わたしはまじまじと王太子の格好をした城田先生を観察した。城田先生は髪の色は真っ黒ではなくやや明るい茶色。そして、瞳はブルー。
えーと、城田先生に似ているだけで、別人?
応接間に沈黙が流れた。すると、わたしの無作法に執事が慌ててその場を取り繕い始めた。
「あ、あの、シャーロット様は体調がすぐれないようでして……」
「元気がないわけは分かっているよ。散歩でもしながら話そうか」
不安げな執事や侍女たちが見守る中、わたしはジョージ王太子と庭に出た。
庭の中央にはブロンズでできた大きな噴水があり、その周りにはたくさんの花々が咲き誇っていた。わたしはその美しさに思わず声を上げた。
「うわぁ」
すると、ジョージ王太子が感心して言った。
「ステキな庭だね。特に、ここのフーデリアはムーア国イチだ」
フーデリアと呼ばれた花は朝顔に似たカタチで、一つの幹に薄紫色、水色、桃色、白色とさまざまな色の花を咲かせていた。すごくきれい。そして、一つの幹にいろんな色の花が咲くなんて不思議。
わたしはフーデリアの花をもっとよく見たくて、手の届く高さに咲いている薄紫色の花に触れた。するとその瞬間、花がサッと閉じたんだ。隣の水色の花にも触れてみたが、同じようにすばやく閉じた。
こんな花、見たことない。わたしを驚かせるためだけに、こんな不思議な仕掛けを用意するかな。これは、ドッキリじゃない。ここは亜紀が書いた脚本の世界で、わたしは照明が落ちてきたショックでシャーロットとして転生したんだ。
わたしが状況を整理していると、ジョージ王太子が少し厳しい口調で語り始めた。
「王城でのお妃教育が退屈だからって仮病はよくない。周りが心配するからね。それに君は王太子妃になる人なんだから、頑張ってもらわないと」
どうやらシャーロットは、お妃教育が嫌でさぼっていたらしい。あ、そういえば、脚本にも「お妃教育なんてくだらないわ!」っていうシャーロットのセリフがあったっけ。
でも、わたしは素直に頷いた。転生してしまったのだとしたら、この先どうなるのか不安だけど、とりあえずジョージ王太子の許嫁になれたのが、うれしかったから。
「はい、これからは真面目に王城に通います」
わたしの返事に、ジョージ王太子はうれしそうに笑った。わたしはその笑顔に、胸の奥をきゅっとつかまれた。いわゆる胸きゅんだ。
「じゃあ、これからお妃教育を頑張るご褒美に今日は楽しもうか」
わたしたちは散歩を終えて、テラスから屋敷に戻った。そして、庭を見渡せるテラスに置かれたテーブルについた。
テラスにはやわらかな日差しが注いでいて、かすかな風がわたしたちの元に花の香りを運んでくれた。それが、とても心地よかった。
メイドが紅茶を煎れ、軽食を並べた。クリームやジャムを添えたスコーンやフルーツ、一口大のサンドイッチ。わたしはお腹が空いていたことを急に思い出した。
おいしい紅茶や軽食を楽しみながら、ジョージ王太子は最近読んだ経済書のこと、周りを強国に囲まれている小国のムーア国を強い国にしたいことなど、さまざまな話をしてくれた。
わたしには難しかったけど、ジョージ王太子と向かい合っているだけで、幸せだった。
突然、うわーっと叫ぶ声がした。同時にわたしの胸のあたりにべちょと何かが。
視線を落とすと、胸にはメイドが新しく持ってきたケーキの残骸とクリームがべっちょりとこびりついていた。
転んで、お皿の上にあったケーキを飛ばしたメイドは、わたしの方を見上げ、泣き顔で謝った。
「申し訳ございません。どうかお許しください。心からお詫びいたします」
わたしが立ち上がると、他のメイドたちが駆け寄ってきてわたしのドレスを拭いた。
わたしは転んでしまったメイドを助け起こそうと思ったんだけど、行く手を阻まれて、仕方なく拭かれながら尋ねた。
「あなたにケガはないのね? 足は大丈夫?」
転んでいるメイドの泣き顔は、一瞬にして驚きの表情に変わった。
「えっ?」
汚れたドレスを拭いていたメイドたちも、手を止めて目を丸くしている。
わたしはメイドたちの驚いた顔を見て、ハッとなった。
亜紀の書いたシャーロットは悪役令嬢。本物のシャーロットなら「なんてぐずなの! このドレスの価値を分かってないのね」「ドレスにシミが残ったら、今後一年、お給金はないと思いなさい!」なんて言わなきゃいけないんだった。
ああ、そうだ、シャーロットはわがままな性格だったから、亜紀の脚本の中ではバッドエンドを迎えるんだ。このまま時が過ぎれば、わたしは投獄されてしまう。そんなのイヤだ! 城田先生そっくりのジョージ王太子と結ばれたい。
翌日からも、わたしは毎朝、シャーロットの姿で目覚めた。どうやら転生してしまったことは、間違いないみたい。わたしは周りの人々に逆らわず、お妃教育を受けるために、真面目に王城に通った。
王室ならではの宗教行事、近隣国との政治状況、国民への振る舞い方などなど……。お妃教育は脚本には描かれていないムーア国の情報が満載だった。
この脚本の世界で暮らしていくなら絶対に役に立つと思ったわたしは必死に学んだ。ジョージ王太子は、頑張るわたしにいつも優しく接してくれた。
「少しは息抜きも必要だよ」
「お気遣い、ありがとうございます。まだまだ学びたいことだらけなんです」
そんなわたしに対して、ジョージ王太子は満足気な表情を浮かべた。
お妃教育を受けている間、分かったこともたくさんあった。フラナガン公爵、つまりわたしのお父様は、王様の補佐の一人として登城したり、社交や公爵家の運営をしたりするため、ほとんど屋敷にいなかった。
それに、お母様はずいぶん前に亡くなっていたので、わたしには家族と過ごす時間がなかった。
けど、わたしには心を許せる女性がいた。この世界に転生したときにわたしを起こしてくれた侍女、赤毛のアリスだ。わたしはアリスからそれとなくいろんな情報を仕入れた。
アリスの他にも、屋敷にはたくさんの使用人がいた。家族はわたしとお父様だけなのに、執事や侍女をはじめ、屋敷を管理する人や公爵家を運営するための人たち。まるで大きな会社みたい。
しばらくすると、アリスから、取り巻きの貴族令嬢や使用人たちが「シャーロット様は思いやりがあって優しい令嬢に変わった」って噂をしていることを聞いた。けど、わたしは特に何もやっていない。シャーロットではなく、空美の気持ちのままで過ごしていただけ。
さらに、1カ月が過ぎて、王城で行われる『ムーア国ル・バル』の日がやってきた。ル・バルでは、ムーア国の18歳になった貴族たちが集められる。
宝石やレースで飾られ、ウエストから大きく広がった豪華なドレスを着たわたしは、金のモールで縁取られた燕尾服姿のジョージ王太子にエスコートされ、ル・バルに参列した。
「晴れて成人を迎えた諸君、おめでとう。ムーア国の発展と平和への貢献を希望する。同時に今宵は社交界へのデビューの日。存分に楽しむが良い」
王様からのお祝いの言葉に続き乾杯の声と王室付の楽団による演奏。華々しくパーティがスタートした。わたしがジョージ王太子の、子どもの頃からの許嫁であることは誰もが知っている。皆が最高級のお辞儀でわたしを迎えた。
しばらくすると、会場の一角でざわめきとくすくすとした笑い声が聞こえてきた。
好奇心に誘われて行ってみると、ある貴族の女性が「これだから田舎貴族は」と笑われていた。
その女性は、銀製の小さな器に入った水を飲み干してしまったそうだ。それは、立食用の料理テーブルに用意されていた、指先を洗うためのフィンガーボールの水。そうとは気づかずに、飲み水だと思ったみたい。
わたしはいじめが大嫌い。一生に一度の社交会デビューの日なんだから。緊張しすぎて、間違っただけじゃない。
わたしは、その女性のそばに進み出て、同じようにフィンガーボールの水を飲み干してみせた。
「おいしい。喉がカラカラだったの」
どこかの国の女王が、フィンガーボールの水を飲んでしまった招待客に恥をかかせないように、自らもフィンガーボールの水を飲んでみせたって話を思い出したんだ。
周りは唖然としてわたしを見た。すると、ジョージ王太子が厳かにこう言った。
「誰にも失敗はある。失敗を笑う環境では、誰もこわがって挑戦しなくなる。わたしはムーア国を強国にしたいと思っている。そのためには失敗した者に寛容であってほしい」
わたしはそんなジョージ王太子の言葉に深く頷いた。女性の失敗を笑った貴族たちは居心地が悪そうに身を縮めた。
わたしがその場を離れようとすると、誰かに呼び止められた。フィンガーボールの水を飲んで笑われていた女性だった。
「シャーロット様、感謝いたします」
女性はドレスの左右をつまんで片膝を折り、ぎこちなく頭を垂れ、自分の名前を名乗った。
「マリー・ロックハートと申します」
わたしはその名を聞いてギョッとした。マリーって、この脚本のヒロインじゃない!?
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