「お座りください、佐橋社長」
明彦が父の手を離し、下座を指で示した。
それにも関わらず、プライドだけは高いはずの父がへなへなと座り込んだので、麗も大人しく隣に座ろうと振り袖に皺を作らないよう前を整えた。
「麗はこっちだ」
「? わかった」
何故か上座の明彦の隣を指さされたので素直に従って、座る。
「アキ兄ちゃん。これ、ほんまにどうゆーこと?」
「棚橋社長と同じ条件で麗を嫁に頂戴します。文句はありませんよね?」
明彦から有無を言わせないオーラのようなものを感じているのは麗だけではないらしく、父がブルブルと震えている。
「本当に、全く、同じ条件で? 麗なんかを? 姉の麗音の間違いですよね?」
麗は父の疑問にうんうんと頷いていた。
麗音、世界で一番美しくて凛々しくてかっこよくて頭が良い、麗の姉のことである。
姉は出自の怪しい愛人の娘ではなく、公家の血もひく正妻の娘だ。須藤家の御曹司である明彦の花嫁として十分釣り合う。
「麗です。すり替わるのは花婿のみです。どうぞ、契約書はしっかりご確認いただいて結構ですよ。あなたが持っていらっしゃる御社の株を棚橋が予定していた金額と同額で同数買います」
父がパラパラと明彦が出した契約書をめくりだした。
今日は結納と言いながらも、婚姻届を書くだけでなく、父が所有する会社の株式を譲渡するためのサインもする予定の日だった。
「問題、ありましたか?」
「……ありません」
「それでしたら、サインをした後、ご退室ください」
「はい」
そうして滝のような汗を流している父がさささーと、サインをした。
多分、明彦が正気に帰って価格に見合わない高い買い物をしてしまったと気づく前に麗を売ってしまおうと必死なのだ。
「いやぁ、ご購入ありがとうございます。それではあとは、若いお二人で」
フリマアプリで不要品を売ったような気軽さで父が礼を言うと、見たこともないハイスピードですさささーっと去っていき、二人きりとなった。
「えっと、とりあえず庭でも歩いたらええん?」
ここにきて、麗は料亭での顔合わせでセオリーっぽい庭の散歩を提案した。
何故か明彦に嫁ぐことが決定しており、脳内は大混乱を起こしていたためだ。
「麗がそうしたいならそうしようか」
明彦が庭につながる掃き出し窓を開けてくれ、先に石畳の上に置かれたつっかけを履いた。
そして、麗がつっかけを履きやすいように手を差し出してくれる。
「ありがとう」
別に、明彦が優しいのはいつものこと。着慣れない振り袖を着ているから気を使ってくれたのだ。
だから、麗は明彦の手に手を乗せて支えてもらいながらつっかけを履いた。
「えっ?」
だが、いつもとは違い、何故かその手をぎゅっと強く握られた。まるで離さないとでも言うかのごとく。
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