十二、甘美なる歌
「生かしておく時間は、終わりにしましょう」
イザは言った。
側近を集め、発したのは宣戦の布告。戦闘開始の言葉だった。
「しかし、この廃城に残る数百の人数では」
一人が危惧を述べた。
けれどイザは微笑みを返す。
「有象無象など、私一人で十分だから」
王都の西側には、広大な森が広がっている。
イザはそこに、実力のある三十人を配置した。
宣戦布告をした後に、合図を受けて極大の魔法を放たせるために。
彼らは条件さえ揃えば、イザの求める極大魔法を撃てる程に成長したのだ。
イザの体に酔い、イザに心を許し、イザのために戦う決意のある者達。
一人ずつではイザに遠く及ばないが、同レベルの者が三十と集えば、一度なら彼女と同じ大魔法を使える。
それは非常に有効な一手である。
イザにしか扱えない魔法を、本来の射程を超えて撃てるのだから。
その破壊力を見たならば、誰もが戦意を喪失する。それがとんでもなく遠くから放たれるのだと刷り込み、さらに失意させるのだ。
明らかに勝ち目のない戦は、戦とは呼ばない。
虐殺か、もしくは処刑。それを恐れて投降するなら良し、王族以外は助けても構わない。
イザは、そのように考えていた。
手初めに、王都全体にイザの姿を投影し、指示に従わなければ後悔するだろうと告げた。
「私を騙した者たちと、王族全員を刻限までに捕縛し、東門の外に突き出しなさい。でなければ、今から西の森で起こることが、この王都で起きることになるわ」
その映像と声は、王都の誰もが聞いた。そして見上げていた。そこかしらと浮かぶイザの妖艶な幻影に、不謹慎ながら魅惑的だと感じながら。
だが、彼らは次の瞬間に、死が隣にあることを実感した。
王都から離れた西の森が、大爆発で消し飛んだからだった。その爆風だけで、建物の外にあるものは全て吹き飛んだ。人々もなぎ倒され、地に伏しながら死を覚悟した。
その瞬間の光景は、誰しもの脳裏に焼き付いた。
空まで焼く程の極大の火柱だけでも震え上がったというのに、その後の爆風でもさらに、命の危険を感じたのだから。
イザに逆らってはいけない。
妖艶な幻影の姿に酔っている場合ではなかったのだと、誰もが今の立場を理解した。
そしてそれは、イザの思惑のままに、王都を混乱の渦中へと陥れる事となった。
元より王族の捕縛など出来ないと、諦めて王都から逃げる者たち。
何としてでも王族を捕縛し、イザに許しを請うべきだと行動する者たち。
あのような大爆発など仕掛けがあるだけに違いないと、戦争を選ぶ者たち。
「期限は三日後の日没まで」
そう告げられていたために、彼らの行動は速かった。
二日目で、全市民五十万の半数が、王都を捨てて隣国へと逃げ出した。そして残りは、王城の周りで戦闘を繰り広げていた。
王族を引きずり出そうと武器や農具を手に城を攻める市民と、魔族との戦争を決めた城を守る兵士の、内戦。
数としては、市民の方が圧倒的に多い。
だが、城壁と城門があまりに堅牢で、状況としては市民に勝ち目は無かった。
そして迎えた三日目の、日没。
城壁の周りには、おびただしい死体が山のように積み上がり、燃えていた。
それらは、仲間の死体さえ足場にせんと果敢に城攻めをした市民たちが、大量の油と火をかけられた結果だった。
さらに外周にも、同じく死体が積み上がっている。
魔導部隊による、遠距離の範囲魔法で焼かれた市民と、街だった瓦礫の山。
城壁の周りで十万以上の命を失っても、まだ抗おうとした人々の山。
彼らは、国王やそれに近い貴族達がイザを貶めたことを知っていた。英雄の一人を即日処刑するなど、異常事態でしかない。
そして、そのくらいの常識さえ理解出来ない王侯貴族への、これまでの不満。
それらを許しておけない気持ちと、イザからの布告によって決起し命を賭した、その結果だった。
王城を攻めた二十万を超える市民は、全て焼かれてしまった。
――これを知ったイザが、何をするのか。まだ、王城内の人間は何も知らない。
**
「――私はイザ。魔王となって、裏切られたお返しに来たわ」
王城内でも、イザの幻影が現れていた。
かつて魔王討伐の凱旋で見たその姿を、覚えている者がほとんどだった。
その絶世の美女の魔導士イザが、白い布をゆるく纏っただけの、艶やかな姿。
男だけではなく女さえも見惚れてしまう、得も言われぬ魅力があった。
「私を裏切った者を差し出すか、全員が死ぬか、どちらかを選びなさい」
王城内にも半裸のイザが現れ、皆が見上げるような高さからそう告げた。
兵達だけでなく国王でさえも、その言葉が耳に入り、意味ある言葉として認識するまで時間を要した。
それ程までに、イザの妖艶さに見惚れていた。
そして遅れて理解した言葉が、頭の中で反芻される。
「私を裏切った者を差し出すか、全員が死ぬか、どちらかを選びなさい」
「国王や、宰相、その他にも私を裏切ることを是とした者がいる。全員を私の前に差し出しなさい」
「期限は三日後の日没まで」
そのすぐ後に、大爆発の光と爆風が届いた。
**
だがしかし、期日になろうと誰ひとりも差し出されなかった。
国王は決起した市民を焼き払い、イザ率いる魔族との戦争を選んだ。
期日である日没後も、城内は慌ただしく兵が行き交い、編成と、装備を行き渡らせている。戦うために。
国王にとって、ただの魔導士風情であった女が、魔王だなどと虚言を吐いて王を脅すなど、あってはならぬことだった。
森を焼いた力は、小賢しい細工でも施したのだと、王は吠えた。
ここに逆らう者は居ない。
絶対王政である事の、今この事態にあたっては良くない結果を招く悪癖となったのだが、彼らはまだ気付いていない。
「警告はしたわよ?」
東門には、誰一人として現れなかったという報告を受けた。
イザはこうなると分かっていた。むしろ、まさか国王とその悪しき臣下を差し出してくるなどとは、微塵も思っていなかった。
ただし、予想に反した事がひとつあった。
市民が、イザに与して戦ってくれた事だった。
まさか二十万を超える死者を出そうとも、戦い続けてくれるとは思ってもみなかったのだ。
自分のために? そう考え、イザは苦悩しかけた。
自分に与する民を二十万以上も、殺すつもりは無かったから。
「イザ様。あれはあの国の自業自得です。すでに不満が募っていなければ、ああはなりません」
側近の一人が、イザの逡巡を見逃さずに言った。他の者達も大きく頷いている。
「……そうね」
そうだとしても、自分が宣戦布告しなければ……と考えてしまう。
だがそこで、ムメイが珍しく口を開いた。
「こちらに歯向かったなら、手ずから殺した命だ。何を迷う。むしろ二十万の同胞を殺されたのだ。怒りを覚えるところだろう」
いつもより冷淡で、怒気の込められた低い声。
その怒りはイザにではなく、無論、国王達に向いている。
「……その通りね」
ムメイの言葉で気を取り直したイザは、短く息を吸って、小さなため息を吐き出した。
わずかに残っていた情のようなものも、一緒に。
**
日没から一時間後。
王都から東に、少し離れた平野の真ん中。
以前、黒い炎で焼き続けたそこに、数百人程度の陣を敷いている。
「始めるわ」
そう告げると、イザの側近達は彼女の周りを囲んだ。
真っ白な布を纏っただけの、あられもない姿を見せぬため。そして、万が一にも魔法による遠距離反撃を受けないための、盾として。
白い布を持つ手を開き、天へと掲げてイザは詠唱する。呪いの言の葉も、イザが唱えると歌のように響く。周りの者達はその声に、脳をくすぐられる。
耳元で甘くささやくような、美しく、そして欲情を刺激する歌。
『――それは届かぬ夢。
叶わぬ希望。
見果てぬ願い……。
ならば恨め。
憎しみを集めよ。
そして呪え――』
詠唱は、普段の交わりでは小さく呻く事しかしないイザから、唯一漏れる官能的な吐息に聞こえるのだ。
そして、強大な魔力が見事なまでに集束し、イザの掲げた手の平に収まる。
「凍(し)み出し蔓延(はびこ)れ、哀しき亡者ども。断罪すべき外道を縛れ――魂の呪縛(カースバインド)」
それは予定に無い魔法だった。
イザの側近達は、得体の知れぬ恐怖を感じて振り返る。その背に守る魔王が、誰も知らぬ力を今、静かに発動したのだ。
「魔王様。今のは、一体……」
その一人が、意を決して聞いた。まるで冥界に語りかけたような、最後の一節。背すじの凍る言葉が未だ耳に残る。
「尋問、しなきゃでしょ? 殺してしまっては、情報が聞けないから」
微笑を浮かべる魔王イザの、妖艶なはずの瞳の奥は、絶望しか映していない。
そしてその回答を聞いて、側近達は察した。
今の魔法では、誰も殺してなどいない。それよりもっと、恐ろしい何かをしたのだと。
「先陣に居るムメイに伝えて。あなたの仇が見つかるかも、って」
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!