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「麻里子さん」
吐息と吐息の合間を縫って、結城が名前を呼ぶ。
「麻里子さん」
彼の唇から、掠れる声で漏れるたび、両親はなんてイヤらしい名前を付けてくれたんだろうと思う。
「ねえ、麻里子さんてば」
郊外にあるラブホテル。
ここが二人の密会場所だった。
気持ちが高ぶって名前を連呼しているだけでだと思っていたが、どうやら本当に用があるらしい。
「な、に?」
振り返ると、整髪料が取れて前髪を下ろした彼がこめかみに汗の線を作りながら、こちらを見下ろしていた。
「イベント達成、おめでとうございます」
ぷっと吹き出す。
「それ、今?」
「そう、今」
結城はまた耳元でささやくと、後ろからひときわ強く腰を打ち付けた。
「う…ああ!」
溜まらず声が出る。
「これ、達成のお祝いですよ。受け取ってくれます?」
「ふ……深いって…!」
「深いの好きでしょ」
「苦しい…よ」
「うそ。前、酔っ払ってやったとき“深いと結城でいっぱいになってるみたいで、すごく気持ちい”って言ってましたよ」
(酔っぱらっていた自分を殴りたい)
「まあ、嘘ですけど」
(前言撤回。やっぱり嘘つきな彼氏を殴りたい)
膨れて振り返ると、結城はその唇にキスをした。
「なんか、久しぶりですね」
「え?」
「セックスすんの」
普段は二人きりでいるときもクールで淡白な彼から、そんな単語が出てくるだけで、ドキッとする。
(ーーー中学生か)
自分に呆れながら、その唇にキスを返す。
何度も。何度も。
「キツツキみたいですね」
結城は笑いながら麻里子をひっくり返した。
裏腿を手で抑えながら、一層深く入ってくる。
「あっ」
波のようなうねる動きで、結城の腰が麻里子の中をかき回す。
「ふ!…う!……ぁあ!」
もっと色っぽい声を出したいのだが、あまりの気持ちよさに、開いた唇の形に漏れる声を、出来るだけ抑えることしかできない。
「麻里子さん、何回イッた?」
腰の動きを緩めずに結城が聞いてくる。
「さん、かい」
「ーーーじゃあ、俺もそろそろイッていい?」
見下ろす結城の熱い視線がぞくぞくするような色気を帯びている。
「いいよ、イッて」
その言葉に、腰の動きが激しくなる。
迫りくる四回目の快感に、子犬のような叫び声を上げつつ、麻里子は目を閉じた。
もしここでーーーー。
「いいよ、中に」
なんて言ったら。
彼はどうするのだろう。
明け方。
ふと目を覚ました麻里子は、ベッドの上でむくりと起き上がった。
隣には、結城の端正な顔が、規則的な寝息を立てている。
彼と付き合うようになってから4年間。麻里子の方が年上なのに、ただの一度も甘えてもらったことがないような気がする。
いつも毅然としていて、堂々としていて、何もかもわかっているような顔をして、何でも平気な顔して。
プライドが高くて、完璧主義者で。弱いところを見せない代わりに人にも厳しくて。
こんな生き方してたら、いつかそう遠くない将来――――。
「禿げるよ?」
とてもそうは見えない、黒くて太く、艶の良い髪の毛を撫でる。
やっぱり若さの秘訣は髪の毛かな。
麻里子のものと全然、違う。
その手触りの良い健康的な髪を撫でながら、彼の横に添い寝する。
いつもポーカーフェイスの結城だが、セックスの時だけは、素の顔になっている気がする。
余裕のない、少し甘えたような顔。
まあそんな可愛い顔も、付き合うまでは見られなかった。
宮内との関係におぼれていた麻里子を、もぎ取るように乱暴に寝取った彼の顔は、今思い出しても鳥肌が立つほどゾクゾクする。
獲物を喰らう黒豹のような顔。
当時はその顔にむかついたり、怒ったりしてたけど、もう見られなくなった今では、また見てみたいな、なんて思ったり。
自分の発想に一人呆れて笑う。
確かに。
こうして一緒にいられるだけで幸せだ。
こうしてセックスできるだけで、幸せだ。
でも。
もし、何かがあったときに。
元カノと結城が別れたように。
宮内と麻里子が別れたように。
二人に別れが訪れたとして。
そのとききっと麻里子は後悔する。
―――あのとき結婚しておけばよかったと。
離婚した親戚もいる。
旦那の不倫に悩んでいる友人もいる。
結婚がゴールじゃないことは、とっくに知っている。
だけど、知人友人、家族や親戚を絡めたその書面上だけではない“絆”が、ただ付き合っているだけのカップルより、“別れにくい”のは事実だと思う。
そしてその先に子供という鎹が出来たなら。
どんなに幸せだろうと思う。
彼が話をしてこない以上、こちらから聞くしかない。
そして聞くとなったら、激務な上に休みが合わない二人は、こうしてベッドを共にしているときじゃないと機会がない。
でも。
セックスの前に聞くのは卑怯だよな、と思う。
だからといって、セックスの最中に聞くのも重い。
セックスの後に聞いておもむろに帰られても泣きたくなってしまう。
聞いてしまったら。もう早戻しはできない。
いくら後悔したとしても。
麻里子は彼の体温が感じられる距離に身体を摺り寄せ、ため息をついた。
と、結城が寝返りを打ち、麻里子を押しつぶした。
「うう」
重い体に唸ると、薄く目を開けた結城が笑った。
「ごめん」
身を少し引き、まるで子猫をそっと抱くように、麻里子を抱きしめる。
「今何時?」
「4時半」
「早いって」
敬語がとれた素の結城が笑う。
「おやすみ」
言うなり、たちまち結城の体が寝息を立て始める。
ーーーー失いたくない。
沈黙を選んだ麻里子は、自分より少し高い心地よい体温の中で、目を閉じた。