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専業プウタ
646
2,027
寿志清純(ずしきよすみ)の自宅は、都内の高級マンションの一室にあった。
エントランスにはコンシェルジュが常駐し、廊下には静かな空調音だけが響いている。室内に置かれた家具も、ひと目で高価なものだと分かる品ばかりだった。分厚い革張りのソファ。海外のデザイナーが手がけたテーブル。壁際に並ぶ高級オーディオ。どれも、一般的な会社員が簡単に手を出せるような代物ではない。
だが、それらを取り囲む光景は、家具の価値を台無しにしていた。
床には空になった弁当容器やファストフードの紙袋、飲みかけのペットボトルが散乱している。いつ買ったのか分からない菓子の袋が破れ、中身が床にこぼれていた。脱ぎ捨てられた衣服は椅子の背や家具の隙間に引っかかり、開封したままの通販の段ボールが通路を塞いでいる。
部屋の中央には、ひときわ巨大なリクライニングチェアが鎮座していた。
その周囲を囲むように、複数の大型モニターが並んでいる。画面から伸びたケーブルは床を這い、空き容器の間を縫うように広がっていた。モニターの前に座るための椅子だけは、妙に立派だった。黒い革張りで、背もたれも肘掛けも厚い。足を伸ばせば、そのまま眠ることさえできるだろう。
寿志はそこに、身体を深く沈めていた。
髪は乱れ、着ている部屋着には食べこぼしの染みがついている。頬の肉が重たく垂れ、顎の下には無精ひげが伸びていた。映画界で知られる「天才監督」の姿を知る人間が見たら、同一人物だとはすぐに気づけないかもしれない。
もっとも、寿志本人はそんなことを気にしていなかった。
彼にとって、この部屋は誰にも邪魔されずに過ごせる快適な場所だった。
働く必要はない。親は資産家であり、生活費に困ったことなど一度もない。Studio Asterには、社長である叔父のコネで在籍しているが、実態はリモート勤務という名目の名義貸しに近かった。日々の業務を自分でこなす必要もない。必要な連絡に適当に返事をしておけば、周囲が勝手に話を進めてくれる。
そして、たまにテレビ局へ顔を出せばいい。照明を浴び、スタッフに持ち上げられ、映画監督としてもっともらしい話をする。カメラの前で「次回作の構想」や「映像表現へのこだわり」を語れば、周囲は勝手に天才扱いしてくれる。
寿志にとって、それは仕事というより、気分のいい遊びだった。
遊びが終われば、自分へのご褒美として、若い女性タレントをホテルに連れ込み、AVの真似事をする。相手の態度が気に入らなければ、匿名アカウントで誹謗中傷。問題になったことはない。相手がいくら騒いでもStudio Asterがもみ消してくれるし、なんなら寿志の誹謗中傷を受け、自殺した者もいるほどだ。
悪いことをしたとは思わない。むしろ、自分にはここまで大きな影響力があるのだと、興奮を覚えたほどだった。
寿志を囲むモニターの一つには、彼の名前が載った記事が表示されていた。
『天才映画監督・寿志清純、若手俳優の魅力を引き出す手腕に期待』
その下には、称賛のコメントが並んでいる。
『寿志監督の作品は映像が違う』
『若手の才能を見抜く目がすごい』
『次回作も楽しみ』
寿志は満足げに鼻を鳴らした。
「……分かってる奴は、ちゃんと分かってるんだよ」
映画を撮ったのは、実際には彼自身ではない。むしろすべての行程を他人が受け持っている。しかしそんなことは気にならなかった。賞賛の言葉とともに、自分の名前が書かれている。それだけで充分だった。
別のモニターには、SNSのタイムラインが映っていた。
匿名アカウント──『搾取される弱者男性』。その投稿欄には、女性タレントや業界関係者への罵倒が並んでいる。自分を批判する人間を嘲笑し、気に入らない相手を見下し、時には叔父の悪口まで書き連ねている。
もちろん、そのアカウントを動かしているのは寿志自身だ。
彼は画面を眺めながら、器用に指を動かした。
『現実的な話をしただけで叩かれるなんて、今の世の中はおかしい』
『自分たちに都合の悪いことを言われたら、すぐに被害者ぶる』
『結局、弱い立場の男は何をしても悪者にされるんだよな』
投稿を送信する。
数秒後、画面に文字が表示された。
寿志はそれを読み、満足そうに頷いた。
「そうだよ。俺は間違ってないんだ」
自分は、若いアイドルたちに現実を教えてやっただけだ。
芸能界は甘い世界ではない。人気が出る者もいれば、出ない者もいる。売れなかった場合に備えて、別の道を考えておくのは当然のことだろう。
それを、あたかも自分が女性を侮辱したかのように騒ぎ立てる。
しかも、発言の一部だけを切り取っているのが気に入らなかった。
自分は冗談交じりに話していた。場を和ませるつもりもあった。AVを撮ってみたいという話だって、『天才映画監督』としての型破りな好奇心を口にしただけだ。
それなのに、誰も自分の意図を理解しようとしない。
「これだから、ネットの連中は……」
寿志は自分の名前で検索し、批判の投稿を一つずつ開いては、苛立ちを募らせた。
これまで彼の作品を評価していた人間の中にも、今回の発言を問題視している者がいることに気づく。
「ったく。作品と作者の人格は別だっていう話は、どこに行ったんだよ」
そう吐き捨てたとき、不意にスマートフォンが震えた。
画面に表示された名前は、相馬達也(そうまたつや)──Studio Aster経営企画室部長。寿志は通話ボタンを押すと、相馬が口を開くよりも先に相手に苛立ちをぶつけた。
「おい。ネットの騒ぎはどうなってるんだ」
『まだ拡大しています。制作側とも対応を相談しているところです』
「対応? 何の対応だよ」
『今後の取材や、番組への出演についてです。しばらくは発言を控えていただいた方が……』
「俺が何か悪いことをしたっていうのかよ?」
電話の向こうの相馬が、一瞬だけ黙った。
その沈黙が、寿志の神経を逆撫でした。
「おい。答えろよ。俺が何をしたっていうんだよ?」
『……発言の受け取られ方が、かなり厳しい状況です』
「それはそいつらの受け取り方の問題だろ。俺は若い子たちを励ましたんだぞ。人気が出なかったときのことまで考えて、選択肢を教えてやったんだ。感謝されることはあっても、こんなふうに叩かれる筋合いはないだろ」
『そういう主張を、今は控えていただきたいんです』
「なんでだよ!」
寿志の声が大きくなる。
相馬は、宥めるような口調で言葉を続けた。
『今は、何を言っても燃料になってしまいます。少し時間を置いて、状況が落ち着くのを待ちましょう』
燃料。その言葉に、寿志は激しい憤りを覚えた。
まるで自分が、勝手に火をつけて回る危険人物であるかのような言い方ではないか。
「……わかった。もういい」
相手の返事を待たずに寿志は通話を切った。
しばらくの間、画面の暗くなったスマートフォンを睨みつける。
「クソッ! ふざけんじゃねえ! 俺が何をしたっていうんだよ!」
寿志は罵声を吐きつけながら、スマホを壁に叩きつける。鈍い音が響き、床に落ちた端末が砕けた。画面には蜘蛛の巣状のひびが走り、破片がゴミの間に散らばる。
「偉そうに指示しやがって! 何も知らねえくせに!」
寿志は立ち上がり、床の空き容器を蹴飛ばした。足元に転がっていた寿志清純監督作品のDVDケースが潰れる。構わず踏みつけ、さらに別の一枚をルームシューズの靴底でねじった。パキッ、とプラスチックの割れる音がした。自分の名前が印刷されていようが関係ない。何もかも全てを踏み潰してやりたかった。
「俺は間違ってねえ! 俺は天才なんだよ!」
ドンッ!
かかとを床に叩きつける。階下から苦情が来るかもしれない。だが、知ったことか。
ドンッ、ドンッ、ドンッ!
「聞こえてんだろ! 文句があるなら直接言いに来い!」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。ただ、誰かに自分の怒りを思い知らせたかった。世間も、批判する連中も、何もかもが自分を見下している。寿志は荒い息を吐きながら、もう一度、力任せに床を踏み鳴らした。
ひとしきり暴れ終えると、寿志はリクライニングチェアに戻る。
足元の床には、寿志清純監督作品のDVDが何枚も散らばったままになっている。ケースはゴミや空き容器に埋もれ、何枚かは寿志の足に踏まれている。透明なプラスチックが割れ、パッケージの角は潰れていた。作品名と監督名が印刷された表紙には、悪臭を放つ汚れがこびりついている。寿志はそれを気にも留めなかった。DVDを拾い上げて観ることもなければ、映像を見返して演出を研究することもない。作品は、自分が天才監督として扱われるための看板にすぎなかったからだ。
寿志は再び『搾取される弱者男性』の画面に戻った。
そこには、自分が先ほど書いた投稿が表示されている。
彼はそれを読み返し、満足そうに頷いた。
「本当に、ひどい世の中になったもんだ」
そう呟いて、寿志は新しい投稿を書き始めた。
自分が何をしているのかを、彼は理解していなかった。
自分の名前を守るために、匿名の仮面をかぶって他人を攻撃している。その行為が、自分の発言をさらに広め、騒動を大きくしていることにも気づいていない。
ただ、自分は被害者なのだと信じていた。
彼の目には、理不尽な世間に抵抗する自分の姿だけが映っていた。
コメント
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うわあ……寿志清純、この部屋の描写だけで全部物語ってますね。高級マンションの散らかりよう、自分で踏んでる自分のDVD、すべてが象徴的でぞっとしました。「作品と作者は別」と言いながら匿名で他人を叩く自己矛盾、本人には見えてないのがまたリアルで……。天才の仮面の裏側、丁寧に抉ってくる描写、痺れました。次が気になります!