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第三節 【鍵を掛けない先輩】
初めて僕が先輩と関わったのは、大学から先輩のマンションまでの間にある喫茶店でのことだった。
その日は一人で、大学の食堂の気分ではなかったので、昼食をとるために大学から近かったそこに、興味本位で入店した。
『メニューが独特過ぎてヤバい』と噂のその店に入り、店の奥に座ろうと通路を歩いていた時、窓際に彼女は座っていた。
あの時のことはよく覚えている。綺麗な人だなと思った矢先、僕の目は彼女から離れなくなった。
正確には、彼女が食べていたものから。
「えっ…」
思わず驚いて声が出てしまった。しかし、思い出しても僕は悪く無いはずだ。
とても美人な女性が、納豆とゴーヤが乗った、パフェと呼んで良いのか分からないものを食べていたのだ。
『それ』が余りに歪すぎてギャップとかの話では無かった。
そうして僕の声に振り返った先輩の方から話しかけてもらい、色々話して会う頻度が増えているうちに、気付いたらパシりになっていた。
そんなことを思い出していると、真向かいに座った先輩に呼ばれて我に返る。
「職くん…?どうしたの、大丈夫かしら?」
「ああ、すみません先輩。えっと、何でしたっけ。」
「何を頼むか決めて欲しいのだけれど…私を同じで良いかしら?」
「あ、自分で選ぶので結構です。」
彼女が何を頼むのか知らないが、まずまともなモノは出てこないだろう。絶対に避けなければならない。
…相変わらずこの店のメニューは狂っている。どうして毎月メニューの3分の2以上が変わるのだろうか。
いや、僕は原因を分かっている。普通の人の味覚に合わないので売れないからだ。
恐らく数少ない注文は先輩しかしていないだろうが、例によって一度注文したら二度と頼むことは無い。
「じゃあ…いつものフレンチトーストで。」
比較的まともで、そこそこ美味しい。僕はこの店ではこれしか頼まないと決めている。
アルバイトであろう店員さんが来て、先輩の注文に驚いている。新人さんだろう。
注文が終わり、空いてる店だが一応、近くに人がいないのを確認して口を開く。
「先輩、昨日の張り込みですが…」
「ええ、どうだったの?」
「多分駄目でした、日付…いや、場所変えますか?」
先輩は考え込む様な仕草をし、少しして首を振る。
「いいえ。この張り込みは、寧ろ外れたからこそ意味があるわ。」
「え?それって…」
と言いかけたところで料理が来てしまった。
「あら、美味しそう。ありがとうございます。」
先輩が店員さんにお礼を言う。僕も頭を軽く下げておいた。
「先輩…」
「ん?」
「いや……良いです、食べましょう。」
形容し難い、彼女が頼んだ料理の名を聞く気になれず、目を逸らしてトーストに齧りつく。
先輩のマンションへの帰り道、やはり食べなくて良かったと思うような先輩の食レポを聞き、何故か階段を上がるのが速い先輩の背中を追いかけながら、部屋に着く。
鍵を開けるのかと思ったら、普通に扉を開けたので、流石にツッコミを入れる。
「えっ、ちょっ、先輩、鍵は…」
「?何かしら?」
「いやいや、今留守でしたよね?」
「ええ、そうね。」
「何で鍵が掛かってないんですか?」
「別に盗まれて困るものなんて…」
「いやっ、そういうことでは…」
もうため息しか出ない。どうすればこの人は鍵を使うのだろう。
「……先輩確か、妹さんがいましたよね?お会いしたことはありませんが…」
「ええ、いるわ。」
「妹さんが一人暮らしで鍵を掛けてなかったら、どう思います?」
「それは……」
「そういうことです、心配なんですよ。」
「……そうね、これからは気を付けるわ。」
本当に分かって貰えてると良いんだが。
これからどうするか話す為、中にお邪魔する。
僕達の背後で、ゆっくりと扉が閉まった。