「あたし、天花寺ひまりっていいます! 早速ですけど先輩、あたしたちの仲間になってください!」
あの日、わたしの前に突如として現れた少女――ひまり達と出会ったその日から、わたしの人生は再び大きく動き始めたんだ。
「――先輩、まずは笑わないで最後まで聞いてください」
彼女たちと出会ったその日の放課後に呼び出されたわたしは、常人が聞けば荒唐無稽だと笑われるような話をいきなり聞かされることになった。
「実はあたしたち、魔法使いなんです!」
「……はぁ?」
たしかに魔法が存在することは否定しない。
でもそれはあちら側の世界の話で、こちら側の世界においてはただの絵空事に過ぎないのだ。
「……そういった妄想は、理解のある身内の間だけで止めておいた方がいいよ」
「噓みたいだけど嘘じゃないんですって!」
必死な表情で訴えかけてくる天花寺ひまりと名乗った少女。
どこか惹き付けられるような魅力を持ったその少女は少し変な子なのかもしれない、と密かに肩を落としていた。
――でも、そんな考えはとある摩訶不思議な生物が目の前に姿を現した瞬間に崩れ去ることになる。
「ひまり、見てもらった方が早いテル。はじめまして、僕の名前はテル。魔法の国から来た妖精テル」
そこにいたのは、緋色の毛並みの子犬に赤い光の翼を生やしたような摩訶不思議な生物だったのだ。
しかも、人間の言葉を発するというおまけまで付いている。
「は……え、なに……犬……?」
「まあ、最初はそうなるよね……私もそうだったし」
驚きすぎて呆気に取られた私の口から零れた言葉を聞いて、ひまりの隣にいるしっかりしていそうな少女が額を手で押さえている。
「テル君はあたしたちに邪獣と戦うための力を貸してくれるんです! あっ、邪獣っていうのはえっと……邪神の力でおかしくなっちゃった動物のこと、でいいのかな……?」
「ひまり、その認識で合っているテル。志島谷瑠奈、この世界に迫っている邪神の危機から世界を守るために力を貸してほしいテル」
正直、信用できないと思った。だって胡散臭すぎるのだ。その安直な語尾とか、女児向けのアニメか何かを参考にしたのか知らないけど、明らかにキャラを作っているし。
でも彼らが語っていた中には、聞き逃してはならない単語もたしかにあった。
「邪神……?」
「この世界には今……邪神“メフィストフェレス”の魔の手が伸びているテル。僕はその邪神からこの世界を守りたいテル!」
開いた口が塞がらないとはこのことかと、そう思った。
――邪神メフィストフェレス。
聞き覚えがあるなんてものじゃない。
それは優日たちが戦っていた敵の親玉ともいえる存在の名だ。
「だから――」
「ふざけないで! 邪神メフィストフェレスなんて……そんなのこの世界にいるわけない!」
カッとなったわたしは、何かを語ろうとしたテルとかいうそいつの首を掴み上げる。……だって、こいつが言っているのはそういうことなのだ。
優日たちは邪神に負けた。だから邪神メフィストフェレスは次に、この世界に手を伸ばしたと。
「どうせ適当なことを言っているだけなんでしょ!? 優日が死ぬわけない! 生きて幸せになるって約束してくれたんだからッ!」
両脇から2人の少女が、妖精からわたしを引き剥がそうと掴みかかってくるが、火事場の馬鹿力というものなのか、怒りでいっぱいになったわたしを止めることは叶わなかった。
――でも次の瞬間、その怒りすらも凍りつかせるような冷たい声がその場に響き渡った。
「その辺りにしてくださりませんか? 見苦しいです、志島谷先輩」
思わずその声がした方向に目を向けると、そこにはゾッとするような目をした少女が立っていた。
「えっ、穂鳥ちゃん……?」
「穂鳥、どうしちゃったの……?」
彼女は先程まで、微笑みを浮かべながら無言であの2人のそばに佇んでいたはずだ。
その時の印象はどこか掴みどころがないというか、おっとりとした少女というものだったが――それは大きな間違いであったと知ることになる。
「優お姉ちゃんを殺したのは――貴女なのに」
「――ッ!? あなた、は……?」
無意識のうちにそう問い掛けたものの、彼女の名前を聞いてはならないと頭のどこかで警鐘が鳴らされていた。
「有明穂鳥……こうして会うのは、優お姉ちゃんのお葬式以来ですね」
優日に従妹がいるという話は、彼女の口から直接聞いていたので知っていた。そしてその子が天才ヴァイオリニストとして、お兄さんと一緒に世界を舞台に活躍していることも。
ほとんど国内にいないというその少女と初めて会ったのは優日の葬儀の日だったはずだ。
でも、当時の彼女は優日の伯父さん――つまり彼女のお父さんの腕の中で泣きじゃくっていて碌に顔も見えなかった。
いや、顔が見えなかったわけじゃなくて、わたしが顔を見ようともしなかっただけだ。
わたしが追い詰めたせいで優日は死んだと、全てをあの子の伯父さんたちに打ち明けているときに、どうしてその顔が見られるというのだ。
だから、気付けなかった。
「優お姉ちゃんが生きている? 適当な妄想を語っているのは貴女のほうではありませんか」
その言葉でハッと気づいた。優日が遺した深い悲しみ、それを背負ってでも前へ進もうと思えるようになったわたし。
でもそうではない、深い悲しみに囚われたままもがき続けている者もいる。
そこで思い起こされたのはぼんやりと眺めていたニュース記事の記憶。
――若き天才ヴァイオリニスト、極度のスランプか。無期限の活動休止を発表。
今、この学校に彼女がいるということはそういうことなのだろう。
無慈悲な事故によって優日の命が完全に失われたと思っている彼女の心は、少しも救われてはいない。
「貴女はそうやってふざけた妄想に逃げるのではなくて、この先一生、優お姉ちゃんのことを背負い続けてなくちゃいけないんです。そうでないと、貴女に殺された優お姉ちゃんが報われないんだからっ!」
「……ッ!」
わたしには彼女を救えない。
いや、救うなどと考えることすらおこがましいほどにわたしは恨まれている。そう思わせるほどのことをわたしはしてしまったんだ。
既にわたしの怒りは鎮火していて、その場に漂うのは凍えるように冷たい雰囲気だけだった。
でも、その氷のような世界に一筋の光が差し込んだ。
「やめて、もうやめてよ穂鳥ちゃん。あたし、嫌だよ……そんな怖い顔をした穂鳥ちゃんを見るの……」
「ひまちゃん……」
この子はまるで優日のように誰かの太陽になれるような子なんだ。わたしがどうしてひまりに惹かれたのかがわかった。
こうしてそれ以上事態がエスカレートすることはなく、次第に冷静さを取り戻すことができた。
――結局、落ち着いてあのテルとかいう名前の妖精を問いただしてみれば、言い方に語弊があったと訂正してきた。
何でも、邪神メフィストフェレスは数千年前に別の世界からこの世界にやってきて、ずっと眠り続けていた。それが近年、目を覚まして活動を開始したらしい。
数千年前ということは少なくとも、優日とこの世界にいるというメフィストフェレスは無関係だと分かったのだ。
「やっぱり見てみないことには信じられないと思うから、あたしがやってみるね!」
「ひまり、あんまり派手なのはダメだからね」
「それくらいわかってるよ、颯ちゃん! あたしだってそんな考えなしじゃないんだからね!」
「はいはい」
一緒に戦ってほしいという言葉に対して、頑なに頷こうとしないわたしを見兼ねたひまりは魔法を実際に見せてくれた。
手に持った弓――あの妖精が生み出して彼女に与えた武器なのだとか――から撃ち出されたのは光の矢。
実際に見るとやはり驚いたが、彼女たちの予想よりも驚いてはいなかったようで随分と残念がられた。
「魔法の素質を持っている子はこの世界にはほとんどいないテル。でもここにいる4人はすごく大きな素質を持っているテル」
邪獣という存在は実際にいて、その親玉の邪神は世界を滅ぼしてしまうのだという。
でもこいつのことはやっぱり信じ切れない。胡散臭さしか感じられないからだ。
だというのに、どうやらひまりたちはこの妖精を信じているらしい。ならこの子たちがいいように騙されないためにも、この妖精から目を離さないためにもわたしも一緒にいるべきだろう。
いや、理由としてはもっと単純なものでわたしは――理由などなくこの子たちとただ一緒にいたいと思ってしまった。
ひまりや颯だけじゃない。決して歓迎されていなくとも、あの子とも一緒にいるべきだとわたしの心が訴えかけていた。
――わたしは優日の友達だから。
◇
わたしが持つ魔法属性は予想していた通り“闇”。
そしてあの妖精によってわたしの手の中に生み出された武器は刀だった。後者に関してはおそらく、わたしの魂の欠片から生まれた存在であるあの子に影響を受けたのだろう。
それらの力を手にして挑むことになった初めての戦いは、情けないことに体中がガクガクと震えた。
知識では戦い方を知っていたとしても心構えなんてまるでなかったし、知識の通りに動けるはずもなかった。
引き受けるんじゃなかった、投げ出したいと思うこともあった。
でも邪獣による被害は少しずつ世間でも明るみになってきて、テルの言っていることが嘘ではないと嫌でも分かるようになった。
わたしは小さな人間だから、知りもしない他人のためには戦えない。でも、こんな危険な存在と戦うひまり達が傷付くことは嫌だった。
わたしよりも小さいのに、戦う覚悟を持って戦いに臨んでいるあの子たちはわたしよりもずっと強い。それでも、この子たちとの未来の為にわたしは戦う、そう誓った。
その時、わたしは苦しみながらでも戦い続けていた優日の気持ちが少しわかったような気がしたんだ。
日を追うごとに邪獣はどんどん強くなっていく。でもそんな困難な戦いの中でわたしたちは絆を深めていった。
でもそうなるとあるひとつの問題が浮き彫りになっていく。穂鳥ちゃんとの確執だ。
この問題をいつまでもそのままにしておくのは良くないと、そう頭では分かっていてもどうすることもできなかった。
「どうしてあの時、無理に飛び出したりしたの? わたしに任せてくれれば、そんな怪我をすることもなかったんだよ」
「貴女を信じろと? よくそんなことを口にできますね」
わたしと彼女は何度も衝突を繰り返した。
心の内に抱えた恨みから、わたしを信用しようともしない穂鳥ちゃんの態度に影響されて、わたしもどこか角が立つ言い方をしてしまうのだ。
――でも、そんな確執もひまりの言葉をきっかけにして、雪解けのようにゆっくりと解かれていった。
「瑠奈さんも穂鳥ちゃんも……似た者同士なんだね」
「え……?」
「優日さんのこと……大好きだったんだよね。だから抱え込んでしまった大きな気持ちをぶつけられる場所を求めて……喧嘩しちゃってる。きっと、それだけだよ」
わたしたちは優日のことが大好きだった。
でもあの子が抱えている悲しみには気付いてあげられなくて、そばにいてあげられなくて、ずっと後悔していた。
それは穂鳥ちゃんも一緒だった。優日を傷つけてしまったわたしと寄り添うことができなかった穂鳥ちゃん。
悲しみと後悔を引き摺って生きる似た者同士――それがわたしたちの正体だった。
それに穂鳥ちゃんも気が付いたのか、彼女の目からはボロボロと涙が零れ落ちていた。
「貴女が悪い人なんかじゃないってことはずっと前からわかっていました……っ。だって優お姉ちゃん……貴女のことを話してくれる時は本当に楽しそうにしていたから。だから多分、私は貴女に――瑠奈さんに嫉妬してたっ……最期まで一緒にいてあげられた瑠奈さんが羨ましかったっ」
ひまりと颯に支えられながらそう吐露した穂鳥ちゃん。嫉妬深いところまでそっくりなわたしたちは、本当に似た者同士だ。
――でも、全く違う部分だってもちろん存在する。
結局、あの子は生きているはずだと穂鳥ちゃんに伝えられてはいない。
でも、それを伝えられなくとも穂鳥ちゃんはゆっくりと歩き出していける。そんな強い子だったのだ。
◇
わたしと穂鳥ちゃんを繋いでくれたひまり。
なんと彼女は、わたしと家族の間にも踏み込んできた。
「さらに傷つけてしまうくらいなら、そっとしておくほうが本人の為かもしれないだろう……?」
「何もしてあげられなかった私たちが、今さら何かをしようとしたところで、ただ迷惑なだけでしょう……?」
「そんなわけない! 瑠奈さんも、瑠奈さんのお父さんとお母さんも……お互いを大切に想っていたはずだから!」
ただ寒い、冷たいだけの場所だと思っていたあの家――あの人たち。でも、あの人たちはただ不器用なだけだった。
どう接すれば分からないと悩んで、それを中学生に吐露していた。
小学生の頃の辛い出来事のせいで学校にも行けなくなり、両親の望む道を外れたからと失望されたとずっと思いこんでいた。
優日のおかげで学校に行けるようになっても、他人のように干渉を避ける関係は変わらなくて……。でも、先に両親のことを拒絶したのはわたしの方だったんだ。
いつからか勝手な思い込みで殻に閉じこもってしまっていたわたしと、歩み寄ろうとしてもその方法を知らないあの人たち。
ただ互いに一歩を踏み出すだけでよかったんだ、とあの子は気付かせてくれた。
――わたしの行く道を照らしてくれる太陽か。本当にあの子みたいだ。
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