テラーノベル
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ツアーがすべて終わり、ようやく長かった多忙な日々にひと区切りがついた。
スケジュール帳の余白を見つめ、若井は深く息を吐いた。
「……はあぁ〜、やっと終わった」
身体に残る疲労は、重いけれど心地いい。
全力を出し切った証拠だ。
しかし同時に、静けさの中で胸の奥が妙にスカスカする感覚があった。
ツアー期間中は息をつく暇もないほど駆け抜けた。
それが突然終わり、ぽっかりと空いた時間に何をしていいか分からなかった。
⸻
そんな折だった。
友人の紹介で、彼女と出会ったのは。
彼女は音楽業界とは無縁の人で、柔らかい物腰と穏やかな笑顔を持っていた。
バンドの話をしても構えず、ただ普通に会話をしてくれる。
その距離感が心地よく、若井は次第に彼女と過ごす時間を求めるようになった。
数回の食事、映画、散歩。
日常を埋めるように会う時間が増えていった。
ある夜、彼女が少し照れながら言った。
「若井くん、私たち……付き合ってみない?」
不思議と迷いはなかった。
「……うん。俺でよければ」
彼女がほっとしたように笑ったその顔を見て、若井も微笑んだ。
⸻
彼女と付き合い始めてから、若井の休日は一気に変わった。
ツアーの疲れを癒すための休息だったはずの時間が、デートや彼女の部屋でのんびり過ごす時間に変わった。
穏やかなのに、新鮮だった。
「滉斗くんって、意外と料理できるんだね」
「……まあね」
彼女のキッチンで並んで料理をすることもあった。
洗濯物を畳みながら、他愛のない会話を重ねる。そんな普通の時間が若井にとっては新鮮だった。
だが——。
夜、彼女の部屋のベッドの上。
触れ合うたび、若井の心の奥でわずかな違和感が膨らんでいく。
温もりも、柔らかさも、決して嫌いじゃない。
けれど、身体の奥がどうしても満たされない。
彼女の吐息が耳元をかすめる。
「……滉斗くん」
名前を呼ばれても、胸の奥に響かない。
頭では「幸せだ」と思っているのに、心の奥が空っぽのままな気がしてならなかった。
「……俺、なにやってんだろ」
彼女が眠りに落ちたあと、暗い天井を見つめながら呟いた。
何が足りないのか。
誰にも言えない虚しさが、じわじわと心を蝕んでいく。
そんなある日。
スタジオのソファで休憩していた元貴と藤澤に、若井は意を決して告げた。
「……実はさ、俺、彼女ができたんだ」
唐突な報告に藤澤が目を丸くする。
「え、マジ!? いつの間に!」
藤澤の反応は想像していたとおりだった。
驚きと、祝福が混ざった明るい表情。
しかし、もう一人の反応はあまりにも淡白だった。
「……そうなんだ。よかったじゃん」
元貴はソファの背もたれに体を預け、表情を変えずに言った。
その声は静かで、冷たいわけでもないのに、どこか感情が抜け落ちているように感じられた。
「えっと……紹介してくれたりすんの?」
藤澤が空気をつなぐように笑いかける。
「うん、まあ……そのうち」
若井は曖昧に返した。
そのやり取りの間も、元貴の視線が自分に向けられているのを感じる。
射抜くような、重さを孕んだ視線。
「……元貴?」
若井が声をかけると、元貴はわずかに瞬きをした。
「なに?」
「いや……なんか、ずっと見てるから」
「見てないよ」
そう言って、元貴は視線を外した。
⸻
その日の帰り道、若井はスマホを取り出し、彼女にメッセージを送った。
「今夜会える?」
返事はすぐに来た。
「うん、待ってるね」
画面を見つめながらも、元貴の視線が頭から離れなかった。
あの冷たいわけでもない、でも決して祝福の色を帯びていない瞳。
心の奥をかき乱されるような感覚。
⸻
その夜、彼女の部屋で過ごす時間は穏やかだった。
料理をして、一緒に食事をして、映画を見て。
ベッドで抱き合うと、彼女は安心したように笑ってくれる。
「滉斗くん、やっぱり落ち着くね」
「……そう?」
彼女の指先が自分の髪を撫でる。
心地よいはずなのに、胸の奥がざわめいて仕方がなかった。
彼女が寝息を立てたあと、若井は暗い部屋の中で天井を見つめた。
ふと、元貴の視線がよみがえる。
「……なんなんだよ」
吐き捨てるように呟いた。
彼女といると落ち着く。
けれど、元貴の視線を思い出すたびに、胸の奥に小さな棘が刺さるような痛みが走る。
⸻
数日後、元貴からメッセージが届いた。
「飲みに行かない?」
唐突な誘いだったが、若井は断る理由も思いつかなかった。
「いいよ」
そう返すと、元貴からすぐに場所と時間が送られてきた。
小さなバー、仕事終わりの21時。
メッセージを閉じたあと、若井は妙な緊張を覚えていた。
コメント
4件
おやおやおや? なんだか面白くなりそうだ… 続きが楽しみです!!🥹✨
大森くんが嫉妬してる!!かわいい((o(。・ω・。)o))