テラーノベル
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第13話 崩れ落ちる紅薔薇と、冷たい感触
手の中にある分厚い招待状(という名のカチコミ予告)を握りしめ、私は初めて紅薔薇宮へと足を踏み入れた。
翠蓮様の宮が静謐な蓮の池だとするなら、ここはむせ返るような真紅の薔薇の園だ。だが、豪華絢爛な装飾とは裏腹に、今日の空気はどこか重く、すれ違う侍女たちもピリピリと殺気立っていた。
(……あっ、ダメですねこれは)
私は彼女の顔を見た瞬間、そんな言葉が浮かんだ。
黄金の瞳は血走り、瞬きもまばらだ。目の下には、どんなに厚塗りのコンシーラーでも隠しきれないドス黒いクマが浮き出ている。
肌は極度の乾燥で粉を吹き、せっかくの高級ファンデーションが完全に浮いてしまっていた。
(ベースメイクが完全に死んでいます。生気がないどころか、これでは私が施す死化粧の方がよほど血色がマシです)
頭の中でダメ出しが浮かびまくるなか、紅玉様は私を睨みつけ、ギリッと歯を鳴らした。
ガンッ!
彼女は手元にあった例の三流『死装束セット』が入った桐箱を、力任せに床へと叩きつけた。
「……これは、一体どういうことなの!!」
激昂しているはずなのに、その声はかすれ、息も絶え絶えだった。
怒りよりも、「恐怖」や「絶望」が勝っているように見える。
「誤解です。第一、そのセットは初心者が――」
私は冷静に、用意していた『プロのダメ出し(濡れ衣の証明)』を口にしようとした。
しかし、紅玉様は聞く耳を持たなかった。
「この前の噂もそうだわ! みんなして、みんなして私を陥れて、いじめて……!!」
紅玉様は綺麗な真紅の巻き髪を自ら掻き毟り、狂乱したように叫び始めた。
「私が何をしたっていうの!? ただ真っ当に、この国の母になろうとしただけなのに……!」
(噂? ……ああ、翠蓮様に毒を盛ったという件ですか)
どうやらあの根も葉もない噂は、すでに紅玉様本人の耳にも届いているらしい。それが彼女を精神的に追い詰め、この異常なまでの被害妄想を引き起こしているのだろう。
「紅玉様、落ち着いてください」
私が声をかけるが、彼女は完全に自分の世界に入り込んでおり、焦点が合っていなかった。
「誰も……誰も私を……っ!」
叫んだ直後。
紅玉様の身体が大きくグラついた。張り詰めていた糸がプツリと切れたように、彼女の身体が前方の床へと崩れ落ちる。
「紅玉様!!」
侍女たちが悲鳴を上げて駆け寄ろうとするが、位置的に間に合わない。
咄嗟に、一番近くにいた私が前に出て、その身体を抱きとめた。
ドサッ。
腕の中に飛び込んできた、紅玉様の身体。
「っと、重……くない。軽い」
私は思わず呟いた。
毎晩、抱き枕として覆い被さってくる紫苑の「ずっしりとした大人の男の重みと熱」を知っている私にとって、そのギャップはあまりにも異常だった。
見た目は豪華なドレスで着飾ってボリュームがあるが、抱き留めた身体は驚くほど痩せ細っていたのだ。
「きゃあああ! 紅玉様が!」
周囲の取り巻きたちがパニックに陥り、金切り声を上げる。
私は腕の中で気を失った紅玉様の顔を覗き込んだ。その口元から、ツーッと一筋の黒い血が流れている。
私は迷わず、その血を指で拭い取った。
ツン。
果物が腐ったような甘い匂いが、むせ返るほど強く鼻腔を突いた。
(……香水でも、体臭でもない)
私の墨色の瞳が、冷たく細められる。
紅玉様の肌は氷のように冷たく、この独特の腐敗臭が内側から湧き出ている。
(この冷たさと、この匂い。……間違いない。この方、内臓が腐りかけている)
私は医者ではない。だが、「死体」に近づきつつある肉体を、誰よりも正確に見立てる自信があった。
これは病気ではない。明らかに毒に侵されている。
「誰か! 医官を呼んでください!」
私は周囲の侍女たちに向かって叫んだ。
だが、従者たちは顔を見合わせるばかりで、誰も動こうとしない。
チッ。
私は小さく舌打ちをして、紅玉様を静かに床へ寝かせ、自分で呼びに行こうと立ち上がった。
すると、一人の従者がすがりつくように叫んだ。
「止めてください! 医官だけは、どうか!」
「……は?」
「だって、だって……! その医官が来てから紅玉様はおかしくなったんです!」
私はピタリと足を止めた。
室内に、異様な静寂が落ちる。
ただの嫌がらせ事件が、一気にきな臭い毒殺未遂へと姿を変えた。
コメント
1件
いや、ここに来て一気に話が動きましたね……。紅薔薇宮の分厚い招待状の時点で「これはただの呼び出しじゃない」と読めたのは良かったんですが、まさかあそこまで紅玉様が追い詰められているとは。ベースメイクが死んでいるにも気づかず、自ら髪を毟って叫ぶ姿には息が詰まりました。何より最後の「その医官が来てから紅玉様はおかしくなった」という台詞ですよ。伏線を撒くにしてもここまで自然だと、逆に背筋が冷えます。体の中から腐り始めているという描写、あれは死化粧のプロだからこその視点ですね。