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#アラスター
64
「お義姉さん……」
「……」
向こうも嫌な奴に会った、とでも思っているのだろう。無言で去っていくのかと思ったら、意外にも彼女は私に話しかけてきた。「美輪さん、こんなところでいったいなにをしているの?」
私は一瞬で笑顔を作った。同時に、全身の感覚が鋭く研ぎ澄まされる。この人の前では、何も悟られてはいけない。
「最近、よく出歩いてるみたいだけど」
義姉の口もとに、薄い笑みが浮かんでいる。目は笑っていない。「こんなところに、なんの用?」
探っている。
私はそう直感した。義姉は興味のないふりをしながら、じわじわと相手を囲い込むのに長けている気がする。慎一と同じ血が流れているのだと、こういう瞬間にいつも思い知らされる。
「なんでもありません」
私は静かに答えた。「すぐ帰ります」
バッグを持ち替えた。弁護士事務所の封筒が入っている側を、体の内側に引き寄せるようにして。何気ない動作を装いながら、それだけに神経を使った。
頭を下げ、義姉の横を通り抜けようとした。通り過ぎざま、なにかが光ったように見え、彼女を凝視しようとしたその時――
「だから早く出ていけって言ったのに」
足が止まった。
聞き流せなかった。聞き流してはいけない言葉だと分かっているのに、足が言うことを聞かなかった。
義姉はこちらを振り返らなかった。私が動揺していると確認するまでもないとでも言うように、ただ前を向いたまま、ふっと息をつくような笑いを零した。
そのまま歩き去っていく彼女の背中を、私は見送るしかなかった。
事務所を出てすぐ、スマートフォンが震えた。ドキリとする。画面に表示された名前を見て、私は思わず足を止めた。
*義母*。
タイミングが良すぎでしょ。もしかして、もう義姉がチクったの?
「はい、もしもし」
「美輪さん、今日お時間ある? 慎一から聞いたのよ、最近お料理の腕が上がったって。ぜひ見せてちょうだいな」
弁護士事務所のことは触れられなかった。義姉はまだ話していないだけ?
でも、さっきの今だから、彼女がこれから話すかもしれない。でも、離婚するまでに義母に会わない方法なんてみつけられない。
私はゆっくりと息を吐いた。「はい、うかがいます」
ええい、なるようになれ!
すぐに自宅に戻り、弁護士事務所でもらった書類などをしっかり片づけてから、義実家へ向かった。
インターフォンを押し、玄関を開けると、見覚えのあるパンプスがあった。
義姉の靴だ。
もう戻っている。ということは――
「あら遅かったわね、早くお料理するわよ」
エプロンを手に現れた義母の顔には、咎めるような色はどこにもない。ただの催促だ。弁護士事務所のことなど知らないのだと、その顔が教えてくれた。
「すみません、少し手間取ってしまって」
義母に促され、私は台所へ向かった。廊下の奥に目をやると、洋室のドアが静かに閉まっている。そこに義姉がいるのだろう。私と顔を合わせるつもりはなさそうだ。
さっき見たこと、義姉は義母に言っていない……んだよね?
もしかして、庇ってくれたのかな。
――「だから早く出ていけって言ったのに」
それって、嫌味じゃなくて、そのままの言葉通りってこと?
この家をさっさと見限れって、そう、教えてくれているのかな。
まさか、と思う気持ちと、そうかもしれない、という気持ちが、静かに拮抗した。
とにかく、義母の動向はしっかり見て、少しでもおかしいと思ったらまた考えよう。
義姉は私の離婚に賛成してくれているのかもしれない、と思ったら、気持ちが少し軽くなった。油断は禁物だけどね。
※
それから数日が過ぎた頃、ユカリさんから連絡が来た。
――マカロンに集合!
何か進展があったのかと思い、早速行ってみることに。扉を開けると、いつものメンバーが揃っている。オーナーを囲うようにしてみんな座っていて、カウンターの奥で彼が静かに立っていた。白いタオルで磨いたグラスを置き、私を見て小さく頷く。
「お待ちしていました」
差し出されたのは、いつもの茶封筒だった。
「次のレシピはこれです」
中に視線を落とした瞬間——私は息を呑んだ。
ホテルの領収書。宿泊日時が記された記録が数枚にわたって並んでいる。チェックインとチェックアウトの時刻。入っていくところと出て行くところ――慎一と笑里の写真だ。
一度きりじゃなかった。
継続的な関係だった。
先生の言った、*宿泊記録、あるいはより長期にわたる行動の履歴*——それが今、私の手の中にあるなんて。
「どうやって……」
「知り合いのツテをたどり、依頼しました。入手方法はご想像にお任せします。こう見えても顔が広いもので」
オーナーは微笑んだ。それ以上は語らなかった。
リリコさんが腕を組んで口を開く。「これで材料は揃ったね。あとは仕上げるだけよ」
ユカリさんが身を乗り出した。「タイミングはいつにする?」
私は証拠を胸に抱いたまま、一拍置いて答えた。
「一か月後に、ちょうど、旦那の会社の懇親会があります。ホテルを借り切って従業員や家族が参加できるパーティーなのですが、ここで発表したいと思います」
「おあつらえ向きじゃん♪」
「これは毎年あるパーティーなのですが、私、連れて行ってもらったことがないんです」
「へー。怪しい~☆」
「はい。恐らくこのパーティーで女の子に接近したり、なにかしら問題行為を働いている気がします」
オーナーが静かに言った。「罠にはめましょう」
「ええ」私は頷いた。「そこで決めます!」
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