テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
鷹槻れん

33,297
#極道
鷹槻れん

14,261
鷹槻れん

15,717
月詠 涼
867
マンションの部屋に入って程なくしてチャイムが鳴った。
『石矢です』
京介が部屋内に設置されたインターホンへ応答すると、モニター画面に荷物を抱えた石矢が映る。
京介が「すまねぇな」とねぎらいの声を掛けてロックを解除すると、入口ドアが開いたらしく石矢がモニターから消えた。
京介の操作でこの階直通のエレベーターが一階まで降りて、石矢を運んでくるはずだ。
部屋の外扉にもカメラ付きのインターホンが設置されていて、階下からの時とは違う音で来訪者を知らせてくれる。
京介がそれに応答して再度石矢の姿を確認して玄関ロックを解除すると、やっと部屋の中まで入って来られる仕組みだ。
(いつものことながらセキュリティ凄いな)
マンション入口ドア、エレベーター、玄関扉。この三つの関所を室内から操作してもらわないと、鍵のない人間はこの部屋の中へ入れない。
京介の稼業を思えば当然なのかも知れないが、叩き割れば簡単に壊れそうな木製ドアに鍵が掛かるだけの古い一軒家に住んでいた芽生としては驚きの連続だ。
今は京介のお陰で、芽生もとても安全かつ快適に住まわせてもらっている。
京介が出してくれた真っ白なタオルを、部屋から持ってきた衣装ケース――とりあえず中身はベッドの上へ出した――へ敷いて、中に子猫を下ろした。
京介に手洗いと着替えを指示されて全部済ませてリビングへ戻ってみると、当たり前だけど石矢が来ていた。
「なぁ芽生。荷物は後から適当に部屋へ運ぶんでいいよな?」
京介の声に部屋の片隅を見遣れば、石矢が運んできてくれた荷物の山に占拠されていた。
「うん、それで大丈夫。――あの、石矢さん、沢山あったのに有難うございます。重かったでしょう?」
京介の言葉に頷きながら、芽生が石矢へ声を掛ける。
「温かいココアを入れようと思うんですけど、石矢さんも飲みませんか?」
窓際に立つ京介へ「いいよね?」と尋ねたら「ああ。けど俺はコーヒーで」と、返ってきた。
京介はいつもコーヒーメーカーで淹れるブラックコーヒーを飲んでいる。
ここでの生活にも大分慣れてきた芽生は、慣れた手つきでコーヒーメーカーをセットしてから、小鍋にカップ二杯分のミルクを注いで中火に掛ける。
殿様は、温かな部屋に安心したのか、衣装ケースの中で丸くなっていた。
それを確認した芽生は、食器棚から取り出したマグカップ二つにピュアココアと砂糖を入れて、ティースプーンで二種の粉が混ざるようにかき回してから、ウォーターサーバーのお湯をちょっとだけ注いで、ダマにならないようよく練った。
程よく温まった牛乳をゆっくりとカップへ注ぎながら匙でぐるぐるかき混ぜると、甘いココアの香りがふわりと匂い立つ。
同じことをもう一方のカップ内でもすると、一方を石矢の前へ置いて、もう一度殿様を見てから京介の様子を窺った。
どうやら電話がかかってきたらしく、京介は窓辺で声を低めて話し込んでいる。その横顔がやけに険しく見えて、芽生は不安に駆られたのだけれど、とりあえず石矢にも勧めて自分も淹れたてのココアを一口飲んだ。
「美味しい……」
ほっこりとつぶやきながら、猫の飼育用品をそろえないと、とか動物病院で健康チェックもしてもらわないと、とかぼんやりと考える。
以前なら佐山にお願いするところだけれど、現状だときっと石矢に運転してもらうことになるだろう。
そう思った芽生は、無言でココアを飲む石矢に視線を向けると、「あの、石矢さん。実はさっき、下で子猫を拾ったんです」と衣装ケースを指さした。
「ああ、カシラから聞きました」
「それで……」
「餌とか寝床とか必要なモン、そろえに行くんでしょう?」
どうやらすでに京介からそんな話が通っているらしい。皆まで言わずともそう示唆してくれた石矢に、芽生はコクコク頷いた。
「お手数おかけします」
言いながら頭を下げたら、「仕事ですから」とそっけない返事。
佐山なら嫌味のひとつでも返ってくるところだなと思って、芽生は吐息を落とした。
(ダメ、ダメ。ブンブンと比べたら石矢さんに悪い)
というより、京介を怒らせてしまう。
(京ちゃんには沢山プレゼントを買ってもらったし、殿様のものは自分で買わなきゃ)
これ以上京介に負担を掛けるわけにはいかない。
***
「芽生、ちょっと出てこなきゃなんなくなった」
上着を羽織りながら京介が石矢に目配せをする。石矢は京介の視線を受けるなり、飲み掛けのココアを「すみません」とテーブルに置いた。石矢は猫舌ではないんだろう。芽生が半分も飲めていないのに、カップには三分の一くらいしか残っていなかった。
「京ちゃん、コーヒー」
邪魔になるかも? と思いながらも、芽生は保温ボトルにコーヒーを入れて京介に差し出す。
「おう、悪ぃーな」
京介はイヤな顔一つせずそれを受け取ってくれると、逆に申し訳なさそうな顔をして芽生の髪の毛をワシャワシャとかき回した。
「子猫の通院とかグッズ選びとか……俺が帰って来たらすぐ行こうな? もし無理そうなら……」
衣装ケースの方を見ながらそこまで言って、一瞬だけ言葉を止めると「佐山を来させる」と京介が付け加えてくる。
「えっ? でも……」
てっきり千崎あたりに白羽の矢が立つと思っていた芽生は、驚いて京介を見つめた。
「なるべく早く帰るつもりじゃいるが、ちぃーとばかりバタつきそうなんだ。もしかしたらすげぇ遅くなるかも知んねぇ。店とか病院とか閉まったら面倒だろ?」
子猫は今よく眠っているけれど、どこか元気がないようにも見える。それを示唆して「佐山なら、お前も安心だろーが」と吐息まじりで付け加えた京介に、芽生は千崎を自分に付けるのも難しい状況なのかも? と察した。
「分かった。でも……」
「――?」
「落ち着いたらで構わないから連絡して?」
キュッと京介の手を掴んで下から見上げる芽生に、京介は一瞬だけ視線を逸らすと、それでも「分かった」と言ってくれた。
京介が普通の〝お仕事〟をしていないことは芽生だって知っている。自分相手じゃ、洗いざらい何もかも話すのは困難なことだってあるだろう。それでも京介が話せる範囲で芽生に連絡をくれると言ってくれたから、芽生はそれで満足することにしたのだ。
慌ただしく出ていく京介と石矢を玄関先まで見送って、芽生は廊下に一人佇んだまま、小さく吐息を落とさずにはいられない。
考えてみれば誘拐事件以来、家に一人ぼっちにされるのは初めてだと気が付いたからだ。
あの日同様、勝手な外出はしないよう京介から厳命されてしまった芽生は、ドアが閉ざされたと同時にしたオートロックの作動音に、何とも言えず切なくなって、眉根を寄せる。
京介は基本芽生に対しては物凄く過保護で心配性だ。静かな部屋で一人になると、京介に〝守られている〟のだとやたら実感させられて、自分の不甲斐なさにキュッと胸を締め付けられた。
京介を心配させないよう、彼の方から何らかのアクション――例えば佐山が派遣されてくるとか――がない限り、今日こそは家でおとなしく待っていよう、と心に誓う。そのぐらいしか出来ないのが何とも情けないけれど、それしか出来ないならそれをやるしかない。
リビングまで戻って扉を開けると、甘いココアと芳しいコーヒーの残り香に混ざって、なにやら生臭いにおいがする。
「殿様?」
ふと違和感に気が付いて子猫へ駆け寄ると、さっきまで大人しく眠っていたはずの殿様が、嘔吐と下痢で、タオルあちこち汚していた。
慌てて抱き上げた殿様はぐったりしていて、体温も何だか下がっている気がする。
芽生はオロオロしながら京介に電話を掛けたが、先に京介が宣言した通りバタバタしているんだろうか。一向に繋がる気配がない。
涙目になりながらスマートフォンで「動物病院」を検索したら、徒歩一〇分圏内にひとつあって、そこなら殿様を保温しながら抱えて、なんとか駆け付けられそうな気がした。
芽生は物凄く迷ったけれど、殿様をフリース素材のひざ掛けで包むと、ハンカチで包んだ使い捨てカイロを敷いた小箱へ入れて、空気穴を開けた蓋を軽く閉めてから手提げ袋の中へ入れた。箱と袋は、京介に買ってもらった品々が収納されていたものを使ったので、買ってもらったばかりの品物が床へばらまかれてしまったけれど、それに頓着していられる気分ではなかった。
芽生は震える手をなんとか鼓舞して携帯で京介に『殿様が下痢と嘔吐をしてぐったりしているので、動物病院へ行ってきます』とメッセージを打ち込んで送信してから、どこの動物病院を目指すのか書き忘れていたことに気が付いて、『みしょう動物病院』と行き先を添えた。
芽生が、カードキーとお金が入った鞄を引っ掴んで家を出たのは、京介たちが出掛けてからおよそ十五分後くらいのことだった。
***
エレベーターで一階へ降りた芽生は、ロビーでコンシェルジュに軽く会釈をして建物の外へ出た。エントランスの自動ドアをくぐった途端冷たい風に吹きつけられて、芽生は急ぐあまり上着を羽織り忘れてきたことに思い至った。
でも、それを取りに戻る時間も惜しく感じられてギュッと殿様が入った袋を胸前で抱きしめると、スマートフォンで調べた「みしょう動物病院」を目指して足早に歩き出す。
芽生が国道に面した歩道へ出たと同時、すぐそばへ見慣れないセダンが横付けされて、助手席側の窓が開いて運転席から「芽生ちゃん!」と声を掛けられた。
「細波さん……」
車が違うことに違和感を覚えつつ声の主の名をつぶやいてみたものの、今の芽生はそれどころではない。
殿様が入っている袋を持つ手に力を込めると、「すみません、今、急いでるので」と一礼して歩き出したのだけれど――。
「急いでるならなおさら送っていくよ! 行き先は動物病院でいいよね?」
芽生の歩く数メートル先へ停車された車から降りてきた細波に行く手を阻まれた芽生は、思わず細波を見つめた。
「なぜ行き先を?」
殿様は袋の中にいて見えない。なのに動物病院へ行こうとしていることを言い当てられてゾクッとした芽生である。なのに細波はあっけらかんと「なぜって……僕がいつも芽生ちゃんのことを考えてるからに決まってるじゃない」と気持ちの悪いことをサラリと言う。
その上で畳み掛けるように「ほら。車で行った方が温かいし、その方が断然猫ちゃんのためだよ? 芽生ちゃんはその子を死なせたくなくて頑張っているんでしょ?」と言い募ってくるのだ。
細波が、芽生が子猫を保護しているのを知っている矛盾を掻き消してしまうくらい、『死なせたくなくて頑張っている』という言葉に引っ張られてしまった芽生は、思わず泣きそうな顔で細波を見詰めた。
「ほら、乗って!?」
芽生の迷いを見極めたように細波が腕の中の紙袋を取り上げ、開け放たれた助手席へ放り込む。それを追いかけた芽生は、気が付けばこれまで散々拒否し続けてきたはずの細波の車の中だった。
今日の細波がなぜかいつものように香水のニオイをプンプンさせていないことも、車種が違うことも妙に芽生の不安を煽ってくる。
知らない車の中からは、香水のニオイの代わりに別の香りがした。
「……灯油?」
なんの気なし。感じたままをポツンとつぶやいた芽生に、「におう? 実はストーブ用の灯油を切らしちゃってさ。さっきまで後ろに載せてたんだ」と細波がなんでもないことのように微笑んで、芽生がシートベルトも締めていないのにまるで逃がさないと意思表示するかのように発進してしまう。
ぐんぐんスピードを上げる車の中、芽生は(そういえば自宅が火事になった日も、細波さんからしてきたの、灯油のにおいだった?)と思い出した。
あの時は自宅が燃えたショックに加え、火災臭と細波自身の強すぎる香水のニオイとで〝嗅いだことはあるけどなんのにおいだっけ?〟程度でピンとこなかった。けれど、今やっとあのにおいの正体が分かって……。
(あの日も、細波さんは今日みたいに灯油を買いに行った帰りだったの……?)
太ももの上に抱えた袋の中で、今まではぐったりしていて声を発さなかった殿様が、芽生の不安を裏付けるみたいに力なく「ニャァ……」と鳴いて、芽生はソワソワとした面持ちでハンドルを握る細波を見詰める。
そういえば、芽生は目的地を告げていなかったのだけれど、細波は最寄りの動物病院――みしょう動物病院――の所在地を知っているんだろうか?
コメント
3件
めいちゃん、どうしても動かずにはいられなかったのね。 生き物に何かあったら私も動いちゃいそう!
火をつけたのは細波💢 なんで一人で出ちゃうのかな💦
リオンです、読了しました。 細波さん、ずっと怪しいと思ってたけど灯油の匂いと火事の日の話がつながってきてゾッとしました…。子猫を助けたい一心で彼の車に乗ってしまった芽生の心情、すごく切実で胸が痛かったです。京介の過保護さの裏にある危険と、それに気づかないまま動いてしまうもどかしさ。伏線の配置が巧妙で、次が気になって仕方ないです。