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Side 瑞稀
やばい、かわいい。
不覚にも、俺の胸の中で泣く柚葉さんをそう思ってしまった。
ただ、柚葉さんを励ましたかっただけなのに。そう思うのに、俺の口からはまた、あのどうしようもない言葉が零れ落ちる。
「ねえ、柚葉さん、俺にしようよ」
いつも通り断られる前提で言った俺。その言葉を聞いたら柚葉さんを離して、今日は帰ろう。
そう思っていた。それなのに。
「いいよ」
掠れた小さな声だったが、はっきりと聞こえたそのセリフに、俺は一瞬自分の耳を疑った。
そして、その言葉の意味を頭が理解する前に、俺の身体は勝手に柚葉さんを抱きしめ、強引にキスをしていた。
こんなに我慢できない男だったか?
そんな自問自答は、柚葉さんの甘い声と、綺麗すぎる身体を前にして消え去った。
初めてこんなに余裕のない自分が信じられない。しかし、それ以上に感じる幸福感。
やばい。
それしか頭になくなった。
やってしまった。まったく抱く気などなかったのに。
幸せそうに眠る柚葉さんの頬にかかった髪を耳に掛ければ、くすぐったそうに身をよじる。
そして、肩までかかっていたシーツが落ち、真っ白で綺麗な肌が現れ、俺は慌ててそれを掛け直した。
これ以上見ていれば、もう一度抱きたくなってしまう。
こんなに誰かに固執することも、嫉妬することも知らなかった。
そうは思うも、思い返せばずっと彼女を見ていたのかもしれない。
誰にでも公平で、俺にもまったく興味がなさそうな彼女は、とても話しやすかった。
女嫌いともいえる俺が、看護師としても人間としても信頼できる人だった。
しかし、彼女には決まった人がいるとか、ハイスペックな人だとか、色々噂があり、そんな人がいるのに奪う気などまったくなかったし、それほどの情熱も俺にはなかった。
それなのに……。
どうしよう……。
こんな幸せなはずの瞬間に、俺は一気に後悔が押し寄せる。
まさか、こんなに早く柚葉さんが俺と付き合うことを了承してくれるなんて思っていなかった俺は、完全に今、順番が狂っていることに気づいている。
俺には伝えないといけないことがあるのに。
そうは思うも、幸せそうに眠る彼女に、今じゃなくてもいいと自分に言い聞かせる。
ずるくて、弱い自分を知りながらも、ようやく手に入った柚葉さんをぎゅっと抱きしめた。
「好きなんだよ。本当に……」
嘘偽りない言葉を、眠る柚葉さんに呟きながら、触れるだけのキスをした。
Side 柚葉
その日から一カ月、彼とはそれなりにうまくいっているとは思う。
“それなり”というのは私の中の問題で、表面上はうまくいっているはずだ。
まともな恋愛をしてこなかった私は、「付き合う」ということがわかっていなかったと痛感している。
普通の人が高校生ぐらいに通ってきた感情に、今さら翻弄されている。
彼の行動をじっと見て、今どう思っているの? 嫌な思いをしなかった?
そんなことばかり考えてしまう。どこが百戦錬磨でハイスペックの彼がいる女だろう。
甘やかされるだけで固まってしまうし、気の利いた言葉も言えない。
付き合う前の方が、なんでも言えていたかもしれない。
それは、嫌われようが何を思われようが問題がなかったからだ。
しかし今は違う。彼の温もりと優しさを知り、素の姿を私だけに見せてくれることが嬉しくて、切なくて、胸がキュッとする。
戸惑いや不安が大きい。でも一緒にいたいと思う自分。
そんな気持ちがごちゃ混ぜになり、わけがわからない。
拗らせていて面倒くさい。自分でそう思うも、今日もせっせと彼の夕飯を作る自分が嫌いではなかった。
なかなか来る時間もわからない。急に容体が変わったり、急患が来ることもある。
だから「合鍵が欲しい」その言葉に少し戸惑ってしまったが、私はそれを了承した。
どうしてその時戸惑ったのかも、それを了承したのかも、自分でも明確な説明はできない。
ただ、その時の彼の表情が不安そうに見えたからかもしれない。
鍵を渡した時、望月君はやけにホッとした表情をした気がする。
その意味を、付き合っているのだから聞けばいいのに、それができない。
その理由は、まだ付き合いが浅いからだろうか。
幸せな気持ちと、不安になる気持ちが交互に訪れる自分に、小さく息を吐けば、無意識のうちに味噌汁が出来上がっていた。
慌てて味見をすれば、案の定少し薄く、慌てて味噌を足した。
ぼんやりとしていて完璧な料理ができるほど、私はすごくはない。
だんだんと彼の物が増えていく。そんな部屋がくすぐったい。
望月君用に買ったお茶碗を出して用意をしていると、玄関が開く音がした。
無意識に茶碗を置いて玄関に行けば、目の前に笑顔の彼がいて、きゅんとしてしまう。
美希みなみ
そんな私を見て、くすっと笑った後、彼は私を優しく抱きしめた。
「ただいま」
「……おかえり」
なぜかそれだけのセリフが照れくさくて、私の声はいつもより小さくなってしまう。
それを望月君が面白そうに、さらにくすくすと笑う。
その笑顔を見上げれば、本当に安心したような表情で笑ってくれるから、私もつられて笑顔になってしまった。
そんな私に、望月君はチュッとリップ音を立ててキスをした。その行為に、私は目を丸くする。
「柚葉さん、本当にこういうの慣れないね」
私の腰に手を回したまま、もう一度軽いキスを落としながら、彼は最後に頬にキスをする。
何も言えず、たぶん顔が赤くなってしまっているだろう私を、またぎゅっと抱きしめる。
「柚葉さん、可愛すぎる」
「そんなこと……」
望月君の方がかわいかったはずなのに、目の前の人は甘いセリフをこれでもかと浴びせてくるから、もうお手上げだ。
「あの、ご飯、待ってたの。一緒に食べよ?」
これ以上この雰囲気に耐えられなくて早口で言えば、望月君は「ありがとう」と言いつつも、また私にキスをした。
「ねえ、あの、これ繰り返してたら、ご飯食べられないよ?」
軽く繰り返されるキスの合間に言えば、いつもより低い声が耳元で響く。
「柚葉さんは、俺とこうするの嫌なの?」
そのまま耳を甘噛みされ、私は声が漏れそうになるのをなんとか耐える。
「そんなことないけど……」
別にキスをすることも、触れ合うことも嫌なはずがない。ただ、私が緊張してしまい、ドキドキしすぎるだけだ。
きっと彼はそんなことわかっていると思う。
そんな思いを込めて彼を軽く睨みつければ、さらに誘惑するような瞳を私に向ける。
「じゃあ、柚葉さんからキスして」
「な!」
「だって嫌じゃないんでしょ?」
戸惑うも、嫌だと思われるのは本意ではない。
真っすぐに見つめられる彼に、私はキュッと唇を噛んだあと、背伸びをして一瞬触れるだけのキスをした。
「したよ。ご飯食べよう」
彼の腕の中から出ようとすれば、いきなり後頭部を引き寄せられ、深くキスをされる。
今までの触れるようなキスではなく、舌が絡められる。
「ん……」
甘ったるい声が漏れたところで、望月君がそっと耳元で囁く。
「先に柚葉さんでもいい?」
その言葉に、私は我に返った。
「ダメ! お味噌汁、火にかけっぱなし!」
さっき味を見たあと、火を消していないことを思い出し、私は望月君の胸を押すと、急いでキッチンへと戻る。
「あー……」
すっかり味噌の風味が飛び、沸騰した味噌汁の火を止めていると、後ろから申し訳なさそうな声が聞こえる。
「ごめん、柚葉さん」
同じように鍋を覗き込み、望月君が申し訳なさそうな顔をする。
「いいよ。風味のないお味噌汁で我慢して」
私がくすりと笑えば、望月君は優しい笑顔を見せた。
準備をしながら、私は部屋着に着替えている望月君をちらりと盗み見る。
ワンルームのため、すぐそばで着替えないといけないのだが、かわいらしいのは見かけだけで、腕や肩回りは程よく筋肉がついており、がっちりとしている。
細く見えるのに、やはり男の人だと感じてしまう。
「柚葉さん、やっぱりご飯後にする?」
ぼーっと着替えるのを見ていた自分に気づいて、私は慌てて首を振る。
「柚葉さん、本当にかわいすぎ」
着替え終わって私のところへ来ると、また後ろから抱きしめる望月君は本当に甘すぎる。
その後、二人でご飯を食べ、一緒にキッチンで片づけをする。
本当に新婚のようなやり取りに、にやけてしまいそうになる。
こんなに「付き合う」ということが甘く、ときに切なく、でもとても幸せを感じるなんて知らなかった。
交互にシャワーを浴び、今日はじゃれ合うようにベッドに入る。
しかし、それは初めだけで、一気に男の人の顔になる彼に、今日も私はただ翻弄され、意識を失うように眠りについた。