今まで知らされることの無かった恋人の過去の一端を垣間見た時、己の恋人が、実は心の奥でひっそりと、ともすればあっという間に他の思いの陰になってしまう繊細な感情を持っている事も知り、自己防衛の為に笑顔を浮かべていた事も知る。
そんな笑顔など、見たくはなかった。
いつもいつも陽気で子どもじみている、そんな周囲をも明るくする笑顔を見ていたかった。
身体の裡から焼き尽くすような熱に譫言のように名を呼び、苦痛にすら感じる快感から逃れるようにシーツを握れば、体内で膨れあがるものと同じ熱を持った汗の浮く掌が吸い付くように重ね合わされる。
もう無理だと、限界だと思えるほど心身を寄せ合い重ね合い、正気を保てなくなる程の熱を与え合った時、重なった視線に込められた思いを受け止めた心と身体が沈みそうになる。
もう、どんな顔を見せられたとしても離れる事など出来ないのだと、快楽の海に沈み行く意識の底で泡沫のように想いが弾けた時、見開いた視界に笑顔が飛び込んでくる。
その瞬間、五感の総てが恋人の心を感じ取って無意識のうちに悲鳴じみた声を挙げ、重ね合わされた手をきつくきつく握りしめるのだった。
うっすらと雪が積もった初冬のある日の事だった。
不安を抱えてやって来る患者の心を落ち着かせ、前回の診察よりも顔色も良く声にも張りの出た患者には今の調子でやっていこうと穏やかな笑顔で提案し、疲れの滲んだ表情の患者には満足するまで話を聞いてやっていたが、総ての患者の診察が終わって暫くした頃、オルガが淹れてくれた絶品のジンジャーハニーティーの湯気を顎で受けていた彼の携帯が軽快な音楽を流し出した。
それが誰からの着信であるかを良く知っているオルガが無言で肩を竦め、休憩中の特権だというように壁際の本棚から気になっていた雑誌を取り出してソファで捲り始めたのを横目に、小さな溜息を吐いた後携帯を耳に宛がう。
「Ja」
『ハロ、オーヴェ!』
予想に違わない陽気な声が呼びかけてきた事に苦笑し、仕事は終わったのかと問えばまだもう少し掛かりそうだと悲しげに返され、終われば何処かで食事にするかと苦笑混じり呟いた直後、今日はお前の家で録画しておいたサッカーの試合を見たいと一気に元気を取り戻した声が聞こえてくる。
「分かった」
その反応が嬉しくてつい口元に笑みを浮かべれば、ソファからじっと視線が注がれたことに気付いて一つ咳払いをし、にやけた表情を整えようとわざと難しい顔を作る。
『思い出した!』
「どうした?」
『この間マザーにオーナメントを買ってきて欲しいって言われたんだ』
「クリスマスツリーのものか?」
『そうそう。すっかり忘れてた!今日買いに行って良いか、オーヴェ?』
恋人が育った孤児院の横には古びているがそれでも立派な教会があり、アドヴェントを迎えた施設ではカレンダーを開ける子ども達の歓声が響いているらしかった。
先日食事の時にその話を聞かされた彼は、皆が集まる部屋の片隅にツリーの用意がされていたことも思い出す。
「広場のマルクトに行くか?」
『そーだな・・・じゃあ仕事が終わったら連絡するから、クリニックで待ってて欲しい』
「ああ」
じゃあ待っていると告げて通話を終えた彼は、こほんと小さな咳払いが聞こえてきた事に内心汗を流すが、何食わぬ顔で笑みを浮かべてデスクに肘を突いて顎を支える。
「・・・リア、相談があるんだが」
「何かしら?」
雑誌を読んでいたオルガが顔を上げて目を細めて先を促した為、自分は今までクリスマスプレゼントを買ったことがないのだが、子ども達にはどんなものが喜ばれるのだろうかと微苦笑混じりに問いかけて沈黙を貰ってしまう。
「リア?」
「そう・・・ねぇ・・・それはホームの子ども達にって事かしら?」
「それ以外にいるか?」
子ども達と言えば彼の中では恋人の実家とも言える孤児院で過ごしている少年少女になるのだが、どうやらオルガには別の存在を思い起こさせるようで、苦笑しつつ問いかけるとひょいと肩を竦められてしまう。
「あなたの傍にいつもいるでしょう?ついさっきも電話を掛けてきた、大きな身体をした大きな子どもが」
「・・・その子のプレゼントはもう考えてある」
「あら、それは失礼。ホームの子ども達は何が良いのかしら・・・・・・女の子には可愛い鏡とかリボンとか・・・本が好きなら絵本も良いわね」
にこりとにっこりと同じ類の笑みを浮かべあって彼女曰くの大きな子どもではなく、文字通りの子ども達には何を買おうかと二人で思案していると、彼女が目を丸くして窓の外を見つめる。
「雪だわ」
「ああ・・・オーナメントを買うのなら何処が良いかオススメの店はないか?」
「そうねぇ・・・やっぱりそこの広場かしら?」
彼女が指し示す広場を見るためにデスクから立ち上がった彼は、二重になっている窓の前に立ち、少し離れた場所にある広場の賑わいに目を細める。
クリスマスアドヴェントを迎えた広場には幾つもの屋台が建ち並び、クリスマス時期の彩りとなっていたが、こんなにも近くにあるにもかかわらず、今まで一度たりとも足を運んだことはなかった。
自身の誕生日がクリスマスイブである事から、誕生日を祝わないのと同じ理由でクリスマスを祝うことも無かったのだ。
それ故にプレゼントを贈ったり貰ったりという経験も10歳を過ぎてからは無く、去年大きな子どもと称された恋人と付き合い始めてプレゼントを貰ったぐらいだった。
一年前近くの騒動を思い出し、今年の誕生日はどんな形で恋人を祝おうかと思案していると、彼女も横に並んで広場の賑わいに笑みを浮かべる。
「オーナメントは何を買うの?」
「マザー・カタリーナに頼まれたと言っていたが・・・何を買うんだろうな」
クリスマスを祝う事のない彼の家には当然の事ながらツリーなどなく、オーナメントも何を買えばいいのかが分からないと首を振ると、あなたの恋人ならば知っているでしょうと肩を撫でられ、確かにそうだと頷く。
「今日のデートは近場になるわね」
「その後家でサッカーの試合を見るそうだ」
ついでにグリューワインのスパイスも仕入れて帰ろうかなと笑い、グリューワインも良いけれどフルーツティーも良いわよと薦められ、香りを確かめてから買うことにしようと笑いあうのだった。
仕事を終えて慌てて地下鉄の階段を駆け上り、クリスマスマルクトが開かれている広場に出たリオンは、携帯を取りだして雪の降る夜空を見上げて慣れた手付きで恋人へのコールをする。
「ハロ、オーヴェ!今広場に着いた!」
それならば後少しでそちらに向かうから待っていてくれと伝えられ、グリューワインでも飲んで待っていると返した彼は、身体を裡から温める暖かなワインを買い求め、マグカップを両手で持って建物の壁に背中を預けて目の前を行き交う人達の顔を見るとは無しに見つめる。
寒さの厳しい時期がやって来た事を嘆く気持ちもあるが、こうして好きな人を温かなワインと共に待つことが出来る季節にもなったと、以前ならば考えることもなかったと気付くが、人間変われば変わるものだと己の変化を冷静に見極めて苦笑する。
ワインの湯気を顎で受け、早く来ないかなーと鼻歌交じりに呟いた彼の前を腕を組んで幸せそうに笑いながら通り過ぎるカップルが何組もいて、良いなぁと呟きを雪に混ぜて足下に落としてしまう。
付き合いだして一年と半年近く経過するが、一年ほど経って漸く互いの腰に手を回すスキンシップを取るようになった程で、外で手を繋いだり組んだりすることなど、夢のまた夢の話だった。
同性のカップルだという理由を差し引いた、恋人の根幹を成す羞恥心の強さからそれが無理である事をよく理解している彼だが、目の前でお互いを温めるように腕を組んでいる恋人達の姿を見ると自身もやはりやってみたいとの思いが強くなってしまう。
いつかあんな風に人目を気にせずに手を繋いでみたいと鼻を啜ったその時、どうしたと穏やかな柔らかな声が聞こえてきた為、顔を振り向け、破顔一笑。
「オーヴェ!」
「待たせたな」
ここから見ることの出来るアパートにあるクリニックからやって来た恋人、ウーヴェの白い頬が僅かに紅潮しているのを見て取ったリオンは、飲んでいたグリューワインのカップをウーヴェの手に握らせる。
「飲むか?」
「少しだけで良い。先にお前の買い物を終わらせよう」
両手に預けられたグリューワインのカップを少しだけ傾け、喉をじわりと温めるそれを一口だけ飲んだウーヴェは、どんなオーナメントを買うんだとカップを返しながら問いかけて一番上の星が壊れたらしいと肩を竦められて苦笑する。
クリスマスツリーの一番上で輝く星を買ってきて欲しいと頼まれた事を教えられ、ある意味ツリーの主役のような星が壊れてしまったのならば早く買っていかないとと苦笑で同意を示す。
キラキラと照明が雪に映えて眩しいぐらいの広場に出ている屋台は、店によって売っているものが違っているため、あれでもないこれでもないと冷やかし半分で屋台を覗き込んでいく。
ウーヴェも、オルガと話していた子ども達のプレゼント用の品物を探そうと思い、彼方此方の屋台を覗き込んでは頭を悩ませ、リオンが見つける愉快なものに目を丸くして吹き出したり、そんなものを買うのかと眉を寄せたりしていた。
降り出した雪はどうやら本格的なものになりそうで、次第に降ってくる量も増えはじめ、なるべく早く買い物を終えて家に帰ろうとウーヴェが提案し、それならばとリオンが最も欲しいと思っていた星を買い求め、お待たせと笑みを見せる。
「車はクリニックの駐車場か?」
「ああ。今日はどうするんだ?」
家でサッカーの試合を見るのは良いが、何を食べるんだと問いかけながら歩き出そうとしたその時、リオンが誰かを見つけたような顔で声を上げ、ちょっと待っていてくれと言い残して屋台が並ぶ広場へと踵を返していく。
「リオン?」
「すぐに戻る!」
ウーヴェの手にさっき買ったものを預けたリオンが雪の中を駆け出した為、カフェのテントの下で待っていようと壁際に身を寄せたウーヴェは、子ども達へのプレゼントと大きな子どものプレゼントを脳裏に描き、なるべく早く買いに行って家のどこかに隠しておこうと苦笑し、降りしきる雪を眼鏡の奥から見つめているが、そんな彼を見つめる目がある事に気付かなかった。
その存在がウーヴェの前に姿を見せたのは、リオンが立ち去ってから10分ほど経った頃だろうか。
一体何処に行ったんだとさすがに心配と不安を感じるようになったウーヴェが小さな溜息を吐いて携帯を取り出そうとしたその時、視界が翳ったことに気付いて顔を上げて目を細める。
「こんな寒い所でどうしたんだ?」
声を掛けてきたのはリオンとほぼ同じ背格好の青年で、一見するだけではごく普通のサラリーマン風だったが、口調の端々から感じ取ったのはあまり良くない印象だった。
「連れを待っているだけだが?」
「へぇ・・・。あんたみたいな美人を待たせるヤツなんて放っておいてさ、何処かで飲まないか?」
男の声に瞼を平らにし、この後続けられるであろう言葉を予測した彼は、その予測と違わない言葉を耳にして唇の端を持ち上げそうになる。
「間に合っているから結構だ」
それに酒を飲みたい時は好きな時に好きな相手と飲むと、男の誘いをはね除けるように言い放って相手を絶句させると、もう声を掛けるなと言いたげな顔で男を一瞥する。
「冷たいな。一杯ぐらい良いだろ?」
「残念だが今は飲みたいとは思わない。誰か他を当たってくれ」
もし今飲めと言われれば、先程恋人が持っていたグリューワインを飲むと内心で呟くと、顔の横に腕が突かれて視界を遮られてしまう。
些か面倒な事に巻き込まれたと、男に気付かれないように拳を握った彼は、ナンパはお断りだと告げ、顔を寄せてくる男を睨み付けて荷物を持つ手に思わず力を込めてしまう。
そうでもしないと、香水の匂いが鼻を突いて吐いてしまいそうだった。
「なあ、良いだろ?」
声に潜む淫靡さに気付いて無意識に身体を震わせたウーヴェは、冗談ではないと内心で吐き捨てるが、表立っては顔の筋一つも動かさずに無視をしていた。
早く諦めて何処かに行ってくれと激しく願い、小さな溜息を吐いた時、更に身を寄せた男のコートが腰に触れてくるが、コートの内側から何か固いものが押し当てられる。
「─────さぁ、どうする?」
これが何であるかを見せなくても理解出来るだろうと、更にその異物を押しつけられて目を瞠ったウーヴェは、内心の焦りを全く表に出さない平静な顔でどうしてと呟き、男の顔に疑問を浮かべさせる。
「そこまでして私と飲みたいのか?」
「そうだな・・・あんたが本当にタイプだから、だな」
普段は出さないがあんたと遊びたいが為に出してしまったと、更にそれを押しつけられてウーヴェが身を捩るように逃れようとする。
好きな相手を脅迫じみた手法で手に入れる人間など、当然ながらウーヴェが認めるはずもなければ許すはずもなく、冗談ではないと叫びたかったが、腰に当たるものの固さから過去の光景が思い浮かび、ウーヴェの身体を硬直させる。
もし撃たれてしまえば、あの時自分を庇った女のように死んでしまう。
その思いが日頃の冷静さを一瞬にして喪わせ、己の身体を両足で支えるのが精一杯に思えるような震えが足下から這い上がってくる。
逃げ出したかったが身体が思うようにならず、また声に出して拒否をしたかったが喉が蓋をされたようで掠れた声すら出なかった。
「良い店を知ってる。そこで飲んで・・・」
後はお楽しみだと、耳に顔を寄せて男が囁き、その言葉が耳に流れ込んだその時、別の聞き慣れた陽気な声が割り込んでくる。
「俺も混ぜて欲しいなー」
ウーヴェの耳に囁く男の肩にぽんと手を載せ満面の笑みを浮かべたリオンが顔を寄せて囁き、真っ青を通り越して頭髪と同化したような顔色のウーヴェに気付いて蒼い目を細める。
「何だ、あんた?」
「人に名前を聞く前に自分から名乗れってママに教わらなかったか?」
にやりと笑みを浮かべたリオンが男を挑発するように顔を突き出すが、その時ウーヴェの腰に触れている男のコートが不自然に膨らんでいる事に気付き、男に分からないようにウーヴェに目配せをする。
「今から飲みに行くんだ、ジャマをするなよ」
「俺も一緒に行こうかな」
「ふざけるな」
男の言葉にリオンが陽気な声で返しつつさり気なくウーヴェと男の間に身体を押し込むように動き、それに気付いた男が声を荒げた瞬間、蒼い目に直視するのが難しいような強い光を湛えて男を睨む。
「悪いねー。こいつ、好みが激しいんだよねー」
だからあんたみたいな、言うことを聞かなければ力ずくで事を推し進めるような野蛮人は大嫌いなんだ。
ウーヴェの腰に宛われていた異物をグッと握ったリオンが声を潜め、顔色を変えた男を細めた目で睨み付けると、完全に庇ったウーヴェの身体が小刻みに震えながらしがみついてきた事に気付き、左足の爪先を軽く踵でノックする。
過去に囚われるのではなく、その足に存在するリングから今自分が何処に誰といるのかを思い出せと伝え、目の前の男には不敵な笑みを見せつける。
背後で息を飲むような気配が伝わり、何度か深呼吸を繰り返すような音も聞こえてきた事に安堵し、同じように睨み返してくる男を見つめていると、握っていた異物がスッと引き戻されていく。
一触即発の空気が漂う中、どちらもじりじりと身を引いていき、ある程度の間合いが取れたその時だった。
「・・・ケツの掘りあいの順番で揉めてんじゃねぇよ」
「やーだ、気持ち悪ーいっ!」
カフェの壁際での揉め事を横目に通り過ぎていく人達の中、足を止めたまだ20代前半の若い男と見るからに背伸びをしている少女がガムを噛みながら嘲笑を投げ掛けたのだ。
その言葉に真っ先に反応したのはウーヴェに言い寄っていた男で、じろりとその若いカップルを睨み付けると、睨まれた方も同じく睨み返してくる。
リオンと男の間の一触即発の空気が今度はそちらで生まれてしまったのを良いことに、リオンが背中で庇っていたウーヴェの様子を探るように後ろに左手を伸ばすと、小さく震える手がしっかりと握り返してくる。
自分のものだと宣言した手を握り返せる気力がまだ残っている事にリオンがあからさまに安堵の溜息を零した時、ガムを噛んでいた少女がそれに気付き、頭を真っ白にしてるけどそれがオシャレと思ってるなんて最高と、さもおかしそうにけらけらと笑った為、ウーヴェの手をしっかりと握ったリオンが顎を上げて不敵な笑みを見せつける。
「お前の股にあるタトゥの跡よりはオシャレだと思うけどな」
どうせ前に付き合っていた男の名前を入れて慌てて病院で消して貰ったんだろうと鼻先で笑い飛ばしたリオンに、少女が目を見開いて絶句する。
「な・・・っ、何を・・・!」
「ああ、図星だったか?」
やっぱりあったかと、少女の過去を見抜いたような顔で逆にリオンが嘲笑い、少女を震えさせる。
「リオン・・・っ!」
ウーヴェが小声で挑発するなと伝える様に名を呼び、握られた手を解こうとするのを強い力で押し止め、絶対に手を離すなと言葉ではなく温もりで伝えたリオンは、少女が彼氏に何かを囁くのを笑みを浮かべたまま見守り、若い男が一触即発の空気を纏ったまま此方を見た事に無言で肩を竦める。
「・・・ちょっと顔を貸せよ」
「顔だけを持って行かれると困るんだけどなぁ」
若い、まだまだ少年の気分が抜けきらない男が顎をしゃくり、それに対してふざけた言葉を返したリオンだったが、その言葉に付き合ってくれない事に気付いて溜息を吐き、ウーヴェの手を繋いだまま若いカップルに着いていく。
そもそもの発端となったナンパ男の前を通り過ぎた二人だが、彼は短い舌打ちをしてその場を立ち去ろうとするが、事の成り行きが気になったのか、二人の後をこっそりと着いていく。
広場から少し離れた人通りのない路地に進んだ時、少年のような雰囲気が抜けきらない男が足を止めて振り返った為、リオンがここで良いのかと目を細める。
「ああ」
ここだと人目に付かないから思う存分暴れられると唇を歪めて身構えた男にやる気のない溜息を零したリオンは、ちらりと背後に視線を向けてウーヴェをナンパしていた男が着いてきている事を認めると、やれやれと肩を竦めて首を振る。
「本当に良いのか?」
「良いって言ってんだろうが!俺の女をバカにしたんだ、責任は取って貰うぜ」
「じゃあその前に。ケツの掘りあいの順番がどうとか・・・それを取り消せよ」
後ろにいる男は知り合いでも何でもない、ただのナンパ野郎だと笑ったリオンに男が目を瞠るが、お前が手を繋いでいるその優男と二人でやるんじゃねぇのかと笑い、お似合いだとも笑い飛ばす。
「見た目も弱そうだけど、その白い頭の中身も弱いんじゃねぇのか?女にもてねぇから男相手にしてんだろ?」
「言うねぇ・・・マジでそう思うか?」
若い男の言葉にウーヴェは無言だったが、握った手から力が抜けていくのを感じ取り、もう一度離れないようにしっかりと繋ぎ直したリオンが口笛を吹きながら男に問いかける。
「ああ、そう見えるぜ、ホモ野郎」
げらげらと笑いながら吐き捨て、そんな男の横でも少女が腹を抱えて笑いだす。
「オーヴェ、ここで待っててくれよ」
「・・・リオン・・・?」
「おい、ここじゃあ面倒だからついて来い」
良いから待っていろと、いつもの笑顔で片目を閉じ、じゃあ行ってくると繋いでいた左手の甲にキスを残して片手を挙げるリオンを呆然と見送ったウーヴェの横を、好奇心を丸出しにした顔で男がこそこそとついていく。
本格的に雪が降り始め、本当に傘がないと前も見にくくなってきた頃、ウーヴェが佇んでいる場所からもう一区画先の路地から男が泡を食った様な顔で地面を這うように出てくる。
「?」
何が起こっているのかが分からずに眼鏡の下で目を細めたその時、ウーヴェの耳に微かな悲鳴のような声が流れ込む。
その声にまさかと荷物を抱え直し、腰が抜けたように雪の上にへたり込む男の傍に駆け寄り、男が震える手で指さす路地を覗き込んだウーヴェは、目の前の光景が意味するものを理解した瞬間、リオンとともに買い求めたオーナメントなどが入った袋をばさりと足元に落とし、背中を向ける恋人の名を譫言のように呼ぶ。
「リオン・・・リ、オン・・・?」
「────待ってろって言っただろ?」
顔だけを振り向けて笑みの形に目を細められ、いつもいつまでも見ていたいと願っている、愛してやまないロイヤルブルーの澄んだ瞳を真っ直ぐに見つめたウーヴェは、遠い昔の悪夢のような中で見た瞳と同じ色をしている事に気付き、雪の上に力無く座り込んでしまう。
恋人の身体の横から見える路地には、少女が恐怖に震える身体を抱きしめながら壁に擦り寄るように身を寄せ、その傍では若い男が血反吐にまみれた雪の中に顔を突っ込んでいるのだった。
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