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あいそわらい
「越前?…っ、まだ、横になっていろ。」
ぐぐっと、重い瞼を持ち上げると、見馴れた顔。眉間にシワを寄せた、端正な顔が思いの外近くにあった。驚き、何故か横になっている体を起こそうとすると肩を優しく押され、それは叶わなかった。
「越前!…よかった。中々目を覚まさないから心配したんだよ。」
目の前にいる、手塚部長だけで体が思い通り動かないほど驚いたのに、更に不二先輩が近くにいるなんて。驚愕のあまり言葉を次げない。
そんな俺に気付いたのか否か。不二先輩が口を開いた。
「覚えてる?階段から落ちたんだよ。下で幸村がたすけてくれたみたいだけど、…右足を痛めたんだ。全治2週間。」
「…、その件については、お前に非がないのはわかっている。..だが、体調が良くないのに練習参加はするなとあれほどいっただろうが。…、37.3°。今は平熱程度に下がったが、ここに運ばれてきたときは熱があったんだぞ。」
不二の言葉に、意識を右足に集中させると、確かに違和感があった。もしかして――怒られる――もしかしなくても、と思い慌てて不二先輩に向けていた視線を部長に向けると部長は呆れたように溜め息を溢して「怒るつもりはない」といって言葉を選ぶように言葉をかけてくれる。後半は、少しばかり説教にとれたが。
「…かなりひどい捻挫らしくてね。足をつけるのもきついからって、先生が松葉杖を使いなさいって用意していったよ。…起きれるかい?いま、昼休みなんだけど、練習がてら食堂でもいこう。」
食欲なんてない。そう言って断ろうと思ったのだが見上げた二つの顔が、有無を云わせる空気ではなかった。こういうときは、黙って頷くに限る。
――――無愛想だよな。――――
――――かわいくねぇ――――
――――「生意気」すぎ。――――
「…っ!」
「越前?大丈夫かい!」
脳裏に蘇った言葉に頭痛がする。それが思いの外強いことがあって不二先輩に手伝ってもらいながら起こしていた体を止めてしまう。
言葉に脳内をぐるぐるとかき混ぜられるような
――――無愛想。無表情。無関心。無反応。無感情。――――
――――、「後輩の癖に、」――――
やめて、やめて、やめて、やめてやめて、、やめて!
これ以上、もう、
クルシイ、イタイ、
「…、ん!…ち、ぜ。えち、ぜん。越前っ!!」
二人分の声。それに引っ張られるように、顔を上げる。
「どうしたっ!」
「越前、っ?」
――――笑えよ、無愛想。――――
顔を、言葉に操られる。
「平気ッスよ。…少し頭痛がしただけッス。」
口角が上がる。目を細める。
――――礼ぐらい言えよ、無感情。――――
言葉を、言葉に操られる。
「…部長、不二先輩。…ありがとうッス。」
言葉の呪縛。
誰か、ねぇ、
俺に言える言葉はない。
コツコツと松葉杖で床を叩きながらたどり着いた食堂。
集まる視線に、思わず後退りしバランスを崩しかける越前の背中に、手が添えられる。
「気を付けろ。」
顔を上げると手塚の姿。それに小さく返事をしてから前を見ると事の次第を知らないのか、思い思いの言葉を発して近づいていく。
「おい、お前ら。」
彼への質問攻めを止めてくれたのはひとり寛いでいた跡部だった。
「そんなとこで話し込んでたら、ソイツに負担がかかるだろーが。あーん?…手塚、丁度ここが空いてる。来い。」
「あぁ、すまないな。…越前、行けるか?」
「…ッス。」
跡部の発言によって越前と手塚の向かう先の人垣が綺麗に割れていく。
テーブルの近くまでいくと何故か、跡部が立ち上がった。その行動に対して思わず漏れた声に跡部は小さく笑うと、さっきまで座っていた椅子とは別の椅子をひく。
「ほら、ここに座れ。…、なにボーとしてんだよ。」
跡部が、柔らかく笑ったことにも驚いたが、越前は自分に対してこんなことをしてくれたことに呆然としてしまう。
――礼は?早く言えよ。―――
――そんなんだから、――
「…ありがとう、ございます。」
また、だ。
色んな声、言葉が、脳内をぐるぐると。
ふよふよと、ぐちゃぐちゃと。
医務室のときと同じように、言葉が越前の思考を邪魔する。
「こんなことに一々礼を言うのか?…ククッ,お前、案外律儀なんだな。――と、あぶねぇ。」
その頭痛によって再びバランスを崩す。だが、今度受け止めたのは、跡部だった。
そのまま椅子に座り終えるまで体を支える。
ありがとう、今度こそはと越前が自分の言葉で言おうとしたとき。廊下が騒がしくなる。
「いやや!コシマエのとこいくんや!」
「あかん、言うとるやろ!言うこと聞けんのやったら毒手やで?」
「…うっ、毒手はいやや…っ!コシマエ!!」
やはり騒がしく、食堂の扉が開かれる。
名前を呼ばれ振り返った越前の視界に映ったのは、驚愕と喜びの入り交じった、なんとも言えない表情の遠山だった。
流石の野生児も、魔王様には弱いらしい。
そこから越前に驚異のスピードで駆け寄っていき、両腕をこれでもかというほど広げて。
抱き付くのかと思われたとき、どこからか幸村が現れ、「…ボウヤにまた怪我をさせるつもりかい?」と遠山の首根っこを掴み微笑みながら言った。
その瞬間遠山はビクッ、と全身を震わせてすぐ後ろまで追いかけてきていた白石の後ろにかくれる。
隠れたまま顔だけ出し落ち込んだ表情で、口を開いた。
「コシマエ、ごめんな?…ほんまごめんな。」
子犬の様だった。
耳と尻尾を垂らし、大きい瞳を潤ませて。
「…、ん。」
その姿を見て、
越前は納得した。
これか、と。
彼が、愛される理由を。自分にはないものを。
越前は身をもって、知ったのだった。
そして、越前は聞いていた。
ただただ、静かに。否定することもできずに。
自分を嫌悪する言葉の羅列を。
越前の心は、静かに泣いていた。
それを表現するかのように、越前の表情は少し歪む。
苦しげに。
辛そうに。
しかし、両目をハッと見開き、今度は瞳を閉じ押し黙る。
そして数秒。
次に瞼をあげたとき、越前はわらった。
「別に、いいよ。ボーとしてた俺も悪いんだし。」
『越前』は愛想笑いを浮かべたのだった。
悲しい気持ちに蓋をして。
嬉しい気持ちに蓋をして。
ツラい気持ちに蓋をして。
苦しい気持ちに蓋をして。
何が、悪い。
俺はそうやって過ごしてきた。
過ごしてきたはずなのだ。
なのに、どうして?
「えち、ぜん、?」
桃先輩の声が、遠くから聞こえる。
「なんでやろ、今…」
次は謙也さんの声。あれ、やっぱり遠い。
「なんスか?」
また、笑う『俺』。
え?
『俺』?『俺』はここに…
「…部長、やっぱり食欲ないッス。医務室戻ってます。すみません。」
「…、そうか、わかった。ゆっくり休んでいろよ。練習終わりにもう一度いくからな。」
「うぃーす。」
部長が『おれ』のあたまを撫でる。
その感覚もする。
なのに『外』にいる今まで『内』にいた存在。
まさか。
俺が、『内』にいる?
どうして、
――無駄、無駄。――
――お前の意識を今は俺が借りてる。――
え…
――ま、いつか<貰う>けどね。――
っ、返して!
――しょうがないな。ならお前が意識を失うまで、また『内』にいてやるよ。――
――けど、おぼえておいて、お前が意識を失った分だけ『おれ』が強くなる。――
――それが嫌だったら、【 】になることだ。そうすれば、『おれ』は消える。――
――『お前』が消える可能性も有るってことだ。どうだ?おもしれーだろ?――
――『お前』と『おれ』のダイスキな勝負事だ――
目を見開くと、目の前には扉があった。
医務室。そう名札がぶら下がっていた。
いつの間にか、戻っていたのか。と思ったとき再び、『内』からの声。
――意識を失う、っていうのは寝ることも入る。..気付いてただろ。お前。別に、いいけど。
まぁ、たのしもうな?『俺』。――
ガタン。
痛みと、冷たい感覚。
床が目の前にあった。
倒れたのだと理解した。
腕に力を入れて立ち上がろうとするが、下半身に力が入らない。視界には、2本の松葉杖。引きずるように寄せて。胸中に納める。
もし、『俺』が消えたら、部長たちとはもう。
あの人たちの、笑顔を見ることはもう。
怒りはなかった。
あるのは、恐ろしさと哀しみ。
気付けば体が震え、松葉杖はそれによってカタカタと音をたてていた。