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『紗良』
四月の空は、嘘みたいに青かった。
「紗良、また同じクラスだね!」
振り向く前に、笑顔を作る。
「うん、よろしくね」
自然んな声、自然な角度、自然な表情。
全部、間違えない。
「今年も委員とかやるんでしょ?」
「どうかな。頼まれたら断れないかも」
軽く笑う。
周りも笑う。
正解。
担任が名前を読み上げる。
「学級委員は……朝比奈」
ざわ、と教室が沸く。
「やっぱり〜!」
「絶対そうだと思った!」
「安心感あるよね」
拍手まで起きる。
立ち上がって、軽く頭を下げる。
「一年間、よろしくお願いします」
教科書通りの言葉。
――完璧。
座ると、誰かが小さく言った。
「紗良がいれば大丈夫だよね」
胸の奥が、きゅっと縮む。
でも顔は笑ったまま。
「頑張るね」
放課後。
質問攻め、相談、雑談、書類の確認。
全部終わる頃には、教室には誰もいなかった。
窓の外は、夕方の色に変わっている。
静か。
ようやく、呼吸ができる。
靴を持って廊下に出る。
人のいない階段を選んで上へ。
立ち入り禁止の札がついた扉。
でも鍵はかかっていない。
押す。
重い音。
――屋上。
風が、体の中まで抜けていく。
胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ軽くなる。
誰もいない。
何も求められない。
正しくなくてもいい。
ここだけは。
フェンスの近くまで歩いて、座り込む。
空が近い。
何も考えなくていい。
何者でもなくていい。
ただの人間でいられる。
目を閉じた、その時。
扉の開く音がした。
心臓が跳ねる。
振り向く。
知らない男子が立っていた。
同じ制服。
でも見覚えはない。
背が高い。
表情がない。
目だけが、やけに暗い。
一瞬、時間が止まる。
その人は、私を見るでもなく、
まっすぐ反対側へ歩いていく。
何も言わない。
ただ、フェンスの前に立つ。
そして、空を見上げる。
風で前髪が揺れる。
――帰らない。
ここは、私の場所なのに。
言うべき?
でも何を?
「立ち入り禁止ですよ」
違う。教師みたい。
「ここ、私が使ってるんで」
自意識過剰。
言葉が出ない。
沈黙が長くなる。
やがて彼は座り込んだ。
私から離れた位置。
まるで、最初からそこにいる予定だったみたいだ。
……無視?
いや、存在ごと視界に入れてない。
それが少しだけ腹立たしい。
でも。
なぜか、居心地が悪くなかった。
話しかけられない。
評価されない。
何も期待されない。
ただ、同じ空間にいるだけ。
変な人。
先に立ち上がったのは私だった。
カバンを持つ。
扉へ向かう。
ドアノブに手をかけたとき――
「毎日来てんの?」
振り向く。
初めて、目が合った。
感情のない声。
答えなくていいはずなのに、なぜか口が動いた。
「……たまに」
嘘。
彼は何も言わない。
ただ、少しだけ目を細めた。
見透かすみたいに。
居心地が悪い。
逃げるように扉を開ける。
出る直前、背中に声が落ちた。
「ここ、静かだからな。」
皇帝でも否定でもない言葉。
廊下に出て、扉を閉める。
どくどくと心臓が鳴っている。
……なんで?
たったそれだけなのに。
胸の奥に、小さな棘が刺さったみたいだった。
『悠真』
屋上に誰かいることは、珍しくない。
でも、あいつは他のやつとは違った。
最初に見たとき、思った。
――笑ってない。
いや、笑ってはいた。
完璧すぎるほどに。
でも中身がない。
空っぽの箱みたいだった。
フェンスの前座って、ただ空を見ている。
ただ、何もない。
それが妙に目についた。
普通にやつは、ここに来ると
ため息をつくとか、スマホを見るとか、何かする。
あいつは違う。
存在の輪郭が薄い。
消えそう。
だから、声をかけなかった。
壊れそうだったから。
帰るだろうと思った。
でも帰らない。
変なやつ。
立ち上がったとき、少しだけ迷った顔をした。
言うかどうか。
――ここは自分の場所だって。
でも言わなかった。
言えないやつだ。
頼まれればなんでもするくせに、
自分のことは言えないタイプ。
だから、聞いた。
「毎日来てんの?」
反射みたいに嘘をついた。
分かる。俺もそうだったから。
扉の前で立ち止まる背中。
細い、折れそう。
「ここ、静かだからな」
ただの事実。
理由を与えた。
――来てもいい理由。
扉が閉まる。
1人になる。
空を見上げる。
雲が流れている。
「……似てる」
誰にともなく呟く。
あいつの目。
何かを諦めたやつの目だ。
守れなかったやつの目。
しばらくして、立ち上がる。
帰る前に、さっきあいつが座ってた場所を見る。
何もない。
でも、温度だけが残っている気がした。
「……明日も来るな」
確信みたいに思う。
理由は分からない。
ただ、そう思った。
あそこはあいつに必要だ。
俺にじゃない。
あいつ自身に。
扉を開ける。夕焼けが廊下まで差し込んでいた。