乗せた。
俺より少し大きな手。
「……辛かった。髪抜けるのも、体調悪くなるのも、…みんなと一緒にいられないのも。俺、一生お前らといるつもりだったのに」
「うん。そうだね」
「…ジェシ、今までずっとありがと。いっぱい心配と迷惑かけてごめん」
「ううん」
「ずっとずっと、大好き」
「俺も。……ほら、冷めちゃうから早く食べよ」
そしてダイニングテーブルのカレーをこっちに持ってきて、ソファーの隣に座った。
「ロケから帰ってきたら、メンバーうち来るって」
「ほんとっ?」
「HAHA。笑ってくれた。大好きな人の笑顔って幸せだね」
「お互いな」
終わり