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さしもの蓮が呆れたように呟くも、彼女たちの耳には届いちゃいない。
同人誌の表紙の質感について激論を交わしながら、駅までの道を去っていく。
彼女たちが去ったあとには湯飲みや茶碗が散乱し、あちこちに芋けんぴの欠片が落ちていた。
嵐が過ぎたあとのようだ。
「お、送らなくて良かったんだろうか……」
今さらのように呟く蓮に、食器を片付けながら梗一郎が首を振る。
「いいですよ。まだ昼過ぎじゃないですか」
それより作業の続きをしましょうと、モブ子らが散らかしたアンケート冊子を拾い集め、再びノートパソコンに向き直った。
カタカタとキーを叩く音。
パラリとページを繰る音が急に大きく感じられる。
コクコクと頷きながら、蓮も梗一郎の膝の横に積んである冊子をひとつ、そろりと引き抜いた。
見ているふりをしながら、向かいに座る青年に視線を向ける。
「ごめんよ。小野くん、君もモブ子さんたちと一緒に帰らなくてよかったのかい?」
梗一郎の作り物のように端正な目元がキュッと歪められたところで、どんぶりに芋けんぴを追加してやる。
「先生、僕には謝ったりしないでください。それに、2人のほうがずっといいですよ」
「えっ?」
作業を進めながらも芋けんぴに手を伸ばし、梗一郎が不思議そうにこちらを見やった。
「そのほうがずっと捗ります。モブ子ら、何しにきたんだ。手伝うなんて言ってここで騒いでただけじゃないですか」
「あはは、小野くんって優しいけど、たまーに毒を吐くね。あと、モブ子さんたちには塩だよね」
芋けんぴを唇にくわえ、前歯でカリカリとかじりながら梗一郎が首をかしげる。
「僕が優しいですか? それだったら、多分先生に対してだけですよ」
「えっ、何で?」
「何でって、先生のことが好きだからですよ」
芋けんぴを飲みこんで、味噌汁椀にいれた茶を一口すする。
「先生、この回答もちょっと意味が分からないです。日明貿易について知っていることを書けってやつなんですけど」
「えっと、シュイン・シュイン・シュインチャレンジ? 何これ、意味が分からないね。これも無視で」
「これも無視……と」
しれっとした表情で梗一郎が付箋を手に取ったとこで、蓮が声を張りあげる。
「シュインチャレンジじゃないよ! 何なの、好きって何? あっ、分かった。俺のこと尊敬してやまないってこと?」
「そんけい……?」
「そこで不思議そうな顔しないで! 俺、先生だから。尊敬とかされてもおかしくないかもしれなくもないかもしれないじゃないか!」
「えっ、おかしくないかもしれなくもないかもしれなくもない?」
「そ、そこはスルーして……」
焦って芋けんぴの袋を抱きかかえる蓮がおかしかったのだろう。
ふっ……と、梗一郎が笑みをこぼす。
「尊敬してなくもないことはないんです、実際」
「えっ、どっち?」
どっちかという問いには答えず、梗一郎の指は変わらず高速でキーボートの上を滑っていた。
「尊敬はともかく、好きと言ったのは恋愛感情のそれです」
「れんあっ……えっと、つまり、そういう……」
「ええ、つまりそういう好きです」
何を今さらといったふうに、梗一郎の表情は変わらない。
「で、でもでも俺は先生だし、もうヨボヨボの三十路だし、それに男だし」
「動揺しないでください。別に困らせたいわけじゃないんで」
「は、はい」
18歳の学生の淡々とした告白に、三十路の男は狼狽えた。
芋けんぴの袋を放り投げ、また拾っては放り投げる。
「動揺しないでください」ともう一度言われ、今度はピシッと正座をしてかしこまった。
そこでようやく、梗一郎の手がとまる。
薄茶色の瞳が窓の外をさまよった。
桃色の花に目を細める。
「先生、このあいだ僕を夢中にさせるって言ったでしょう」
そ、それは俺にじゃなくてBL学に夢中にさせるっていう意味で──なんて連の言葉も何となく空しい言い訳に聞こえてしまう。
「よく考えたら、僕はあの時からずっと先生のことが好きだったのかもしれないですね」
「あのとき?」
「やっぱり覚えてないんですね」
ふと、梗一郎の視線が窓からこちらに転じる。
眉根が少し寄せられていた。
傷ついた表情に見えて蓮は焦る。
「お、覚えてるよ。えっと……うそ、ごめん。覚えてないよ。何の話? 教えてよ」
傷ついた……わけでもなかったのだろうか。
梗一郎の口元が微かにほころんでいる。
「意地悪をします。先生が思い出してくれるまで教えません」
「そんなぁ……」
それから──と、梗一郎はコホンと咳払いをする。
「僕ひとりが先生に夢中なのはすこし癪です。なので、僕も先生のことを夢中にさせたいと……思い、ます」
「小野くん、顔が真っ赤だよ?」
「い、言わないでください。勢いにまかせて告白しちゃったんですから」
梗一郎の目元がほんのり赤くなっている。
肌が白いからよく目立つのだ。
こころなしかいつもより早口になっている気もする。
平静さを装っているけれど、本当は恥ずかしくてたまらないのだろうか。
珍しいものでも見るように、ぽかんと口を開けて向かいの青年を眺める蓮。
そんな彼を一睨みしてから、梗一郎はツンと顎をあげた。
「なので先生、今度デートしましょう」
「でぇと?」