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朝廷の大広間。
高位貴族達が円を描くように座し
慎重に言葉を選びながら
議論を交わしている。
帝の御前で繰り広げられる
この政治の舞台。
その中央に
たった一人
静かに佇む者がいた。
ー陰陽頭ー櫻塚 時也
彼がその場にいるだけで
貴族達は息を潜める。
時也の鳶色の瞳は
常に穏やかに細められている。
優雅で
冷静で
まるで風が静かに流れるかのような佇まい。
しかし⋯⋯
その場にいる誰もが知っていた。
この男の前で
決して虚言を吐いてはならないと。
時也の耳は
ただの言葉だけを聞くのではない。
人の心を暴く読心術。
それを持つ彼に対し
どんなに巧妙な策を巡らせても無駄だった。
彼の前では、誰もが裸同然。
嘘も、欺瞞も、隠し事も
すべて見透かされる。
「⋯⋯陰陽頭殿」
重々しい声が響いた。
年老いた大臣が
慎重に言葉を選びながら口を開く。
「先日の件
やはり幕府側が裏で糸を引いておったか?」
時也は、静かに目を閉じる。
僅かに眉を寄せ
しばし思案するように沈黙する。
まるで、情報を整理するように。
その静寂が
さらに場の空気を引き締めた。
やがて、目を開く。
「⋯⋯陛下」
低く響くその声に
帝がゆるりと顔を上げた。
「幕府側が関与している可能性は
高うございます」
時也の声は
静かで、優雅で
それでいて冷たい。
「動いたのは、三の家。
裏にいるのは
そのさらに上⋯⋯五の家の者でしょう」
その言葉に
貴族達の間に緊張が走る。
「証拠は?」
帝が問う。
時也は、ただ微笑んだ。
「⋯⋯必要ですか?」
まるで、愚問だとでも言いたげな表情。
証拠など必要ない。
彼が〝そうだ〟と言えば
それが事実となるのだ。
それこそが〝読心術を持つ陰陽頭〟
という存在の圧倒的な力。
帝も、それを理解している。
「⋯⋯ふむ」
帝は微かに頷くと
静かに口を開いた。
「ならば、幕府側に調査を入れよ」
時也は、深々と頭を下げる。
「御意」
その一連の流れを見ていた貴族達は
内心震えていた。
この男がいる限り
朝廷での権力争いは
彼の掌の上。
読心術によって
すべての策略が見抜かれる。
それは
もはや政治ではない。
櫻塚 時也による〝裁定〟だった。
だが、そんな時也の表情は
どこまでも穏やかで
どこまでも冷たかった。
その日の政務が終わる頃。
時也は、帝の御前を退出しながら
ふと空を仰いだ。
薄紅の夕陽が
都の瓦屋根を照らしている。
どれほどの時間が流れても
どれほどの者達が彼に怯えようとも
この空だけは
何も変わらない。
その美しさに
心が動く事も
もう⋯⋯無い。
彼は、心を読む事ができる。
だが、自分自身の心を
誰よりも理解していなかった。
そう、とうに気付いていた。
「⋯⋯雪音」
誰にも聞こえぬ声で
ただひとり
その名を呟く。
牢の鎖は、いまだ解けぬまま。
そして、彼自身もまた⋯⋯
逃れられぬ鎖の中にいた。
夜の帳が
櫻塚の屋敷を静かに包み込んでいた。
蝋燭の揺れる光が
襖の影を揺らす。
「⋯⋯青龍」
雪音の静かな声が、広間に響いた。
青龍は、顔を僅かに上げる。
彼は、この数年間
父の命により
時也から雪音に仕える事を
命じられていた。
「⋯⋯何か御用でしょうか、雪音様」
彼女の鳶色の瞳が
静かに青龍を映す。
彼女は、決して動揺を見せない。
まるで
全てを見通しているかのような
淡々とした声音。
「青龍⋯⋯
お前は、これから
お兄様の傍を
片時も離れてはなりません」
青龍の眉が、僅かに動く。
何かを悟ったような、微かな違和感。
「⋯⋯それは、従えませぬ。」
彼の声は低い。
雪音から離れる事は
当主の命令に背く事を意味する。
それは
雪音自身も理解している筈だった。
しかし
雪音は微笑みながら首を振る。
「いいえ、青龍。
貴方は、従いますわ。」
その声には、確固たる意志があった。
「だってこれは⋯⋯
お兄様の生命に関わる事
なのですから」
その言葉に
青龍の目が細められる。
「お父様の命令よりも
大切なこと⋯⋯でしょう?
『櫻塚家』の為に」
青龍は、しばし沈黙した。
そして、ゆっくりと目を伏せる。
そのまま、察するように頭を垂れた。
「⋯⋯⋯御意」
彼は雪音を見つめ
少しの間、躊躇うように言葉を選んだ。
「雪音様も、ご無事で」
雪音は、微笑んだ。
「琴が居れば、平気ですわ。
私の『言葉』ですよ?」
その言葉には
彼女の力が込められていた。
ー未来を視る力ー
彼女の言葉は
〝確定された運命〟
そのものとなる。
だからこそ
青龍はそれ以上
何も言わなかった。
雪音は
そっと膝に置いていた手を動かす。
「それと⋯⋯
この文を、朝廷にいるお兄様に」
そう言って
小さな封書を青龍へと差し出した。
「⋯⋯かしこまりました」
青龍はそれを受け取り、深く一礼する。
次の瞬間
彼の姿は
風と水飛沫となって掻き消えた。
その様子を見届けると
雪音は静かに息を吐いた。
彼女の指先が、微かに震えていた。
膝の上に添えた手を握る。
ー何を恐れる事がある?ー
ー自ら、決断したのだー
ー自ら、望んだのだー
ーお兄様を生かす為にー
時也が、父の掌から逃れるために。
これが、私の〝決断〟なのだから。
雪音は、ゆっくりと目を閉じる。
「⋯⋯琴」
彼女は
座敷牢の隅で控えていた琴へと
視線を向けた。
琴は、じっと雪音を見つめていた。
「懐刀を用意してくださいまし」
その言葉に、琴の顔が強張る。
「⋯⋯雪音様?」
「⋯⋯お願いですわ、琴。」
雪音の声は穏やかで
それでいて決して揺るがなかった。
「お兄様の為に⋯⋯」
琴は、震える指先で
懐刀を手に取る。
この先に待つ未来が、どんなものか。
それを知るのは⋯⋯
ー未来を視る巫女ー櫻塚 雪音
ただ一人だった。
そして
この夜が
双子の運命を大きく変える事になる。
櫻塚 時也、櫻塚 雪音
この時、齢二十の頃だった。