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ガシャーンッ食器が割れる音が、リビングに響いた。
小学生のすいは、兄のゆいの服の裾をぎゅっと掴んでいた。
テーブルを挟んで怒鳴り合う父と母。
いつもは明るい家なのに、ここ最近はずっとこんな調子だ。
「もう限界! 私たちは、もう一緒にやっていけない!」
母の声が震えていた。
父は悔しそうに歯を食いしばり、テーブルを叩く。
「勝手に決めるな! 子供たちはどうするんだ!」
「だからって毎日喧嘩ばっかりで、あの子たちに悪影響でしょ!」
泣きたくなる声を必死に押し殺しながら、すいは兄の袖を引っ張った。
「ゆい……これ、どういうこと?」
ゆいは小さな声で、答えない。
顔を上げたとき、兄の表情は驚くほど冷たく見えた。
でも、それは怒ってるんじゃない。
泣きたいのを我慢している顔だって、すいにはわかってた。
「大丈夫だ」
ゆいはぽつりと呟き、すいの頭にそっと手を置いた。
その手は小学生にしてはしっかりしていて、頼もしくて、でも少し震えていた。
離婚届を出すことが決まった日の夜、母がすいを抱きしめた。
「すいは、お母さんと一緒に行こうね」
優しい声なのに、どこか泣きそうで。
すいは首を振った。
「やだ! ゆいと一緒がいい! お兄ちゃんと離れるのやだ!」
涙で声が掠れる。
だけど、母は困った顔で言った。
「ゆいは……お父さんと一緒に行くの」
「なんで!? 一緒じゃだめなの!?」
「お父さんがゆいを引き取るって……。すいはまだ小さいから、私と一緒のほうがいいのよ」
納得なんてできるはずがない。
すいは母の腕を振りほどき、隣の部屋で荷物をまとめている兄のところへ駆け寄った。
「ねぇ! 一緒に行こうよ! 置いてかないでよ!」
ゆいは振り返らず、ただランドセルの中身を整理していた。
「……俺は大丈夫だから」
「大丈夫じゃない! 一緒じゃなきゃいやだ!」
すいの涙がぽたぽた畳に落ちる。
そのとき、ゆいはようやく顔を上げて、すいを見た。
真っ赤な目をしているのに、必死で泣かないようにしていた。
「……すいは母さんと行け」
「やだ!!」
「……頼む」
ぽつりと落ちたその一言に、すいは息を詰めた。
“頼む”なんて、ゆいが言うなんて、今まで一度もなかった。
小さな胸に、どうしようもない不安が押し寄せる。
「……約束して。絶対、また会いに来るって」
震える声でそう言うと、ゆいは小さく頷いた。
「絶対、会いに行く」
その約束を信じるしかなかった。
でも、子供ながらに薄々わかっていた――この先、簡単には会えないってことを。
翌朝、父の車に乗せられたゆいが窓の外を見つめている。
すいは玄関先で泣きじゃくりながら、必死で手を振った。
「ゆいーーー!!!」
声が枯れるまで叫んだのに、ゆいは振り返らなかった。
ただ、窓の奥で今にも泣きそうなゆいの姿が見えた。
それが、すいの記憶に焼き付いた最後の朝だった。