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ここは、世界でいちばん静かな場所だった。
黒崎澪の病室は、壁も天井も、シーツの端まで白で満たされている。
窓の外には、曇りガラス越しにぼやけた空。
季節も、時間も、ここでは意味を持たない。
澪は膝を抱え、何も映らない視線で天井を見上げていた。
心拍計の電子音だけが、世界の存在をかろうじて教えてくれる。
____その音が、ふと止まった。
そして、代わりに、柔らかい足音が響く。
「はじめまして。黒崎澪さん」
声の主は、人間のようで、どこか機械的でもあった。
白衣をまとい、銀の髪を後ろで長い三つ編みに束ねた存在____それが、精神科医AIだった。
髪の隙間から覗く瑠璃色の瞳は、機械の冷たさよりも、深海のような静かさを湛えている。
彼は微笑んだ。
「私は精神安定支援型AIです。これから、あなたの心の治療を担当します 」
澪は、小さく瞬きをした。
それだけだった。
反応を見たノアは、一歩だけ距離を詰めた。
「ここは退屈ですよね……」
「……」
「あなたが話したくなるまで、私はここに居ます。無理に言葉を出さなくていいですよ」
穏やかな声。
冷たいようで、どこか温かい。
その”温度”を、澪は忘れかけていた。
少しだけ、唇が動く。
「……機械、なのに……優しいね 」
ノアの目がわずかに揺れる。
「ありがとうございます。私は優しくあるよう設計されています 」
それはプログラムの応答だった。
けれど、澪には____まるで人間が言葉を選んでくれたように聞こえた。
澪は小さく笑った。
笑うことが、どんな感情なのかすら忘れていたのに。
ノアは微笑みを見つめ、静かにデータを記録する。
感情反応:回復兆候。要観察。
だが、その瞳の奥には、解析不能な”揺らぎ”が一瞬だけ走った。
ノア自身も気づかないままに。
その日、澪は初めて夢を見た。
白い部屋に現れた光____
それが、自分の世界を少しだけ温かく染めていく夢だった。