青桃
お狐様と忌み子
第一話 ──狐火が灯る刻に──
村の外れ、山際にぽつんと建つ掘っ立て小屋。
そこが、俺――**威風(いふ)**の暮らしと隔離の場所やった。
「忌み子」なんて呼ばれてもう十数年。
産まれたときから身体に纏わりつく白い靄みたいなもんがあって、村の大人らはそれを不吉やと決めつけた。けど実際には、不吉どころか、俺には——見えるものがあった。
人ならざるもの。
山の気配。
そして、村の誰も知らん黒い影。
それを言うたら怖がられ、黙ってても気味悪がられ……まあ、ええ感じにはならんわな。
ある日の夕暮れ、村の子どもらが石を投げて逃げていった帰り。
俺はひとり山へ歩いていた。
「……はあ。今日もひどい目ぇ見たわ」
呟いても答えるやつなんておらん。
けど山の奥へ進めば進むほど、空気は澄んで、胸の痛みが少しずつ溶けていく気がした。
夕陽が差し込んだ瞬間や。
狐火みたいな青白い光がすっと横切った。
「……またか。今日は多いな」
そう思って立ち止まったとき。
カラン。
鈴の音がした。
ただの風では鳴らへん、凛とした音。
「そなた、また来たのか?」
柔らかい声が後ろからかけられ、心臓が跳ねた。
振り返れば、そこには白い狩衣(かりぎぬ)をまとった一人の――いや、人ではない存在。
長い銀髪。
細い目尻。
そして頭には、ふわりと揺れる二つの狐耳。
こいつが、この山の御狐様、
**無李子(ないこ)**やった。
「なんや、また出てきたんか、御狐様」
「妾は“出てきた”のではない。そなたが勝手に近づいてきておるだけじゃ」
ふわりと尻尾が揺れて、どこか不満げに俺を見下ろす。
昔なら怯えて逃げたかもしれんけど、何度か会ってるうちに慣れた。
というか、こいつはまあ……ちょっと変わってた。
「今日も泣きそうな顔をしておるのう、威風」
「泣いてへんわ」
「泣きそうなのじゃろ?」
「……泣いてへんて」
ないこはため息をついて、ひょいと俺の肩に手を置いた。
ひんやりした掌が皮膚に触れ、少しだけ心が落ち着く。
「忌み子よ。そなたのその力、“見える”のは疲れるのじゃろう?」
「ま、見たないもんまで見えるしな」
「なら妾(わらわ)が消してやってもよいのじゃが?」
「嫌や」
「なぜ?」
俺は言葉に詰まる。
能力を失うのが怖いとか、そんなんやなくて。
ないこが、俺の力を消す時にいつも言うてくる言葉がある。
――『そなたの全部を妾に預けよ』
それがどうにも、胸をざわつかせるから。
「……お前に預けたら、俺、自分が自分じゃなくなる気ぃするねん」
「そなたは変わらぬよ? 妾のものになるだけで」
「……それが嫌や言うてんねん」
ないこはすっと近づき、狐耳を揺らしながら俺の顔を覗き込む。
距離が近すぎて、鼓動が跳ねあがる。
「そなたは妾が嫌いではあるまい?」
「好……嫌いやないけど」
「ほう?」
「でも、そんなんとこれとは別や!」
「別ではないぞ。妾は、そなたが妾から離れるのが嫌なのじゃ」
――コイツは、こういうところが怖い。
御狐様らしい高貴さもあるけど、時々、執着のような何かを見せる。
俺を見つけた最初の日。
山中で倒れていた俺の横に座って、小さく微笑んだないこの顔を思い出す。
そのとき俺は確かに見た。
黒い影が俺にまとわりついているのを、ないこが指先一本で祓ったことを。
“助けられた”というより、
“捕まった”みたいに感じた。
だから今でも、距離のとり方が分からん。
「それより、今日は狐火が多いぞ」
ないこが周囲に視線を向ける。
確かに、いつもよりたくさんの青白い光が漂っていた。
「なんや、祭りでもあるんか?」
「違う。これは……霊気が乱れておる」
ないこの表情がふと険しくなる。
尻尾の先がぴくりと立ち、耳が周囲の音を拾うように動いた。
「威風。今日はもう帰れ」
「は? なんでや。ここおるほうが村より落ち着くわ」
「ダメじゃ。妾の側に居ると、おぬしが引き寄せてしまう。忌み子の力は、霊を寄せる」
「そんなん言われてもなぁ……」
「よいから帰れ。妾が迎えに行くまで、絶対に外へ出るな。よいな?」
ないこの声はいつになく鋭かった。
「……分かったわ」
「よい子じゃ」
ないこが微笑む。
その笑顔だけ見れば優しい。けど、どこか含みがあって、不思議と心臓がざわつく。
「そなたは妾のもの。守るのは妾の役目じゃ」
「……そんな簡単に言うなや」
そう返したつもりやけど、声は小さくて届かんかったかもしれん。
ないこは背を向け、山の奥へと狐火をまといながら歩いていった。
その姿は儚くも美しい。
あの尻尾の揺れ方すら、妙に俺の目を離さへんかった。
*
山を降り、小屋へ戻ると、急に寒気がした。
風が冷たい。いや、違う。
――何かがいる。
胸の奥で警鐘が鳴った瞬間、小屋の隅がゆらりと揺れた。
黒い、影。
人の形をしているけど、人やない。
「お前……今日のやつか」
俺が見える“それ”は、ぐにゃりと形を変えて俺に近づく。
「来んなよ……!」
手を前に突き出す。
すると、白い靄のようなものが俺の掌から噴き出し、影を押し返した。
これが忌み子の力。
人に恐れられ、御狐様にも“預けよ”と言われる、俺の一部。
影はしばらく唸るように揺れた後、怒ったようにこちらへ飛び掛かってきた。
「くっ……!」
その瞬間。
鈴の音が響いた。
「妾の許しなく、そなたに触れるな」
白い光が弾け、影が焼けるように消えた。
ふわりと現れたないこが、怒りに目を細めていた。
「言ったであろう、帰っておれと」
「帰ってたやん! 勝手に来よっただけや!」
「そなたが引き寄せたのじゃ」
ないこは静かに近づき、俺の手をそっと取る。
指先が触れた瞬間、身体の震えが止まる。
「怖かったか?」
「……別に」
「震えておる」
「寒いだけや」
「うそつきじゃな、威風」
ないこは俺の額に自分の額をそっと合わせてきた。
距離が近すぎて息がかかる。
「そなたの恐れは、全部妾がわかる」
「勝手に分かるなや……!」
「分かるさ。そなたは妾が見つけた、妾のものじゃから」
またそれや。
心が揺れるような、締めつけられるような、言葉。
「……ないこ」
「なんじゃ?」
「いつか、お前の言う“もの”って意味……教えてくれや」
ないこの動きが一瞬止まる。
その後、ゆっくりと俺の頬を撫でた。
「いずれ分かる。妾がそなたをどうしたいかも」
耳元で優しく囁かれ、背筋が震えた。
やめてほしいのに、嫌じゃない自分がおる。
「……今日は一緒におる。そなたをひとりにはせん」
「俺は別に……」
「嫌か?」
その声は、逃げられへんように絡みつく。
狐火の光に照らされたないこの瞳は、どこか寂しげで、恋しげで、そして狂気じみた何かが潜んでいた。
俺は結局、首を振れへんかった。
「……好きにせえ」
ないこは安心したように微笑む。
「そうじゃ。それでよい」
その夜。
小屋の中にふわりと狐火が灯り、ないこの尻尾が俺の足元に巻きつくように寄り添ってきた。
外では風が唸り、影がまだうろついている気配がする。
けど。
ないこが側にいるなら、少しだけ安心できた。
そして知らぬ間に、俺は浅い眠りへと落ちていった。
――このときはまだ知らんかった。
ないこが俺につけた“印”の意味も、
そして、この夜が全部の始まりになることも。
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