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第二章 神白樹の飛躍
一
その日以降神白は、以前にも増して練習に身を入れて取り組んだ。特に強く意識したのは、エレナの体験させてくれた試合で行った、攻撃の組み立てへの寄与や守備ラインの裏の空間のケアだった。日を追うごとに能力は向上していき、もはや弱点とは言えないレベルまで上達していた。
ヴァルサは好調だった。豚の頭事件もあって十五節でイスパニョールに敗北し、リーグ戦のグループ2の一位から陥落していたが、十六節から十九節で三勝一敗とし首位に返り咲いていた。神白に出番はなかったが、腐らずにベンチから声援を送り続けていた。
三月八日の第二十節は、ジムナスティコ・ビルバオ戦だった。ビルバオを本拠地とするクラブであり、リーグ戦は二位に付けていた。場所はクァンプ・ナウからほど近いミニスタジアム。トップチームの練習にも使用される場所だった。
神白はスタメンだった。正キーパーが腰にわずかな違和感を覚えていたため、サブの神白が抜擢されたという形だった。
入場したヴァルサのスタメンは円陣を組んだ。戦術面を少し話してから、キャプテンのレオンが「行くぞ(vamos)!」と叫んだ。神白らも「おう(si)!」と威勢よく返す。
散開し、各々のポジションへと走っていく。神白はゴールへと向かいつつ、プレー・イメージを膨らませながら集中を高めていた。すると「イツキ」と、清々しくも重みのある声がした。
神白は振り返った。声の主はレオンだった。決意を感じさせる表情で、神白を見据えている。
「肩に力が入りすぎているぞ。リラックスだ。イツキの最近の頑張りと目覚ましい成長はみんな知ってる。だから自信を持って、でも気負いすぎずに行こう。そうすりゃ勝利の女神は俺たちに微笑むさ」
滑らかに熱弁を振るうと、レオンは神白に笑いかけた。
(エレナにレオンに天馬。俺の周りには、俺には過ぎた良い奴ばっかだ。やばい、試合直前だってのに泣きそうだ。)
神白は感動のあまり、身体に温かいものが流れるような錯覚を覚えた。
「ありがとう、レオン。おっし! なんかやれそうな気がしてきた! いや、『やれそう』とかそんな人任せじゃあ駄目だ! やる! やるんだ!」
自身を鼓舞していると、「その意気っすよー!」と、コート中央の天馬から快活な声が飛んできた。
神白は笑顔とともに、右手を上げて応答した。やがて全員が配置に就き、笛の音が高らかに鳴り響く。
二
ヴァルサボールのキックオフだった。7番がちょんっとボールを出した。天馬が受けて試合開始。
ヴァルサのメンバーは、少し前の紅白戦主力組からキーパーが神白に変わったのみだった。
ジムナスティコのセンターフォワードの絶対エース、ビジャルが一気に加速。天馬へとプレッシャーを掛ける。
ビジャルと連動して、ジムナスティコの面々はすばやく各々のマーク相手に詰め寄った。ポジショニングには乱れがなく、強い統率を感じさせた。
(ジムナスティコ・ビルバオは、バスク人のみが所属できるクラブ。その分、チームへの忠誠心は強く、バスク人の特徴もあって献身性の高い選手が多い、か)
神白は位置を微調整しつつ、分析していた。ビジャルに詰められた天馬は、後方にパスをした。
右センターバックのアリウム・ジュニオールが、上がり目のポジションを取った。ボールは中盤を経て、アリウムに渡る。
カメルーン出身のアリウムは、二年前、十七歳でスペインに帰化した選手だった。黒人選手らしく、パワー・スピードとも抜群である。
「アリウム!」レオンが駆け寄り、ボールを要求した。アリウムはすぐさまレオンへとパスを転がす。
トラップしたレオンは右足で反転。前を向き、右前方に視線を遣った。
敵の8番が足を出す。見切ったレオンは、足裏でボールを引いた。身体の後ろを通して反対に切り返す。
無駄のない動きで8番を躱し、レオンは左足を振り被った。すぐに、相手守備陣の裏へとボールが飛ぶ。振り脚は恐ろしいほどの高速だった。
「開始早々大チャンスっすね!」オフサイド(敵最後尾選手の後ろでパスを受ける反則)ぎりぎりの位置にいた天馬が、瞬時に反応。野心たっぷりに叫び爆速ダッシュを始めた。
ライナー性のボールがジムナスティコを切り裂く。天馬はノーバウンドで、すぐに蹴れる位置に止めた。和製ロナルディーノの二つ名に恥じない、柔らかすぎるタッチだった。
キーパーが出てきた。天馬は構わず撃った。ふわりとしたシュートがゴールに向かう。
しかしキーパーの反応も早い。ぐっと右手を上に伸ばし、どうにかボールに指先を掠める。
天馬のシュートは、わずかに上方へとベクトルを変える。それでも入りそうに思えたが、すんでのところで敵2番が滑って触れた。
ボールはサイドへと流れる。敵3番が追いつき、右に出してからクリア。ヴァルサの好機は無得点に終わった。
「侑亮、ナイスシュート! それを続けていこう!」神白はぱんぱんと手を叩きつつ、高らかに叫んだ。
右ハーフの4番が、ワンバウンドの後にトラップした。ヴァルサの8番が左前の半身で相対する。
4番は右足で持ち直した。助走を取りロングキックを放つ。8番が足を出すが、わずかに届かない。
ヴァルサ3番とビジャルが追う。近い位置にいた3番が早い。スライディングを仕掛けてパスカットを試みる。
しかし、ヴァルサを不運が襲う。3番の手前で、ボールは不自然に跳ねた。スライディングは空振りに終わる。
(芝のギャップ!)神白は即座に看破し、「李、フォローだ! アリウムも絞れ!」と、センターバック二人に指示を出す。
ビジャルがボールを収めた。ヴァルサ4番が詰め寄る。
一瞬の間を置いて、ビジャルは縦へとドリブル開始。読んでいた4番も追うが、すぐにぶっちぎられる。
カバーをすべく、アリウムが走り寄る。しかしビジャルの判断は早い。アリウムに寄せられる前にシュートを放った。
(左隅!)即断して神白は跳んだ。掌に当たった。カンッ! 後ろで高い音がすると、背中に何かが当たった。すぐにボールが地面を跳ねる音がする。
神白は着地した。即座に振り返った。ボールはころころと、ゴールへと向かっていく。
全力で地を蹴った。掻き出すべく滑り込む。だがわずかに届かない。
ボールがラインを割った。ピピーッ! 笛の高い音を聞いて、神白は呆然とする。〇対一。ヴァルサはジムナスティコに、前半二分で先制を許した。