喫煙スペースで煙草を咥える。
普段は吸わないが、ものすごく嫌なことがあったときには咥えることが増えた。
特に旨いとも思わないが、煙が体内に入ってくると、幼くて、脆くて、熱くて、痛くて、でも本当は大事な部分に、白い膜がかかってくれるような気がする。
煙草を挟んだ指で瞼を擦る。
最近クマがひどくなってきた。自分でもわかる。
それとともに毛穴は開くし化粧は乗らないし。
一気に10くらい老けた気分だ。
「いつから吸うようになった」
後ろから声を掛けられる。
麻里子は振り返らないまま煙を吐き出した。
「営業は吸わないほうがいいぞ。それだけで嫌う客もいる」
「————」
それに応えないでいると、背後からも白い煙の筋が伸びてきた。
驚いて振り返ると、普段は吸わないはずの宮内が白い煙を吐き出していた。
自動洗車機に車を入れるエンジニアを眺めながら、麻里子は宮内に聞いた。
「店長、洗車ってします?」
「――――たまにな」
「どういうときにします?」
その質問の意味が分かったのか宮内は盛大なため息をついた。
「そりゃあ―――」
「大事な人を、乗せるとき、ですかね」
他人から言われるよりはダメージが少ないような気がして、麻里子は自分からその言葉を口にした。
しかし、宮内は、
「————いや、違うだろ」
と言って言葉を切った。
麻里子は振り返る。
「違います?」
「違うよ。俺、嫁や子供を乗せるときに洗車なんかしたことないぞ」
「ーーーー」
宮内は呆れかえったような顔で言った。
「洗車をするときっつーのは、他人を乗せるときだろ」
「ーーーー」
その言葉の重みが、じわじわと麻里子の身体を包んでいく。
◇◇◇◇
「汚いなー。片付けなさいよ」
「いいじゃないですか」
「ほんと、どうして見えないところはこう、だらしないのかな」
「———麻里子さんの前だけなんだから、別にいいでしょ」
◇◇◇◇
「何か、あったのか」
「———なんも、ないですよ」
心をまだ結城との回想にさらわれたまま、腰を上げて長い煙草を灰皿に押し付けた。
「お前、いくつになった」
ベンチに身体を戻すと、麻里子は煙の代わりにため息をつきながら答えた。
「30です」
「おお、乗ったな。大台」
「ええ。とっくに」
「じゃあ――――」
宮内が軽く麻里子の後頭部をつかみ、見上げさせる。
「仕事をしろよ」
麻里子はキョトンとこちらを睨む上司の顔を見上げた。
「お前は恋愛をしに会社に来てるのか」
宮内は無表情のまま麻里子を見下ろしている。
「違うんだったら、仕事をしろ。
今週、魂のこもった見積もりを何枚出した。
何件に新車のパンフレット持っていった。
何件の顧客に電話を掛けた。
言ってみろ」
その真剣な顔に、麻里子のフワフワしていた何かが急に形になっていく。
「今週、何台売るんだ。お前、先週ゼロだろうが」
「ーーーー」
「言え。新車、何台売る」
「ーー5台」
「よし」
宮内は初めて口元に笑みを浮かべた。
「必達!な!」
そう言うと、煙を吐き出し、灰皿に煙草を押し付けると、革靴の音を響かせながら、社員出入口に向かって歩いていった。
その後ろ姿を見ながら、麻里子は小さく息を吐いた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!