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俺達って付き合ってるんだよな?
リトは今日何度目かのため息をついて、物思いに耽る。視線の先にいるのは、ついひと月ほど前晴れてお付き合いを開始することになった、同僚兼友人兼恋人である──はずのイッテツだ。
今はアジトのバーカウンターでウェンを相手に、積みゲーがどうだの、古典映画がどうだのとだらだら管を巻いている。麦茶しか飲んでいないのに。
事の始まりは先月、任務後の飲みの席でうっかり口を滑らせてしまったことによる。そんなつもりじゃなかった、というのは、こんなときのために使える言い訳であるべきだとリトは思う。
らしくもなくうっかり微アルコールのカクテルを飲んでしまい、うっかり自分がイッテツに想いを寄せていることを吐露してしまい、それをうっかり本人に聞かれ、「マジで!? 俺もリトくんのこと超好きだよ!」「じゃあお付き合いしてみる?」だなんてまるでお試しのように交際がスタートしたのだった。
自分事ながら、こんなの少女漫画か恋愛映画みたいだ。そういうのも見るのは嫌いではないけれど、じゃあ自分でやってみなさいよと云われると話がまた違ってくる。
だって──何も変わらないのだ。態度が。距離感が。全く。1ミリも。
そりゃあ自分だって人とお付き合いをした経験が全くないわけじゃない。まだ分別もつかぬ学生時代だったけど、少なくとも今の状態よりは深い関係だったと記憶している。
それがどうだ。成人してから初めてできた恋人──というほど甘い関係ではないが──とは、キスやハグはおろか、手を繋ぐことすらできていないのだ。近所のマセガキの方がよっぽど進んでいると思う。
別に、イッテツとそういうことがしたくないわけじゃない。むしろしたい。健全な成人男子だもの。
あいつの薄い唇を奪ってやりたい。くせのある柔らかい髪を指で梳いて、細い腰を抱き寄せて。低くくぐもった声を聞きながら、あの病的なほど青白い肌を──なんて、妄想すればきりがないほど、恋焦がれてしまっている。
でも、なのに、あいつといるとどうにもそういう雰囲気にならないのだ。自宅や外で二人きりになろうと、他愛もない話と冗談混じりの小突き合いが始まって、楽しいなぁなんて考えているうちにお開きになってしまう。
そう、きっとそれが一番の問題なのだ。友人としてイッテツと接するのはあまりにも居心地が良くて、楽しくて、それだけでよくなってしまうから。
それだけじゃ駄目なのに、少しずつでも距離を縮めたいと心の奥底では考えているのに、いざ面と向かってみるといつも通りの会話が始まってしまう。
俺だけなのかもな。
閉じた思考の中では憂鬱に傾きがちなリトの脳内は、とうとうそんなことを考え出した。
触れたり、甘くじゃれ合ったり、キスをしたり。そういうことがしたいのは、もしかすると俺だけなのかもしれない。
あいつ多分、いや絶対童貞だろうし、他人とそういうことをするのに抵抗があるのかも。
だったら無理強いするべきじゃないよな。本気で嫌がっている相手に強要するのは犯罪だ。そんなのはヒーローのあるべき姿じゃないし、第一俺の趣味じゃない。俺のそういったプライベートな趣味は、至ってノーマルなんだから。
ああ、いや、でも……とリトがあれこれ考えているうちに、イッテツはおもむろに煙草の箱を取り出した。
「ごめん、煙草吸ってきていいかな」
「え、別にここで吸っていーよ。換気扇あるし」
ウェンが頭上を指差すと、イッテツは大げさに手を振って断った。
「いやー、でもさほら……彼、煙草嫌いじゃない」
そう言ってちらりとこちらを見遣る。
あ、俺が煙草苦手って覚えてたんだこいつ。灰皿は山盛りだし、任務先ではバカスカ吸っているからてっきり忘れられているのだと思っていた。
「別に今更気にしねえって……」
「いや! やめといた方がいいね絶対。知ってる? 副流煙って怖いんだよ?」
「お前がそれ言うのかよ」
笑いながら手をひらひらさせて裏口から出ていくイッテツを見送ると、後にはカウンターの奥でハイボールを煽るウェンとソファに座ったリトだけが残された。
「……いやぁ〜、見事に避けられてんねぇ〜」
ジョッキの中でカランと氷の崩れる音と共に、とんでもない豪速球が飛んできた。すごい鋭角。甲子園とか目指してみるか? 高火力発言の。
火の玉ストレートをもろに喰らってしまい瀕死のリトを横目に、ウェンはおかわりを作りながら淡々と喋り続ける。
「なんかあった? や、何も無いからこうなってんのか。リトセクのセクシーどこいったの?」
「……ごめんもうちょい火力下げてくれる?」
「え〜? もうしょうがないなぁ〜」
マドラーを軽く水で濯ぎ、ウェンはカウンターから出てリトの前のソファにどっかりと座る。
「ちょっとひと口だけ飲ましてね〜」と間延びした声でジョッキを傾けごくごくと美味しそうに飲むウェンに、「ひと口って何だっけ?」と問うのは無粋というものだろうか。
「んで? リトはどうしたいの」
「ど、どうしたいって……?」
「だからぁ、このままで良いのか、AからBに進んじゃいたいのか、どっち?」
相変わらず直球でものを言う男だ。だからこそ便り甲斐があると言えなくもないが。
というか今時恋のABCなんて通じねえよ、というツッコミは心の中にしまっておく。
「……や、その、何と言いますかぁ……エーにすら行けてないと言いますか……」
「え!? まだキッスもしてないの!? それが許されるの小学生までだよ!?」
「や、もうハイ……おっしゃる通りで……」
カッと目を剥いて詰められて、リトは大柄な身体を小さく丸めた。
「ていうかなんで俺らのそんなことまで知ってんの……? テツに何か言われた?」
「いんや? てかわざわざ相談されなくても分かるってのそれくらい! 4人で揃ってるときもいっつもモジモジされちゃってさぁ! 見てて焦れったいんだよねぇ!」
ごめんて、と手を合わせて謝ると、高くなった体温を下げるためか結露のびっしりついたジョッキを豪快に傾け、ウェンは改めてリトの方へ向き直った。
「いい? ふたりが順調に進んでんなら僕だって多少のピンクな空気には耐えられるわけ。でも今はな〜んにもないのにず〜っと悩んでるだけでしょ? それってこっちもけっこー気まずいんだよね」
「お、おう、悪い……」
「謝罪するなら誠意を見せろォ!」
ウェンはそう言って、カン! と高い音を立ててジョッキをテーブルに叩きつけた。
あ、さてはこいつ結構飲んでんな。
いくら飲んでも顔色ひとつ変えないウェンだが、ひたすら延々と飲み続ければ多少なりとも態度が変わってくる。言語化するのがいまいち難しいが、例えば今みたいに私物を雑に扱い出す、というような。
ということは、どうやら本当にかなりのストレスをかけてしまっているらしい。 そうは言われたって、こちらとしてもどうにもならないから悩んでいるわけでして。
珍しく黙り込むリトを見て、ウェンはビシッと人差し指を突き出す。
「リト! そうやって優しいのはリトの良いとこだけどさ、優しいばっかりが優しさじゃないんだよ? 分かる?」
「おう……?」
「だからぁ、ひとりでウジウジ悩むくらいなら、直接本人に聞いてみなって。テツだってテツなりの考えがあるかもしんないじゃん? それを聞かないでどうせ『テツはそーゆーことしたくないんだー』とか考えてたでしょ」
悪意のある誇張したモノマネにはひと言物申したいが、それに言及する気が沸かないほどに見透かされてしまっていた。
ウェンの青い瞳が真っ直ぐこちらを見据える。それには酔っ払いとは思えないほど迫力があった。
直接──直接聞く、か。
今まで一度も考えなかったわけじゃない。むしろ何度も口をついて出かけて、その度に飲み込んできた。
だって、恋人に向かって「俺とキスとかしたくないの?」なんて情けないじゃないか。
でも、もうそうは言っていられない。
自分たちの職業上、これは個人だけの問題に留まらない。このままぎくしゃくした関係が続けば、そのうちヒーロー活動にも支障をきたすだろう。
ヒーローがよりによって痴情のもつれで仲違いして連携が上手くいかず任務失敗、なんてとてもじゃないが洒落にならない。市民の人達に合わせる顔が無くなってしまう。
うん、じゃあ、いい加減腹括らねえとな。
そう固く決意して顔を上げたリトに、ウェンは今度は親指をぐっと突き上げる。
「じゃ、今日中にご飯でも誘って聞いてきてね。明日報告待ってるから」
「へっ……? え、いや、今日はさすがに心の準備が……」
「ほら〜またそぉいうこと言って! そうやって先延ばしにしても良いことないっしょ!? いつやるの!? 今でしょ!!」
やっぱこいつ酔ってるな?
ただその内容についてはぐうの音も出ない正論だった。今まで先延ばしにしてきたからこそ、こうなっているのだ。そろそろこの重い腰を上げなくてはいけない時が来たようだった。
「がんばれ〜! 応援してるから!」
「できてねえよウィンク」
ウェンの下手くそなウィンクに苦笑いして裏口の報告へ足を運ぶ。ちょうど今日は2人ともこの後は明日までフリーだ。あわよくば、とまで考えられるほど楽観的な性分でもないが、夕飯に誘えば話くらいはできるだろう。
あいつ何本吸ってんだよ、と表面だけの悪態をつきながらリトはいつもより重たいドアノブを回した。