テラーノベル
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カーテンの隙間から差し込む光が、まだ眠りの底にいる、いるまの頬を淡く照らしていた。
布団に顔を半分埋め、眉をわずかに寄せている。寝起きはとにかく悪い。
ベッド脇に腰かけたひまなつは、少しだけ笑う。
「起きろ、主役」
返事はない。
小さくため息をついたあと、ひまなつは身をかがめた。
唇が触れる。
最初は軽く。
それでも起きない。
「……ほんとに起きねぇな」
次は、逃げ道を塞ぐように深く。
唇を押し当て、ゆっくりと角度を変え、甘く絡めとる。
眠りの中にいたいるまの呼吸が、次第に乱れていく。
無意識のうちに唇が開き、そこへひまなつの熱が入り込む。
舌が触れ、絡む。
とろりとした甘さが、目覚めより先に意識を溶かしていく。
「……ん、」
かすれた声。
指先がシーツを掴む。
薄く開いた目はまだ焦点が合っていない。
けれど、絡め取られる感覚だけははっきりしている。
ひまなつは容赦なく深めた。
ゆっくり、じわじわと。
朝の静かな部屋に、湿った吐息が溶けていく。
やがて、いるまの目がしっかりと開いた。
完全に覚醒した瞬間、体から力が抜ける。
「……は……」
唇が離れたあと、しばらく動けない。
甘さに染められていたことを、遅れて自覚する。
頬が熱い。耳まで赤い。
「……やりすぎだ」
拗ねた声。
ひまなつはそれを見て、ふっと目を細めた。
「その顔、反則」
指先でいるまの頬をつつく。
「誕生日おめでとう」
一瞬、いるまが固まる。
それから小さく息を吐き、視線を逸らす。
「……覚えてたんだな」
「当たり前だろ」
「今日は出かけるぞ」
「は?」
まだ少しぼんやりしたままのいるまを引き上げる。
洗面所で顔を洗い、並んで歯を磨き、鏡越しに目が合う。
いるまの頬は、まだほんのり赤い。
「……ほんと、朝から甘すぎ」
「誕生日サービスだ」
支度を終え、二人は家を出た。
外の空気は澄んでいて、どこか新しい一日の匂いがする。
並んで歩きながら、ひまなつはさりげなくいるまの手を取った。
指先が触れ、 自然に絡む。
やがて二人が向かったのは、大きなデパート。
ガラス張りの入口が光を反射している。
「ここ?」
「そう」
ひまなつは短く答えるが、その横顔はどこか楽しそうだった。
いるまはまだ理由を知らない。
ただ、隣にいる体温が妙に近くて、少しだけ落ち着かない。
誕生日の一日は、まだ始まったばかりだった。
デパートの中はきらきらと明るく、ショーウィンドウには季節の新作が並んでいる。
人のざわめきと、かすかな香水の匂い。誕生日の特別感が、どこか空気に溶け込んでいるようだった。
「今日はな」
ひまなつがさらりと言う。
「欲しい服とアクセ、全部買ってやる」
いるまが足を止める。
「……は? 破産すんじゃね?」
「大丈夫だから気にすんな」
軽い口調だが、目は本気だ。
いるまは少し呆れたように笑いながらも、内心はくすぐったい。
「じゃあ遠慮しねぇからな」
服選びは真剣そのものだった。
ラックから一枚ずつ取り、肩に合わせ、素材を指で確かめる。
鏡の前に立てば、角度を変えて色味を確認する。照明の下でどう見えるか、外光ではどうか。
ときどき前髪をかき上げて、じっと自分を見つめる。
その横顔は、いつもの少し強気な表情とは違い、どこか無防備で集中している。
ひまなつは腕を組み、横顔を眺めていた。
「……その顔かわいい。抱きてぇ」
ぽろり、と零れる本音。
「おい!」
いるまが振り向く。
「他のやつに聞こえるだろ!」
頬を赤くしながら、ひまなつの肩をパシッと叩く。
軽い音がして、ひまなつは笑う。
「本当のことだろ」
「今言うな!」
怒っているのに、耳まで染まっている。
ひまなつはそれを見て、さらに口元を緩めるのだった。
服をいくつか決めたあと、次はアクセサリー売り場へ。
並ぶのはゴツめのシルバーアクセ。
重厚なチェーンのネックレス、無骨なブレスレット、幅広のリング。
いるまは一つひとつ手に取り、重みを確かめる。
光の反射を見て、指にはめ、手首に当てる。
「これ、いいな」
低く呟く。
ひまなつは隣でじっと見ていた。
ふと、端に並んだアンクレットに視線を落とす。
鎖のようなデザイン。少し無骨で枷のようだ。
その視線に気づいたいるまが、首を傾げる。
「それ好きなん?」
ひまなつは少しだけ口角を上げた。
「いるまに似合いそうだし…」
一拍置いて。
「枷っぽくて、俺の印になりそうだなって」
いるまの耳が一瞬で赤くなる。
「……っ」
視線を逸らし、指先で別のリングをいじる。
「じゃあ、それが欲しい……」
小さな声。
「え、いいの?」
ひまなつが覗き込む。
いるまはそっぽを向いたまま、ぽつり。
「それならどこでも付けれるし……なつの印、欲しい、し……」
語尾が弱くなる。
その瞬間、ひまなつの理性が少しだけ揺れた。
周囲を軽く見渡す。
客は少し離れた棚にいる。店員も奥。
ひまなつは、いるまの顎に指をかける。
くい、と上げる。
「な、つ……?」
言い終わる前に、唇が重なった。
深く、迷いなく。
舌が絡む。
シルバーアクセの冷たい光とは対照的に、触れ合う熱は濃い。
いるまの呼吸が乱れ、腰がわずかに揺れる。
指先がひまなつの服にかかり、ぎゅっと握った。
離れないように。溶けないように。
キスは続く。
静かな売り場の一角で、時間がゆっくりと溶けていった。
やがて、五分ほど経った頃。
唇が離れる。
細い糸のような余韻が切れ、いるまは小さく息を吸う。
瞳はうるんでいて、焦点が少し甘い。呼吸も上がっている。
「あーくそ、かわいい」
ひまなつが低く呟き、そのまま抱き寄せる。
胸元に顔を埋めるようにして、いるまは小さく言う。
「……早く、2人きりになりたい」
その声は、普段よりずっと素直だった。
「仰せのままに」
ひまなつは微笑みながら短く、静かに頷いた。
シルバーアクセを一式購入し、小さな紙袋を受け取る。
アンクレットは、ひまなつがその場でいるまの足首にそっとつけた。
冷たい鎖が肌に触れ、カチリと留め具が閉まる。
「……ほんとに、つけるんだな」
いるまが小さく呟く。
「俺の印だからな」
ひまなつは満足そうに眺める。
その視線に、いるまの鼓動がまた少し速くなった。
店を出て、デパートを歩く二人。
人の流れの中、いるまはひまなつの裾をきゅっと握ったままだった。
『早く二人きりになりたい』
さっきの言葉が、まだ胸に残っている。
ひまなつはその様子を横目で見て、ふっと微笑む。
「ひとつだけ買い物付き合って?」
「……まだあんの?」
「すぐ終わる」
優しい声に、いるまは少し警戒しながらも小さく頷く。
「……ん」
連れていかれた先は、フロアの奥。
照明が少し落ち着き、ガラスケースが整然と並ぶ場所。
辿り着いた看板を見て、いるまは足を止めた。
「……えっ?」
そこは、エンゲージリング専門店だった。
白を基調とした内装。
「行くぞ」
ひまなつはためらいなく手を引く。
「ちょ、ちょっと待て……!」
格式の高さに、いるまは思わず怯む。
場違いなんじゃないかという気持ちが胸をよぎる。
ガラスケースの中で、小さな光が無数に瞬いている。
ダイヤの反射が、まるで星屑のように散らばっている。
ひまなつはそんな空間にも動じない。
「どんなデザインが好き?」
「何個か候補あんだけど、選んでくんね?」
いるまは完全に思考が追いついていない。
「……なんで……?」
声がかすれる。
ひまなつは少しだけ真面目な顔になる。
「これからいろんな奴と出会うだろうし」
「お前に悪い虫が寄ってこないようにする為」
一歩近づく。
「俺の印、もう一つ付けさせて?」
いるまの胸がぎゅっと締めつけられる。
優しさも。
愛情も。
独占欲も。
全部、真っ直ぐに向けられている。
言葉が出ない。
喉が詰まる。
人前だというのに、涙が込み上げそうになるのが分かる。
恥ずかしくて、ただ唇を噛み締める。
ひまなつが、そんな顔を見て吹き出す。
「なんっつー顔してんだよ」
指先で頬をそっと撫でる。
その手は、驚くほど優しい。
いるまは目を伏せる。
「……ずるい」
小さく呟く。
「何が」
「全部……」
声が震える。
ひまなつは、耳元に顔を寄せた。
「これ買ったら」
低く、甘く囁く。
「明日の朝まで二人きりな」
吐息が耳にかかる。
いるまの指が、無意識にひまなつの服を強く握る。
「……ほんと、ずるい」
けれど、その声は嬉しさで満ちていた。
ガラスケースの中で、ひとつのリングが静かに光を放っていた。
指輪を受け取り、 まだ胸の奥がじんわりと熱いまま、二人はデパートを出た。
軽食を取ったカフェでは、いるまはどこか上の空だった。
サンドイッチをかじりながらも、視線はひまなつの指先や唇に吸い寄せられる。
指輪のこと。さっきの言葉。耳元の囁き。
「何ぼーっとしてんだよ」
ひまなつが笑う。
「……してねぇし」
強がる声も、どこか甘い。
食事を終え、予約していたホテルへ向かう。
夕方の街はやわらかい光に包まれ、二人の影が並んで伸びる。
部屋に入った瞬間、外の喧騒が遮断された。
静かな空間。
大きなベッド。
落ち着いた照明。
荷物を置き、一呼吸。
空気が変わる。
ひまなつは振り返ると、何も言わずにいるまの手を引いた。
「なつ……」
その声が最後まで続く前に、背中が柔らかなマットレスに沈む。
押し倒された。
視界に映るのは、上から覗き込むひまなつの顔。
真剣で、どこか熱を帯びている。
次の瞬間、唇が重なった。
強く、けれど丁寧に。
いるまはほんの少し唇を開く。
それを待っていたかのように、ひまなつの舌が滑り込む。
ゆっくりと、確かめるように。
絡み合う。
室内に静かな水音が響いた。
「……ん、」
くぐもった声が漏れる。
舌が触れるたび、背中がわずかに反る。
指先がシーツを掴み、やがてひまなつのシャツへと移る。
口の中がひまなつで満たされる。
熱も、呼吸も、甘さも。
頭の奥がじんわりと溶けていく。
離れたくない。
そんな感情が、自然に体に宿る。
ひまなつは深く、何度も角度を変えて口づけた。
上唇をなぞり、下唇を吸い、再び舌を絡めていく。
「……っ」
いるまの喉が小さく震える。
幸せで、蕩けそうで。
胸の奥がきゅうっと締めつけられる。
ようやく唇が離れたとき、二人の呼吸は絡み合ったままだった。
いるまの瞳は潤み、頬は熱を帯びている。
ひまなつはその顔を見つめ、指でそっと頬を撫でた。
「誕生日、最高だな」
低く笑う声が、静かな部屋に溶けていった。
コメント
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2人の幸せがずっと続くように祈り続けます!