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目が覚めると、そこは知らない部屋だった。白い壁。真っ白な寝具。窓には分厚いカーテン。
そして扉には、内側から開けられない鍵がついていた。
「…..ここは……」
ルネが上体を起こすと、胸元に白い包帯が巻かれていた。
昨日、セルジュの手で自らを傷つけた箇所だ。
痛みは残っているが、もう血は滲んでいない。
しばらくして、扉の向こうから足音が近づき、静かに開いた。
現れたのは、セルジュだった。
白衣の上から黒いケープを多織っている。
その顔はいつもと変わらぬ冷静さーーいや、むしろ優しさに満ちていた。
「…..君を、ここに移した。今日から、ここで暮らしてもらう」
「……どうして?」
「君を…..これ以上、傷つけたくない。
だから、手術室は閉じた。メスも、麻痺薬も、拘束具も……もう使わない」ルネは目を見開いた。
「でも……それじゃ、僕は…..セルジュ様の”作品”じゃなくなる……!」
セルジュは静かに首を振った。
「違う。君は作品じゃない。
君は一ー僕の、**神聖な存在”**だ。傷つけずに、崇めるべきものだ」
「じゃあ…..僕の“痛み”は、もう見てくれないんですか……?」
その声は、泣き出しそうに震えていた。
セルジュは答えなかった。ただ静かに、額にキスを落とした。
数日が経った。
ルネはその”清潔な獄”で、何不自由なく過ごしていた。
三食は温かく、部屋も快適、衣服も絹のような手触り。
けれどーー何もされなかった。
どんなに頑張っても、セルジュは彼に触れようとしない。
口づけすら、どこが”お祈り”のように、崇高すぎた。
(…..僕は、もう”愛されていない”の?)
そう思ったルネは、ある夜、セルジュが訪れるのを待ち、静かな演技を始めた
「…..あ……いた……っ……」
ルネはわざと、額をベッドの木枠に打ちつけていた。
小さな音。血がにじむほどの衝撃ではないが、明らかに意図的な行為。
扉が開く音。
「……何をしている」
セルジュが近づき、ルネの頭を抱き寄せた。
ルネはそこで、泣きながら囁いた。
「痛くなりたいの…..セルジュ様に、痛くされたい……。このままじゃ、何のために生きているのかわからない……!」
セルジュの瞳が震える。
「それでも、僕は…..君を壊したくないんだ。愛してるから……」
「壊して…..僕を、殺してもいいから、ちゃんと見て…….!」
叫んだそのとき、セルジュはルネの唇を強く塞いだ。
それは、祈りではないキスだった。
熱く、苦しく、引き裂くような口づけ。
ルネの涙が溢れ、セルジュの頬を濡らす。
その夜。セルジュはルネの耳元で、はじめて”赦されたい”と呟いた。
「…..君にこんなに狂わされたのは、初めてだ。
でも……君だけは、壊さずに、僕の神様として生きてほしい……」
「なら…..生きたまま、殺して。
“壊さずに殺す方法”を、あなたが見つけて……セルジュ様……」
二人の言葉は、どこまでも交わらない。
けれど、交わらぬまま、重なっていく。
それが”愛”なのだとしたらーー
それは、あまりにも冷たくて、熱すぎる毒だった。
その夜以降、ルネの部屋には鏡がなくなった。
ナイフも、陶器も、すべて布に包まれていた。
そして一一扉には、さらにもう一つの鍵が増えていた。
それは、ルネを守るための鍵。
あるいは、セルジュ自身の”正気”を閉じ込める鍵。
どちらかは、まだ誰にもわからなかった。