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46
#茜
💎星乃葵@ペア画中.ᐟ💎
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りおりんご🍎
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今中希美
28
交渉の朝は、雪が止んでいた。
夜のうちに降り積もったものが、王宮の庭を、まっさらな白に変えている。
回廊の窓から差し込む光は、薄く、冷たく、けれど、よく澄んでいた。
舜太は、大広間へ続く廊下を、柔太朗と並んで歩いていた。
条文の一つ一つを、卓を挟んで読み合わせ、書き直した。
柔太朗は、関税の言い回しに、何度も首を傾げた。
舜太は、軍の項で、何度も言葉に詰まった。
そのたびに、どちらかが、相手の顔を見た。
柔太朗は、白の礼装を纏っていた。胸元に、金の太陽。
舜太は、襟の内側から、銀の月を引き出して、衣の上に置いた。
隠す理由は、もうなかった。
大広間の扉の前で、足が止まった。
無意識に、一歩、前に出ようとしていた。
先に入って、盾になるように。長く染みついた、歩き方だった。
「舜」
柔太朗が、静かに言った。
「並んで、入ろう」
舜太は、出しかけた足を戻した。
「……せやな」
扉が開いた。
二人は、同じ歩幅で広間へ入った。
広間の中央には、長い卓が据えられていた。
向こう側に、第二王子。両脇に側近が二人、背後に、黒の書記官が控えている。
こちら側には、舜太と柔太朗の席。
壁際に、太智が、黙って立っていた。
卓の上には、三通の草案が、重ねて置かれている。
第二王子は、挨拶を省いた。
「答えを聞こう」
広間の空気が、わずかに張った。
取引の答え。
「お断りします」
舜太は、まっすぐに言った。
「白の国は、白の王子のものです。俺の直轄にはしません」
第二王子の視線が、ゆっくりと、柔太朗へ動いた。
「当人の前で、それを言うのか」
「当人の前だから、言います」
舜太は、目を逸らさなかった。
「あなたは、王は一人でいいと言いました。富を配る手は、一本であるべきだと」
舜太は、続けた。
「俺は、二つにします。一つが間違えたとき、もう一つが気づけるように。……それに、あなたは、愛は契約より脆いと言いました。脆いものを、国の柱に据えるなと。柔太朗は、柱ではありません。同じ地面に、立っている人です。柱が折れれば屋根は落ちますが、並んで立っていれば、どちらかが傾いても、もう一人が支えられる」
自分で言って、少し、気恥ずかしかった。
だが、取り消す気は、なかった。
「詩人の理屈だな」
「はい。それでも、俺の答えです」
第二王子は、卓の縁を、指で一度叩いた。
「補給の件は、どうする」
やはり、そこを突いてくる。
舜太が口を開く前に、柔太朗が静かに言った。
「その件は、すでに王と私の間で、話しました」
声に、揺れはなかった。
「補給の一部に、白の関税収入を充てていたこと。事前の相談がなかったこと。どちらも、私は承知しています。その上で、期限を三年と定め、次の収支で精算する取り決めを、二人で交わしました」
柔太朗は、草案の一枚を、卓の上に滑らせた。
「それから、もう一点。白は、赤と黒の軍事協定に、自動では参加いたしません。白の兵の動員には、白の王子である私の同意を要する。この条項を、草案に明記いたしました」
書記官のペンが、走る音がした。
第二王子は、草案に目を落とした。
読み終えるまで、誰も、口を開かなかった。
「……手回しがいいな」
「ええ」
柔太朗は、微かに、微笑んだ。
舜太は、その横顔を、ちらりと見た。
雪の降る迎賓の間で、この男の口から、あの人を札のように語られたとき、腹の底が熱くなった。
今は、あの人が、自分の手で、その札を卓の上から取り上げている。
誇らしかった。
そこから先は、条文の調整だった。
軍の項で、第二王子は、最初に反論した。
「徴発を要請に改めれば、要請は断れる。断れる軍は、軍ではない」
「断れるからこそ、応じたときに、意味があります」
舜太は、答えた。
「強いられた兵は、国境で逃げます。春の雪解けまでの三千は、約束どおり出します。そのあとは、要請と協議。黒の国境が脅かされたときは、相互防衛協定に基づいて、俺の軍が動きます。一方的な徴発ではなく、互いの国の盾になる。そういう形に、したい」
「北の部族が、収まらなかった場合は」
「そのときは、協議の席をすぐに設けます。逃げません」
第二王子は、しばらく、考える顔をした。
内政と後継の項に入ると、空気が、さらに硬くなった。
「従弟の子の件は、どうする。悪い話では、ないはずだ。お前の国は、黒と血で繋がる」
「血で繋がる必要は、ありません」
舜太は、静かに言った。
「条文で、繋がります。後継は、俺の国が決める。黒の王族は、介入しない。養子の話は、取り下げていただきたい」
「呑めば、俺は面目も、将来の権益も失う」
「分かっています」
舜太は、頷いた。
「だから、持ち帰れる形を、用意しました。新しい王の即位のたびに、祝賀の使節を送ります。形の上の、臣礼です。それから、黒の商人への関税優遇を、五年。黒の宮廷は、独立を認めたのではなく、礼と実利を得たと、言える」
第二王子の眉が、わずかに動いた。
「譲るのは、そこまでか」
「軍の指揮と、後継と、外交の決定権。この三つは、譲りません」
しばらく、沈黙があった。
書記官が、息を詰めているのが、分かった。
「……この先、ずっと納得できるものではないが」
第二王子が、呟いた。舜太は、胸の奥で、息を吐きかけて、止めた。
「肝心な問題が残っている」
「この条文に、最終的に署名するのは、俺ではない。王だ」
第二王子は、淡々と言った。
「王は高齢だ。床に就く日が、多くなった。近いうちに、退位する。次の王は、有力者たちが指名する。その王が、この条文を認めなければ、ただの紙切れだ」
分かっていた。
ここが、本当の関門だった。
舜太は、膝の上で、一度、拳を握った。
それから、開いた。
「次の王が、あなたとは限らない。そのことも、承知しています」
「ほう」
「先月、国境で、第一王子に会いました」
広間が、凍りついた。
書記官のペンが、止まった。側近の一人が、思わず身じろぎする。
舜太は、第二王子から、目を離さなかった。
「古い烽火台で、二人きりで。条件の骨子を、示しました。第一王子は、自分が王になれば独立を実体で認めると言い、見返りに、中立と、派兵の見合わせを求めました。俺は、断りました」
喉が、乾いていた。だが、声は、震えなかった。
「中立は、約束しました。貸しとしてではなく、俺の意志として。……あなたにも、同じ約束をします。どちらの継承争いにも、俺は、軍を出しません」
第二王子は、動かなかった。
「知っていた」
「はい。知っていて、聞かなかったのでしょう。俺が自分から言うのを、待っていた」
返事は、なかった。それが、返事だった。
隠さなかった。
それだけのことが、あの烽火台へ向かった夜の自分には、できなかった。
「それで」
第二王子が、低く言った。
「俺と兄を天秤にかけるのだな。どちらが王になっても、この条文が残る形にしたいと、そういうわけか」
「……はい。追認の条項を入れました」
舜太は、草案の最後の頁を指した。
「新しい王の即位から百日以内に、この条文を追認すること。追認しなければ、黒の商人への関税優遇は、失効します。相互防衛協定の黒側の便益も、止まります」
「追認を拒めば、黒が損をする仕組みにしたか」
「はい。形に縛られるのではなく、損得で、残るように」
第二王子は、頁を、ゆっくりと繰った。
長い、長い、時間だった。窓の外で、屋根の雪が、どさりと落ちる音がした。
「白の王子」
第二王子が、不意に、柔太朗を見た。
「国と伴侶のどちらを取るか。お前は、本気で聞かれたことがあるか」
柔太朗の指先が、一瞬だけ止まった。
舜太は、口を挟みそうになった。
唇を噛んで、堪えた。これは、柔太朗が、自分で答えるべき問いだった。
柔太朗は、少し間を置いてから言った。
「選ばなくて済む保証は、ありません」
第二王子の目が、細くなった。
「その日が来たら、二人で選びます。一人には選ばせません」
「それは、答えになっていない」
「はい」
柔太朗は、否定しなかった。
「二人で選んで、間違えることも、あるでしょう。そのときは、二人で間違えます。……それを答えと呼べないなら、私は、答えを持っていないのだと思います。ですが、一人で正しい選択をするより、二人で間違いを抱えるほうを、私は選びます」
広間に、静寂が降りた。
舜太は、息を止めていた。
鼓動が、耳の奥で鳴っている。
第二王子の、あの夜の言葉が、蘇った。
考えるほど、答えは重くなる。
重くなった。確かに、重くなった。
けれど、その重さを、一人で持たなくてよかった。
第二王子は、しばらく、柔太朗を見つめていた。
やがて、視線を落とし、小さく、息を吐いた。
「……脆いな」
「はい」
「だが、折れてはいない」
それだけ言って、第二王子は、書記官を振り返った。
「清書しろ」
署名は、昼前に済んだ。
清書された三通の、最初の一枚に、第二王子が、黒の王の代理として署名した。
その下に、舜太が、自分の名を書いた。筆を持つ手が、わずかに震えた。
最後に、柔太朗が副署をした。
舜太の名の、すぐ隣に。
二つの名が、同じ紙の上で、墨を乾かしていく。
国の旗でも、軍でもなく、ただの、墨の跡だった。
けれど、舜太には、どんな旗よりも、重く見えた。
第二王子は、立ち上がり、外套を翻した。
広間の扉の手前で、足を止める。
「条文は、国で俺が通す。……お前の言うとおり、持ち帰れる形には、なった」
振り返らなかった。背中のまま、続けた。
「ただし、五年後に、また見に来る。脆いものが、どれだけ持つのか」
「どうぞ」
舜太は、答えた。
「そのころには、もっと強くなっています」
第二王子は、何も言わず、出ていった。
扉が閉まる音が、広間に、長く残った。
控えの間に戻ると、太智が、壁にもたれて待っていた。
舜太の顔を見るなり、にやりと笑う。
「ええ顔してますね」
「……そうか」
「ここ何年かで、今日が、いちばんええ顔やった」
太智は、軽く言った。
けれど、その目は、少し赤かった。
それから、柔太朗のほうへ向き直った。
笑みが消え、背筋が伸びた。
「……俺、言わなあかんことがあります」
「うん」
「国境の話も、補給の話も。知ってて、黙ってました。口止めされていたので。……ほんまは、あなたに話すべきやったのに」
柔太朗は、少し首を傾げた。
「知ってる」
「え」
「太智が、何か隠してるのは、見ていて分かったよ。目を合わせないから」
「……顔に出てましたか」
「とても」
太智が、がくりと肩を落とした。
舜太は、思わず吹き出しそうになって、堪えた。
「太智が黙っていたのは、舜のためだったでしょう。責めるつもりは、最初からないよ」
柔太朗は、穏やかに続けた。
「ただ、これからは、僕にも抱えさせてほしい。君にだけ、背負わせたくない」
太智は、しばらく、何も言えずにいた。
それから、ぐい、と袖で目元を擦った。
「……はい。ありがとうございます」
舜太は、太智の前に立った。
「太智。悪かった。口止めして」
「ええって」
「いや。一人で黙らせた」
「ええって、言うてますやん」
太智は、鼻を鳴らした。
「そのかわり、次は、最初から言うてください。俺が、顔に出る前に」
「……わかった」
「約束ですよ」
「おう」
約束、という言葉が、胸に落ちた。
夕刻、舜太は、一人で、東塔の露台に立っていた。
雪はやんだまま、空は淡い茜に染まっている。
眼下に、王都の屋根が、白く連なっていた。
卓の上に残してきた清書を、思い返す。
三通の紙の端に並んだ、二つの名前。
国を独立させるために、どこまで大切なものを捨てられるか。
第二王子は、そう問うた。
捨てなかった。
捨てずに済んだわけではない。
捨てないために、話した。隠さず、嘘をつかず、一つずつ、並べて見せた。
それが、思っていたよりも、ずっと骨の折れることだと知った。
胸元の鎖に、指をかける。
銀の月は、夕陽を受けて、淡く光っていた。
昔、あの人に渡された月は、今も、胸にある。
返し終えていないものが、ここにある。
それは、重荷ではなかった。続いている、ということだった。
背後で、扉の開く音がした。
舜太は、振り返った。
柔太朗が、立っていた。
白の礼装の上に、夕陽が、金色に降りている。
「ここだと思った」
柔太朗は、隣に並んだ。
二人は、しばらく、何も言わずに、暮れていく王都を見下ろしていた。
銀の月と、金の太陽が、同じ光の中で、並んで揺れていた。
コメント
1件
うわ……すごかったです。交渉の緊張感がずっと続いてて、息するの忘れてました。 特に「並んで立っていれば、どちらかが傾いてももう一人が支えられる」って言葉、刺さりました。柔太朗が「二人で間違える方を選ぶ」って言ったところも、重くて綺麗で……。 署名のシーン、二人の名前が同じ紙に並んだところ、じんわり来ました。太智との約束もよかったです。この物語、本当に好きです🌙